「昭和の日」には語り継ぐべきものがあるようです
今年も「昭和の日」は、ゴールデンウィークの幕開けです。
といっても、去年も今年もゴールデンウィークは薫風5月の風に乗って日本のあるいは世界の文化を味わいに出掛ける事もすべて不要不急と切り捨てられる「金」ならぬ「錆鉄週間」という惨状です。
これも新型コロナやその変異株のせいですから抗う術もなく、家庭内で、なるべく一家団欒で過ごしたいものだと思うところです。
ところで折角の「昭和の日」です。昭和生まれの人もだんだん少なくなって来るのでしょうから、ご家族などに昭和を生きた方が居られれば、昔話を聞かれるのもいいのではないでしょうか。
すでに昭和はレトロの時代になり、「たばこ」の看板や、ダイヤルのついた「黒電話」がレトロの象徴になっているのですが、同じ昭和でも最初の20年は、思い起こせば日本史上最悪ともいうべき悲惨な時代への突進でした。
昭和12年には日支事変が始まり、軍部の力がますます強くなり、昭和15年、皇紀2600年を祝うと、翌16年12月には太平洋戦争(当時は大東亜戦争)に突入したのです。
結局この戦争は経済力、生産力、技術力の差に精神力で対抗しようとしたわけで、戦争の後半では日本全国の主要都市がB29という米国重爆撃機の爆弾・焼夷弾で廃墟となり、とどめは広島・長崎の原爆で昭和20年8月15日の終戦(敗戦)に至ったわけです。
私は、この昭和初期の経験が、日本人を縄文1万余年に培った「争わすに多様性の共存を実現する」という本来の思想に立ち帰らせたのではないかと思っています。そして日本人は、昭和の時代を通じて国民生活の豊かさや快適さは国民の働きによっていくらでも改善できることを世界中に示しました。
昨年の今日、 家内と話していて気が付いたことを書きましたが、これが単なる偶然か、偶然ではなく日本の歴史が日本人に選択させた必然か、矢張りよく考えてみる必要があるように思います。
西南戦争の後は、日本では、領地問題や権力争いで戦う事はありません。富士山の頂上が静岡県か山梨県かで戦になるとはだれも考えません。
1946年(昭和21年)以降、日本は領土問題や権力争いで戦争はしていませんし、紛争で殺人を正当化すようなことはありません。
日本は人類社会の進むべき道を、日本なりに、明治と昭和という元号とともに成し遂げてきているのです。
しかし、世界にはまだ日本の明治より前の時代のように内戦に明け暮れている国も沢山あります。外国との戦争も辞さない国、現に戦っている国もあるのです。
世界のより多くの国がその歴史の中で、戦争といった野蛮な行為から卒業する日がいつかは来るのでしょう。日本はそれを少し先取りしたという事になるのでしょう。
しかし世界の発展、人類社会の発展の道は、やはり日本の歴史が作って来た道しかないはずです。そしてそのベースには日本列島に多様な民族が集まりながら、平和に共存した縄文1万年余の経験が、今は均質的になった日本人の海馬の中に残っているからではないでしょうか。
その意味では、改めて昭和の日を、世界に誇るべき日本史の発展の記念すべき元号の日として長く祝う事に大きな意義を見出すべきではないでしょうか。