彦四郎の中国生活

中国滞在記

桜100選、琵琶湖湖北・海津大崎から葛籠尾崎の桜並木―1931年Ⅰ人の道路工事人夫が植え始めた

2021-04-02 08:07:18 | 滞在記

 3月30日(日)、この日の午後、風雨をともなう悪天候の中、妻とともに京都から故郷の福井県南越前町の実家に帰省した。翌朝の31日(月)、天候が回復し青空が見え始めていた。早朝、朝靄(あさもや)に包まれる故郷の光景。白木蓮や辛夷(こぶし)、蕗の薹(とう)の花が満開を迎えていた。

 日本列島の固有種の桜の一つ山桜(ヤマザクラ)が朝靄の山々に点在していた。故郷・南越前町の桜の開花は例年、京都市よりもほぼ1週間ほど遅れるが、今年は開花が1週間ほど例年よりも早いようだった。京都への帰路によく通る南越前町南条地区の枝垂れ桜も5分咲きとなっていた。

 南越前町の今庄地区や南条地区を流れる日野川。豪雪地帯の今庄地区の山々からの雪解け水で水量も多い。この川沿いの堤防の桜並木もまた見事な景観を見せてくれる。水田や村々を守る堤防沿いの、日本の原風景的な光景だ。土筆(つくし)が大きくなっていた。

 京都への帰路、滋賀県に入る。琵琶湖湖北の海津大崎をめざす途中、水田の水路沿いの八重桜並木が美しい。

 何十年も前から、故郷への往復路によく通る琵琶湖湖北の海津大崎だが、この桜の季節にここを通るのは初めてだった。日本の桜名所100選にもなっている海津大崎の桜並木だが、ここもまた例年より1週間早く開花し、満開となっていた。

 海津大崎(かいづおおさき)や葛籠尾崎(つづらおさき)などのある琵琶湖湖北一帯。2015年に、「琵琶湖とその水辺景観―祈りと暮らしの水遺産」として「日本遺産」に認定された。青く澄んだ静かな湖面に緑濃き山塊がどっしりとそびえる様は、比較的平坦な地形の多い琵琶湖におい、ここは特に神秘的な景観をかもし出している。

 海津港から海津大崎を経て大浦港までの約4kmにわたって約800本の染井吉野(ソメイヨシノ)が咲き誇り、美しい桜のトンネルが続く。さらに、大浦港から菅浦港までの約3kmの湖岸沿いの道にも、おそらく500本あまりの染井吉野が咲き誇る。つまり、約7kmの湖沿いに1300本あまりの桜並木が延々と続くという光景だった。

 ここはそれだけではなかった。菅浦の集落から塩津の集落にかけてつくられている奥琵琶湖パーク―ウエーの約5〜6kmの道にも、ソメイヨシノの並木が延々と続くのだ。

 琵琶湖特有の「エリ漁(エリ・魚偏に入と書く)」の光景。竹生島(ちくぶじま)が見える。湖北の岸辺で、おじいちゃん・おばあちゃんと小学校高学年と中学生くらいの二人の孫娘がのんびりとお弁当を食べていた。時が止まるような光景だった。

 奥琵琶湖パークウェイの葛籠尾崎展望台に行くと、琵琶湖東岸の湖北地域が一望できる。平日の月曜日にもかかわらず、たくさんの人がここに来ていた。なかには中国人らしき若い夫婦の姿も。女性の方は中国伝統の明時代の漢服、二人の幼い男の子と女の子は清時代末期からのチャイナ服。色は高貴な身分を表す黄色。中国国内では最近、漢服を着て桜などのお花見をし、写真を撮影するということが、ここ数年前から大ブームとなっている。

 国の重要文化的景観に選定されている菅浦の湖岸集落も眼下に望める。

 ここ海津港(集落)から海津大崎を経て大浦港(集落)や葛籠尾崎に近い菅浦港(集落)への約7kmあまりの湖岸沿いにながら道はなかった。古写真などを見るとそのことを物語っている。1936年(昭和11年)に海津大崎付近の数個のトンネルがつくられ、海津―大浦間の湖岸道路が完成した。そして、完全な陸の孤島だった菅浦集落も、大浦―菅浦間の道路がつくられ、長い歴史の間の陸の孤島は終わることとなった。

 今では樹齢100年を超える老桜から次世代へ引き継ぐ若木まで何千本もの桜が続く湖北・奥琵琶湖。この桜並木の誕生は、道路作業員(人夫)としてこの湖岸沿いの道路つくり作業に従事していた一人の男性から始まる。男性の名は宗戸清七(当時37歳)。重労働の疲れを癒してくれたのが、道から見える澄み切った琵琶湖の沖に浮かぶ竹生島の姿。自分たちが作業をしている愛着の生まれ始めた道に何か残したいと思った宗戸は、作業の合間に自費で購入した桜の若木を植えた始めた。

 3年後に若木が花をつけ始めると地区の青年団も協力をし始め、宗戸の支持で団員がリヤカーで水や土を運び、若木がしっかりと根付くよう植樹を行ったことが、後の桜並木をつくる大きなきっかけとなった。1930年代はじめのころのことであった。古写真でも十数年たって桜を咲かせる並木をみることができる。1990年、日本さくら名所100選の地に選定された。

 3月31日(月)、晴天となったこの日、湖北から安曇川沿いに朽木に至り、桜が咲き誇る鯖街道をぬけて京都大原へ。鴨川沿いの桜並木を経て、そして自宅に戻った。