日本人の倫理観も変わるのか?
安倍政権になってから何かいろいろ変わってきたように感じています。
恐らくは、政権としての手法が、今までの自民党の多様性を内包しながら結局は何とかまとまっていくといった日本的なものから、欧米流のリーダーシップ重視になったからでしょう。
異論を封じて権威より権力を重視するという立場でしょうか。公明党と組んで絶対多数という条件も大きく貢献したようです。「決める政治」を掲げ、公務員の忖度の利用と強行採決という手段が活用されてきています。
このログがが主要テーマとする経営・労使関係といった分野では「働き方改革」基本的には欧米流の人事制度が理想とされました。
対官僚の人事政策では、トップが人事権を握るという方法で、日本人の持つ美徳である忖度を巧みに利用したようです。
こうして独裁色を強めた結果は、しかし残念なものでした。まだ、日本社会は総てが独裁権力についていくほど脆弱にはなっていませんでした。
結果は、権力維持のために「息を吐くように嘘をつく人」などと言われるような状態なってしまったようです。
結局はリーダー役を当面引退することになりましたが、その影響は、自民党の変質だけでなく、連立を組んだ公明党にもかなり大きいようです。
7年余に及んで安倍リーダーの行動パターンは、この間に多くの政治家やリーダーシップに憧れるいろいろな日本人に、まさにロールモデルとして多大な影響を与えた様な気がしてなりません。
最近起きる多くのスキャンダルまがいの多様な事件でも、関係がありそうな主要な人物が、まずは「自分は関係がない」といった発言を一様にするようになったような気がしてならないのです。
日本人に「潔い 」という概念が欠落してきているのではないかとは先ごろ書いたところですが、まずは損得だけを考えて、都合の悪い事は「最初は否定しておくのが良い」という近年の欧米流の功利的な考え方や態度が一般的になってきつつあるのではないでしょうか。
私の僻目であればよいのですが、矢張り、日本人は、例え、世界の中で真面目すぎると言われても、従来の日本人らしい日本的な考え方を守るべきではないでしょうか。
日本的だから良いと言っているのではありません。
人類社会のあるべき姿を考えた場合、各個人が、確りした倫理観を持って、理非曲直を自ら判断し、社会的責任を持って行動することが、最も望ましい事は、恐らく誰にも異存はない事ではないかと考えるからです。