彦四郎の中国生活

中国滞在記

私が勤める大学に、習近平・中国国家主席来る

2021-04-13 14:33:36 | 滞在記

 中国では今年、3月5日から20日までの15日間、北京で全国人民代表者大会(全人代)が開催されていた。この1年に1度の大会は、通常は10日間ほどだが、今年の大会は異例の日数で開催されていた。中国の習近平国家主席は、この大会閉会直後の3月22日から25日までの4日間、私が暮らす福建省を視察していた。視察の前半は福建省の三明市や南平市の農村地域(世界的な茶業の地)を主に訪れた。三明市の農村地域は私も十数度訪れているが、町や村の人々は習主席の突然の来訪に驚いたにちがいない。

 南平市にある世界自然文化遺産の「武夷山」の渓谷で、竹で作られた筏船(いかだぶね)で、妻の彭麗媛さんと共に川下りを楽しんでいる様子も報道されていた。視察の後半は私が暮らす福建省の省都・福州に入った。市内を大型バスで走行し、沿道で手を振る大勢の人々に窓から手を振って応えるようす、市内の伝統的な建物群がのこる「三坊七巷」の商店街を歩くようすも。

 この4日間の視察の目的は何なのか?  思うに、「①昨年1月からの新型コロナ発生とその抑制、米中関係悪化にともなう緊張関係への対応など、この1年間の激務と全人代を終えたあとの骨休め」かと推測される。ここ福建省は、1985年から2002年までの17年間、廈門(アモイ)市副市長や福州市市長、福州市共産党委員会書記(福州市トップ)、そして福建省省長(福建省NO2)として過ごした懐かしい地だからだ。新婚時代からの結婚生活を送ったのもこの地だった。また、「②台湾と中国大陸の統一に向けて、台湾海峡に面するここ福建省で、統一に向けての(武力侵攻の可能性も含め)自分自身の思いを再確認し、国内外にアピールする」という目的もあるのかと思われる。

  習氏はその後、2002年には浙江省党委員会書記(浙江省トップ)、2007年に上海市党委員会書記(上海市トップ)、2008年にチャイナナイン(党常務委員会常任委員)、そして2012年に中国トップ(中国共産党総書記・国家主席)となり現在に至っている。1953年6月の生まれで私より1歳若い67歳。

 3月25日(木)の午後、私のスマホに「大学に習近平主席がきました!」という画像や動画が何人かから送信されていて、私も驚いた。習近平主席が大学を訪れて、周囲を囲む学生たちなどを前にスピーチを行ったのはこの日の午前中とのことだった。習氏が「希望同学们身心健康 徳智体美劳全面発展 最后都能够 为国家作出貢献 做対人民対社会有益的人 也能为你们自己的 幸福的生活 打出一片天地」とスピーチを結ぶと、学生たちから「オー!」っという一斉の声が湧いていた。

 中国福建省は中国の省の中では面積的には小さい方の省だ。面積は約12万平方キロ、人口は約4000万人。韓国の面積は約10万平方キロ・人口約5000万人、北朝鮮の面積は約12万平方キロ・人口約2500万人。中国では小さい面積の省だが、一つの国のような規模を持つ。面積的には日本(約38万平方キロ)の3分の1となる。

 福建省内の大学数は約100校あまりある。省内のトップ大学は国家重点大学の一つ厦門(アモイ)大学。続いて福州大学や、私も以前勤めていた福建師範大学となる。現在の習近平政権の中枢(中央委員など)には、この福建師範大学の卒業生が4人もいる。習近平国家主席が福建省で勤務していた時代の部下たちだ。現中国共産党政権での福建閥ともいわれる。

 この福建省での習近平主席の視察や私が勤める閩江大学でのスピーチのようすは、中国のインターネット記事や新聞などでも報道されていた。習近平主席の少し後ろには現校長(学長)がいて歩く姿が。

 大学の航空写真なども掲載されていたが、私の研究室がある福万楼の建物も見えていて懐かしい。大学構内の敷地面積は日本の北海道大学くらい。これでも中国の大学では普通の広さ。

 この閩江大学に突如、習近平国家主席が訪問したしたのには理由がある。なぜ福建師範大学や厦門大学ではなく閩江大学が来たのか。実は、習氏は1990年代の福州市市長や福州市党委員会書記の時代に、6年間あまり閩江大学の校長(学長)を兼務していたことがあったからだ。(※中国では、地方行政の長などが、大学の学長を兼務することは珍しくない。行政の管轄下=大学だからだ。ちなみに、「校長」=「学長」の上位に●●大学党委員会書記が存在する。)

 2017年5月下旬の頃、閩江大学構内にある閩江大学新華商都学院(私立大学)にたまたま立ち寄ったら、その建物の1階エントランスには、閩江大学に関する歴史紹介とともに、習近平国家主席と閩江大学の関連のことが紹介された展示が行われていた。(1958年創立の閩江大学は2018年に創立60周年を迎えた。)

 習氏が学長だった当時の学生たちの大学卒業の証明書には、習氏の直筆のサインが記されているが、それらも展示されていた。また、大学創立50周年にあたる2008年とには、「祝賀メッセージ」なども習氏から贈られているので、それらも展示されていた。2018年の創立60周年にも祝賀メッセージが送られていたようだ。

 このように、習近平国家主席にとっては、福建省勤務時代の懐かしい大学だ。このため、閩江大学への訪問となったのではないかと推定する。また、「海の一帯一路政策」の中国の拠点として数年前から福州の沿岸一帯は港湾整備が行われており、閩江大学にも2015年頃に新たに「海洋学部」(大学院含む)が新設されている。さらに、台湾統一の準備の一環として、福州市沿岸から平譚島(福州市)にいたる長大な橋が建設され、島から台湾までの130kmにわたる海底トンネル建設計画にも着手し始めようとしている。

 台湾を巡って、中国、台湾・日米などとの緊張関係が高まる中、習氏はこの激務の1年間のしばしの休養視察も兼ねて、懐かしさもあるここ福建省への視察旅行となったのかと思う。

 習氏来校の25日(木)の午前中の中国時間8:30~10:10、私はこの時、閩江大学外国語学部日本語学科2回生2班(20人)の学生たちとのオンライン授業を日本からしていた。翌日26日、3回生たち(約40人)とのオンライン授業の時に、「昨日は習主席が大学に来たようですが、その会場に行っていた人はいますか?」と聞いてみたところ、数人が「行っていた」と答えた。警備の関係もあり、会場に入れる学生たちの人数制限が実施されていたようだ。翌週の30日(火)、2回生たち(約40人)とのオンライン授業の際にも「行きましたか?」と聞くと、40人中2人だけが行っていた。2回生たちは25日の午前中は全て授業があり、ほとんど会場には行けなかったようだ。

 スピーチの会場となった閩江大学構内の閩江大学新華商都学院前の広場。2017年5月に習近平国家主席関連の展示があった建物の前の広場だ。私の研究室のある建物からも近い。ちなみに、この新華商都学院(閩江大学付属の私立大学)の学院長(学長)は、ドイツ人のノーベル経済学賞受賞者(2006年度)のフェルプス氏。2018年2月、中国の春節を前にした李克強首相との座談会「メイド・イン・チャイナ2025戦略」に参加していた。

※中国には現在2800ほどの大学があるが、そのうち私立大学は380校ほど。○○大学◆◆学院というのは私立大学。(◆◆学部の意味もあり)    〇〇大学付属◆◆大学という感じに近いかと思う。閩江大学には他にもう一つ私立大学が付属している。私立大学の約半数ほどは、この「〇〇大学◆◆学院」だ。私が以前に勤めていた福建師範大学にも、福建師範大学協和学院(私立)がある。

 

 

 

 

 


東京五輪・聖火リレー福島より始まるも、コロナ4波で暗雲も漂う❷リレー辞退した著名人たちは今何思う‥

2021-04-10 15:30:29 | 滞在記

 コロナによる不安が世界を覆い、ポピュリズム(大衆扇動主義)や全体主義が横行する現代の世界は、随所に国民間の分断が顔をのぞかせている。アメリカでの大統領選挙を巡る国民間の分断なども、2020年から2021年にかけて露わになってきた国民間の分断だ。そのような時に、私たち日本では東京五輪を迎える。

 開催か、延期か、中止か。世論は割れている。それに追い打ちをかけるかのように、コロナの第四波感染拡大が現実のものとなってきている。この四波は変異種の感染者急増をともない、1~3波と比べものにならないような感染拡大も不安視されている。こんな中、100日後に迫った東京五輪。この夏に五輪を開く意義を改めて国民的に考え、意義を確認していくことが大切なことだと思う。私たちの国・日本の人々に、世界の人々に、「東京からどんなメッセージを打ち出せるのか。その理念が多くの人々を納得させられるか。後世に夢を伝えられるか。」この100日間をかけて模索していくことになる。 

 3月25日から始まった東京五輪・パラリンピック聖火リレー。121日間をかけて7月23日に東京・国立競技場に到着するまでに約1万人の聖火ランナーたちによって日本全国をリレーされる。現在91人の聖火リレーランナーの辞退者が出ているが、そのうち12人は柔道の古賀稔彦さんのような死去のための辞退。そして、半分ほどの約40人ほどが残念ながら著名人と呼ばれている人たちだ。辞退の理由の多くがスケジュールが合わなくなったというもの。

 「○○のスケジュールとぶつかってしまって」と、やむにやまれぬ具体的な理由を述べている人もいる。まあ、それはしかたがないかとも納得できる。しかし、ただ「スケジュールが合わなくて」とだけのぼかした理由の人も多い。納得させられる辞退理由を述べられない人の方が多いようだ。もうかなり以前から聖火リレーの日や時間は決まっていたはずなのにいまさら辞退とは‥とは思えるが。

 聖火リレーの出発地となった福島県内を走る予定だった著名人で、サッカー女子日本代表だった川澄奈穂美さんの場合は「アメリカ在住で、日本に帰国すると2週間の隔離が必要のため、スケジュール調整ができなくなった」とのこと。これは納得できる。同じく、なでしこジャパンの澤穂希さんは「耳の三半規管の病気のため」。三半規管が不調だと走りが難しいから、これも理解できる。

 同じく福島県内の走る予定だったTOKIO(トキオ)。「スケジュールが合わない」とのこと。「鉄腕ダッシュ村」であれほど長年にわたり世話になった福島県なのに辞退かよ‥と思う。昨年のNHK朝の連続テレビ小説ドラマで福島県出身の作曲家・古関裕而役を演じた俳優の窪田正孝も単なる「スケジュールの問題で」との理由で辞退。歌舞伎俳優の香川照之にいたっては、辞退の理由も公表していない。

 長年にわたりNHKの国民的番組の一つ「鶴瓶に乾杯」で日本全国にお世話になっている笑福亭鶴瓶。兵庫県内を走る予定だったが辞退。これも単なる「スケジュールが合わない」との言い訳。数日前に、競泳の池江璃花子東京五輪内定の報道に、「池江さんのためにも東京五輪が開催されればいいですね」との、辞退とは矛盾した言動。鶴瓶さん、あんた東京五輪のこの夏開催に反対でリレーを辞退したのではないのですかと言いたくもなる。

 私と同じく福井県出身の、演歌界の大御所ともなっている五木ひろし。彼も単なる「スケジュールが合わなくて」との釈明で辞退していた。五木さん、あんたは日本人の心を歌う演歌界の大御所と呼ばれる存在なんですよ、辞退して平気なの‥とも言いたくなる。五木ひろしに代わって五木ひろしの故郷の隣町の若狭町出身の元日本バレーボール代表の荻野正二さんが走ることになった。日本の国技・大相撲の正大は地元熊本県での走者を辞退している。国技の関取だろうが‥とも言いたくなる。

 TOKIO、窪田、香川、五木・鶴瓶・正大などは、今どんな気持ちでいるのだろうか。

 他に、故郷の高知県での走者予定だった末広涼子(女優)、茨城県での走者予定だった渡辺徹(タレント)、石川県での走者予定だった常盤貴子(女優)なども単なる「スケジュールが合わなくなった」とだけの辞退理由。常盤貴子の代役として、女優の若村真由美さんが走行することとなった。

 このような辞退者たちの中で、「私が走れば沿道が密になり、コロナ感染予防によくないから」との理由ではっきりと辞退理由を公表したのは福岡県での走行を予定していた女優の黒木瞳ぐらいだろうか。大会や試合出場の日程と重なってしまいと具体的に理由を説明しているフィギアの宇野昌磨(愛知)やラグビー日本代表の田村優(栃木)などの理由は納得できる。沖縄での走行予定だった知花くらら(モデル)は、「第二子を妊娠し、苦渋の決断で辞退しました」との理由もたいへんよく理解できる。

 単なる「スケージュール合わず」説明の有名人たち、ちょっとなあ‥。東京五輪開催の是非や五輪聖火を巡って、日本では国民間の分断が残念ながら起きているのかと思う。

 1年半あまり、視聴率が低迷しながらも続いたTBS(毎日系)の朝の報道番組「グッとラック」が3月末をもって終了した。この朝の報道番組、他の各局の報道番組に比べてかなりレベルの低い報道番組だったためか、平均視聴率も朝8時からの報道番組の中でダントツの最下位だった。大きな原因は、司会の立川志らくのダラダラ司会と能力の低さ。それに、番組プロデューサーたちの能力の低さだろう。志らくなどは最後の回でも「五輪開催反対」を田村淳とともにぶっていた。

 コメンテーターの常連だったロンドンブーツ1号・2号のタレント田村淳(47)。彼の能力・知見もかなりの低レベル。2月上旬に早々と「聖火ランナー辞退」をこの番組で公表した「聖火ランナー辞退1号」的存在だ。辞退の理由はかなりつまらない(当時の日本オリンピック委員会会長の「感染防止のために田んぼ道を走ることもありうる」に「この発言に怒りを覚える。ランナーをバカにするな。辞退する。」と辞退。)受け狙いの辞退と言う軽薄な感じが見え見えだった。この田村淳、将来は国会議員を目論んでいるとの憶測もされている。
 このTBSの「グッとラック」の後継番組が朝の情報番組「ラビィット!」。「日本で一番明るい朝番組」を旗印に3月29日から始まった。これまでの報道番組路線を大きく転換し、暮らしに役に立つ情報番組としてスタート。司会は麒麟のタレント・川島明。少し視聴して見たが、もう見る気がしなくなった。

 TBSは、何度テコ入れしてみても「グッとラック」の視聴率が上向かなかったために、あえて報道番組路線を止めて、他局との差別化を図ったが、まったくの期待外れの状況と早くもなっているようだ。初回2.7%、2回目2.1%、3回目2.2%、4回目はついに1.8%、そして、5回目・6回目は1%を切って0.9%、0.8%となった。「国民をバカにするな」とTBSに言いたくもなる。

 国民の知的レベルをあまりにも馬鹿にしていて、その馬鹿さ加減に合わせようという馬鹿番組をもってきたという、TBSの馬鹿さを露呈している。

 ちなみに民報各局の午前8時開始の報道番組の最近視聴率平均では、①ABC(朝日系)の「羽鳥モーニングショー」は10.6%、②読売系の「スッキリ」が8.8%、③フジ系の「めざまし8」が6.2%となっている。また、3月までの「グッとラック」の平均視聴率は2.8%と超低率だった。

 22年間にわたって小倉智照(73)が司会を務めたフジ系の「とくダネ!」。なかなか優れた朝の報道番組だった。この番組の後継番組が3月末からスタートした。「めざまし8(エイト)」だ。司会は俳優の谷原章介(48)。なかなかの司会ぶりだと見て思った。この谷原章介は、聖火ランナーとして草笛光子(女優)やタレントの出川哲朗らとともに神奈川県内を走る予定だ。30日の放送のでは、東京五輪開催の是非が問われている中、続く聖火リレーの話題を取り上げた。谷原は聖火リレーについて、「アスリートの方たちにとって、自分から辞退はあり得ない。人生をかけてやっているわけじゃないですか! IOC、JOCなりが中止と決定するまでは、やるんだって前提で僕は突き進んでいきたいと思っています」と明言していた。

 その上で、「スポーツってビジネスって面もありますけど、平和とか統合の象徴でもあると思う。コロナ禍でも、分断が叫ばれている中でも開催されれば、みんなの気持ちが一つになって日本が盛り上がる」と話し、「中止は中止、やるならやるの早い判断をしていただきたいですね」と続けていた。なかなか、見識や視野に優れている司会者のように思った。「スッキリ!」の司会者・加藤浩二(この3月に吉本興業から解雇・退社)や「羽鳥モーニングショー」の羽鳥アナのよきライバルになりそうな気がした。

 さて、コロナ第4波がすごい勢いで感染拡大が始まった。聖火リレーもこのあとどう展開するか分からなくなった。五輪開催そのものも危うくなる可能性もある。だが、一筋の希望への道に向かって歩む努力は国民的にも必要だ。五輪辞退を安易に辞退した人たちは、今、どう、何を思うのだろうか。自分自身への辞退の正当化だけではちょっとさみしいなあ。「日本人としての矜持(きょうじ)とは‥。」を改めてこの分断の中で思う。

 


東京五輪、聖火リレー福島より始まるも、コロナ4波で暗雲も漂う❶リレー辞退した著名人たちは今何思う‥

2021-04-10 10:31:12 | 滞在記

 2021年7月23日開会予定の2020+1の東京五輪・パラリンピックの聖火リレーが、3月25日に福島県から始まった。出発式典で野田聖子・東京オリンピック委員会会長は、「(聖火が)暗闇の先の一筋の光として、まさに希望の道をつないでいくことを願う」とスピーチ。その出発式典と最初のランナー・サッカー女子日本代表「なでしこジャパン」のOBと現役の代表たちが出発し次の走者・地元の高校生に引き継ぐまでをテレビの実況で視聴した。

 出発式典では、地元福島の伝統芸能の舞や創作太鼓の演奏、福島フラダンスのメンバーたちの踊りなどが上演、地元小中学生たちによる「花は咲く」の合唱のあと、タレントのサンドイッチマンや石原さとみさんのスピーチが行われていた。2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた福島・宮城・岩手の東北三県、中でも福島は震災による原発事故により、今も避難所生活を続けている人も多い。

 この福島県内を地元のランナーたちや、福島にゆかりのある著名人たち(バレーの大林素子さん、南海キャンデーズのしずちゃん、女優の菊池桃子さんなど)も聖火ランナーとして参加した。「復興五輪」を掲げてきた東京五輪、福島の人々は、この聖火リレーを心待ちにしていた人も多いかと思う。

 この日、中国でも「东京奥运(東京五輪)火炬传递(聖火リレー) 今天开始(今日開始)」とテレビ報道がされていた。

 聖火リレーは3月25日にスタート、121日間をかけて7月23日に東京・国立競技場の開会式に到着する予定となる。聖火リレーは約1万人のランナーたちにより日本全国859の市区町村を巡る予定だ。人類にふりかかった、まさにこのコロナ禍の世界的パンデミックの深刻な状況下、「一筋の光として、希望への道」となればいいのだが‥‥。

 聖火リレーは、福島から北関東の栃木・群馬、長野から岐阜県へ。岐阜県の郡上八幡の沿道では伝統工芸の郡上本染で作られた鯉のぼりを掲げて応援する人たちの姿もみられた。岐阜県にゆかりのある女優の竹下景子さんや鈴木ちなみさんや紺野美沙子さん、タレントの佐藤弘道さんらの著名人も走者として参加。

 聖火は岐阜県から愛知県へ、フィギアスケートの鈴木明子さんや村上佳菜子さん、タレントの天野ひろゆきさん、ノーベル物理学賞を受賞した名古屋大学の天野浩教授やトヨタ自動車社長の豊田章男さんらの著名人もランナーとして参加。沿道には大勢の人がつめかけ応援する光景は、新型コロナ感染拡大第四波が始まっているだけに、「三密」が心配される状況も報道されている。女人禁制だった愛知県の伝統行事船「もっこ船」に、女性も初めて乗船し聖火が運ばれもした。名古屋市などの大都心での聖火リレーを応援する人の「三密」的な人出の多さに、丸川五輪担当相は、今後の聖火リレーの沿道での「三密」回避を求めることを自治体にも要請を出した。

 聖火は愛知県から三重県に。演歌歌手の鳥羽一郎さんやレスリングの吉田沙保里さんらの著名人がランナーに。さらに聖火は昨日4月9日、そして今日10日には和歌山県内の世界遺産・熊野古道などをリレーされている。体操の田中理恵さんや演歌歌手の坂本冬美さんらの著名人らもリレーに参加。明日11日からは奈良県内に入る予定だ。三重県・和歌山県に入り、三密の状況はかなり回避をしてきているようだ。

 13日からは大阪府にリレーが移る予定だった。しかし、新型コロナウイルス、特に関西では変異型が主流となった感染拡大の猛烈な第四波の襲来の時期となり、大阪府では大阪市内での聖火リレーの実施を中止すると吉村知事よりつい先日、発表があった。大阪はやむおえない措置かとは思う。大阪の人の「聖火リレー"走りたい"」の朝日新聞の見出し記事も。「著名人の聖火ランナー辞退相次ぐの動きは悲しい‥」とコメントを出したハイヒール・リンゴ(大阪府枚方市でランナー予定)さんも残念に思っているかと思う。

 1年間あまり白血病での闘病生活を送り、その後は体力回復に努め、昨年の夏ごろから水泳の練習やレースに復帰し始めた競泳の池江璃花子さん(20)が、先週から今週にかけて開催されている全日本競泳選手権の100mバタフライや100m自由形で優勝し東京五輪の代表選手に確定した。そのことは世界各国でも報道され、国内外に驚きと称賛が広がっている。

 米国などの海外の報道では、「池江が東京五輪で、日本チームの旗手、選手宣誓、聖火の最終ランナーに選ばれる可能性もある」と報じられていた。

 日本国内でも、コロナ禍下の東京での今年7月の五輪開催に賛否両論が根強くある中だが、「北朝鮮が五輪不参加を表明」との報道が突然に。「不参加理由として、新型コロナウイルスによる世界的な公衆衛生の危機から選手を守る」としている。この北朝鮮側の突然の報道は、北朝鮮体育省の官報(ホームページ)に小さく掲載されたものだ。(既に発表していた記事の最後に小さく「不参加」のことを付け加えたもの)

 北朝鮮側からIOCに「不参加」の正式通知はいまだなく、この不参加報道は今後、撤回される可能性もあるとの憶測も一部ある。

 北朝鮮がこの時期にこのような撤回可能な形式で「東京五輪不参加」を表明したねらいは何か。考えられることは、「①中国への忖度―東京五輪への不参加表明、来年の北京冬季五輪をより盛り上げるため、②コロナ感染の北朝鮮での感染の大変さと防疫体制・治療体制の脆弱さ、③韓国・文政権へのゆさぶり―釜山・ソウル市長選を前にして」などかと思われる。この北朝鮮の表明には、北朝鮮・金王朝政権の金正恩委員長の妹・金与正の意向も強く働いているとの見方もされている。日本での今夏五輪開催に反対する人たちには、この北朝鮮の突然の表明を歓迎する声も‥。

 北朝鮮が不参加を表明したことに関連し、中国外交部の広報部副部長の趙立堅報道官は会見で、来年の北京オリンピックに北朝鮮は参加するのか問われ、「当事国(北朝鮮)に確認していただきたい」と回答。また、東京五輪への中国の参加については、「日本がオリンピックを順調に開催することを中国は支持する」と強調した。4月5日の日中外相会談でも王毅外相は東京と北京のオリンピック開催を「互いに支持したい」と述べている。

 こんな中、いままで「島根県内での聖火リレーの中止を検討する」としていた丸山知事が突如、「二階堂自民党幹事長などの談話で、島根県などの地方の県にもコロナ補償の拡充を考えてみたいなどの談話もあるので、島根県での聖火リレーを実施する」との発表を行った。この人の政治家としての言動の視野の狭さにもいままでにちょっと呆れていたが‥。先日の朝日新聞で、「ぜひ聖火リレーを走りたい。聖火を中止しないでほしい」と島根県の離島・隠岐諸島の老医師が訴えていたが、知事の中止検討撤回によって走れるようになってよかったと思う。

 そして、吉村大阪府知事は、「4月13日から開始予定の大阪府内全域で、沿道での聖火リレーを中止する。代替え案として万博公園での聖火リレーの実施を行う」と発表。万博公園内を約200人の聖火ランナーが200mずつ走って聖火リレーを行うというのが代替え案のようだ。大阪府内では、歌舞伎俳優の片岡愛之助さんやハイヒール・リンゴさんが聖火ランナーとして走る予定だったが、沿道で見られないのは残念だが、第四次感染拡大が最も激しい大阪府の状況下では、この措置はやむおえないかと思う。

 兵庫県でも感染拡大が深刻なだけに、聖火リレーの縮小案が検討され始めている。また、島根県の隣県の鳥取県でも縮小案が検討され始めている。島根も鳥取もコロナ状況は全国でもとても少ない(昨日は島根0、鳥取5)県なのだが、島根県知事の言動パフォーマンスに影響されて、鳥取県の平井知事も「何かしなければ」と考えたのだろうか。ちょっとこの知事も浅はかだと感じる。

◆世界的な新型コロナウイルス感染拡大状況が1年以上を経過した現在でも、その感染拡大状況に歯止めがかかっていない。特に変異種の出現は大きな脅威だ。日本でも、変異種の拡大によりとりわけ関西は深刻な状況があり、全国的にも夏以降の10月が感染拡大のピークとなるとの予測もされている。

 このような状況なので、東京五輪はできれば、再延期というのが最も望ましいかと私は今は思っている。再延期の案としては、一時浮上した「五輪開催スライド案」が最も良いかと今は思うようになっている。「五輪開催スライド案」は、4年ずつずらして開催する案で、「2020+1 東京、2024パリ(フランス)、2028ロサンジェルス(米国)」を、「2024東京、2028パリ、2032ロサンジェルス」とする案だ。フランスもアメリカも未だ感染拡大が深刻で、フランスでは都市のロックダウンを行っている状況下なので、2024パリ五輪の準備は大幅に遅れている。フランスにとっても渡りに舟でもあるようだ。

 しかし、この案は検討はされたのであろうが、実現には至っていない。東京五輪が100日後に迫っている中、もうすでにIOCの中でも2021年7月東京開催で進めているようだ。まあ、日本の感染状況からして、今年の7月開催は危惧を持ちつつも、海外からの観客をなくすという方針もあるので、やむなしかとも思う。やるからには、「コロナ禍下での人類の暗闇のトンネルを出る一筋の光としての大会」として成功させてほしいと願う。「希望の光と道」の大会になることを願う。そのためにも、まずは「聖火リレー」の困難さの中でのやりとげられることを願っている。

 聖火リレーには全国津々浦々で、1万人ほどの人がランナーとして走る。現在、90人ほどの人が辞退をしているそのうち40人ほどが著名人と呼ばれる人たち。自ら応募しながら、辞退を3月上旬ころまでに、かなり安易に、そして そっと各都道府県の聖火リレー事務局に告げたように思われる著名人たち。彼らは今、何を思うのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


傷だらけの力士"照ノ富士"、奇跡の大関復帰劇—このコロナ禍下、一筋の光明です―池江五輪復活劇も

2021-04-05 08:50:10 | 滞在記

 今年の年始、1月4日にNHKの「逆転人生」で、「傷だらけの天才力士―照ノ富士 奇跡の復活劇」と題した番組が放映された。あれから3カ月、この復活劇はさらに、「奇跡の大関復活劇」となった。

 いつまで続くか見通しのたたないコロナ禍下、この奇跡の大関復活劇は、一筋の光明を放った。

 番組「逆転人生」で語られた照ノ富士の物語。モンゴルの首都・ウランバートルの出身で現在29歳。私は、ゴビ砂漠での恐竜発掘調査でモンゴルに5回行ったのだが、首都のウランバートルは美しい街だ。街中をロシアのバイカル湖に至る河が流れる。

 毎年7月に行われるナーダム祭は、6月から各地方で地区大会が開催され、それぞれの地区代表が7月にウランバートルに集まり、全国大会が行われる。競技は、①競馬、②モンゴル相撲、③弓矢の弓道。モンゴル相撲には、日本の相撲のような円形の仕切りのある土俵はない。草原で組み合い、背中や膝(ひざ)が地に着いたら負けとなる。モンゴル相撲の全国大会出場は成人男性だけ、弓矢は男女の年代別があり、競馬は9歳以下の男女だけが全国大会に出場できる。競馬走行距離はなんと35km。

 モンゴルの面積は日本の約5倍、人口は約250万人と日本の京都府とほぼ同じ。五畜といわれる「①馬②牛③羊④山羊(やぎ)⑤駱駝(ラクダ)」の数は人口の5倍の2500万頭。ロシアと国境を接する北部は森林地帯、中国と国境を接する南部はゴビ砂漠地帯、そして中部は草の海・草原地帯となる。

 さて、照ノ富士のことだが‥。照ノ富士の父親が経営していた会社が倒産して、家族は無一文になったことが日本の相撲界入りの動機であった。高校相撲の名門校である、日本の鳥取北高校に入るため2009年に初来日し編入学。関取の逸ノ城とは同じ飛行機で初来日し、鳥取北高校の同窓生。照ノ富士は高校卒業後に相撲部屋(伊勢ケ浜部屋)に入門し、歴代3位のスピードで幕内優勝し、23歳の若さで大関に昇進。向かうところ敵なしで、横綱の一歩手前だった。

 しかし、膝(ひざ)の十字靱帯や半月板の損傷、肝炎や糖尿病、腎臓結石などの病気にかかり、記録的な13連敗などを経て、2017年には大関から陥落。2019年の3月には、序二段(無給、大相撲の10階級のうち下から2番目の階級)まで落ちつづけた。

 そんな落ち続けていた2018年に、モンゴル出身の同郷の女性と結婚している。彼女は照ノ富士の3歳下の現在26歳。2011年ころに知人の紹介で知り合ったようだ。2018年2月14日のバレンタインデーの日に結婚を申し込み、翌日に10人程度の参加者でひっそりと結婚式を挙げていた。好きな酒を断ち、妻となった人の手料理で健康管理を支えてもらい、徐々に階級を上げ始め、昨年2020年8月の夏場所には幕内15枚目力士に戻る。そして、この場所で奇跡の復活優勝を為しとげた。

  さらに昇進し、関脇として臨んだ今年の3月場所、優勝となった。「照ノ富士V大関返り咲き」「不屈 復活劇は続く」との朝日新聞の3月下旬の見出し記事。

 おめでとう、照ノ富士。ここまででももう十分だが、復活劇はまだ続くかもしれませんね。

 今日、4月5日の朝日新聞、「池江 東京五輪へ―白血病から2年"努力は必ず報われる"」「池江 闘って 信じて—諦めかけた夢 "すごく幸せ"」の見出し記事が。白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子(20)が、東京五輪の代表に内定した。

 2019年2月に白血病と診断され、およそ10カ月間にわたる入院生活を経て12月に退院した。抗がん剤治療で髪は抜け落ち、やつれて、全身の筋肉はげっそりするほど痩せていた。退院後、復帰に向けて徐々に体力をつけ始め、日本大学のプールで後輩たちとともに練習を徐々に開始。そして、退院から8カ月後の昨年の8月からレースに復帰し始めた。その約2年間の記録がドキュメンタリー番組として今年の2月ころに放映されたので視聴した。

 昨日の4月4日、東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の100mバタフライ決勝を制した。ゴール後、池江は水の中で肩をふるわせ泣いていた。「勝てるのはずっと先のことだと思っていた。すごくうれしかった。本当にもう言葉にできない」とレース後に語る。おめでとう、池江さん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


追悼、そしてありがとう、田中邦衛さん―心に今も残る「北の国から」、私の人生に影響を与えた「若者たち」

2021-04-04 21:58:02 | 滞在記

 俳優の田中邦衛さんが先月24日に88歳で死去した。亡くなったのは老衰との報道だった。2012年にドラマ「北の国から」で共演した地井武男さんの告別式に参列してから公の場にて姿をみることことはなかった。静かに息を引きとったようだ。ありがと、そして、冥福を祈りたい。追悼、田中邦衛さん。

 1981年から始まったドラマ「北の国から」。倉本聰さんの脚本で、2002年までの20年以上にわたって放映されたこのドラマは、北海道の富良野の大自然の中で、息子(純)と娘(蛍)の成長を見守る、素朴で武骨で寡黙だが、人間的に温かみやユーモアのある父・黒板五郎らを描き続けた昭和・平成の時代の金字塔的ドラマの一つだった。息子の純を演じた吉岡秀隆は現在50歳となり、娘の蛍を演じた中島萌子ももう40歳代なかばを過ぎているかと思う。

 息子・純の小学生時代は、私の息子・大地の小学生時代と顔立ちがそっくりだった。娘・蛍の小学生時代も、私の娘・百合子と全体的な雰囲気・印象、顔立ちがよく似ていた。私の娘がまだ北海道大学の学生だった10年ほど前ころ、私と妻は初めて「北の国から」の地・富良野を訪れ、ゆっくりと北海道の早春の5月上旬に、ドラマの地を巡った。富良野周囲の山々はまだ残雪がたくさん残っていた。

 私にとっての田中邦衛さんは、1968年に上映された映画「若者たち」から始まる。この映画は、その後「若者のはゆく」「若者の旗」とシリーズ作がつくられ上映された。この映画を全国に広めるために上映運動も行われていた。主題歌の「若者たち—空にまた陽が昇るとき」の歌詞、「一、君の行く道は果てくなく遠い なのになぜ歯をくいしばり 君は行くのかそんなにしてまで」は今も時折、カラオケで歌う。私の人生の方向に大きな影響を与えた映画だった。

 五人の兄弟姉妹の中で、4人の弟や妹の父親代わり的存在として頑張る長兄。その役が田中邦衛さんだった。早稲田大学で学生運動にのめり込む三男(山本圭)などとのやりとりなど、当時の日本社会の問題点、社会変革、それぞれの人々の暮らしでの苦悩や希望などが深く描かれた映画だった。脚本は山内久。昭和時代の映画の金字塔の一つだった。改めて、この「若者たち」や「北の国から」の俳優・田中邦衛さんに感謝したい。昭和の漢(おとこ)だった。

 今日、4月4日付朝日新聞に、「北の国から」の脚本を書いた倉本聰さんが寄稿を寄せていた。題して、「田中邦衛さんを悼む―真剣であるがゆえのユーモア―人間喜劇の神髄 貫いた昭和の漢」。倉本さんはこの寄稿文の中の一節で、「男は真面目にやればやるほど、どこかで必ず矛盾がでてくるものです」と話しつつ、「邦さんの芝居には、それが真剣であるだけにどこか悲哀があり、詩があり、そして云いようのないユーモアがあった。チャールズ・チャプリンの至言にこういうのがある。—"人生―人の行動は、アップで見ると悲劇だが、ロングで見ると喜劇である。"―これはコメディの神髄であり、まさに笑いの極意である。」

 「現在日本のテレビ界では、この言葉が全く忘れられている。アップから人を笑わそうとするからロングで見た時、悲惨なものになる。お笑いはおふざけに堕ちてしまった。」と倉本さんは語る。

◆私は以前、「維新と吉本が日本をダメにする」というブログ記事を書いたことがある。2年ほど前のころだっただろうか。あれから2年、日本のテレビ界ではバラエティ番組だけでなく、報道番組の中にも大阪・吉本興業所属のタレントたちが番組に出ることが大きく増加している。全ての吉本のタレントたちの質が悪いわけではない。中には質の良いのもいるが、民法では総じてバカ番組、おふざけ番組の割合がさらに増加している。人間に必要な笑いは、民報テレビ界ではおふざけに堕ちまくっているのが昨今の日本だ。

 日本国民の劣化には、これほど強力な影響をもつ媒介はない。吉本の笑いと田中邦衛の笑い・ユーモアとは対極にある。日本人は、吉本を重宝し頼る民報テレビ界の大きな流れに影響を受け、劣化し続けている。

 中国は中国共産党一党支配のもと、世界の歴史上ないような超強力・強大な報道管制と報道・情報操作により、国民を従わせ、一人一人の人間が自分の頭で考えること麻痺(まひ)させる。一方の日本は、吉本興業に頼る民報テレビ界の堕落の風潮によって、一人一人の人間が、真面目に自分の頭で考えることを麻痺させる。これは、悲劇ではなく悲惨という言葉があてはまる。