彦四郎の中国生活

中国滞在記

傷だらけの力士"照ノ富士"、奇跡の大関復帰劇—このコロナ禍下、一筋の光明です―池江五輪復活劇も

2021-04-05 08:50:10 | 滞在記

 今年の年始、1月4日にNHKの「逆転人生」で、「傷だらけの天才力士―照ノ富士 奇跡の復活劇」と題した番組が放映された。あれから3カ月、この復活劇はさらに、「奇跡の大関復活劇」となった。

 いつまで続くか見通しのたたないコロナ禍下、この奇跡の大関復活劇は、一筋の光明を放った。

 番組「逆転人生」で語られた照ノ富士の物語。モンゴルの首都・ウランバートルの出身で現在29歳。私は、ゴビ砂漠での恐竜発掘調査でモンゴルに5回行ったのだが、首都のウランバートルは美しい街だ。街中をロシアのバイカル湖に至る河が流れる。

 毎年7月に行われるナーダム祭は、6月から各地方で地区大会が開催され、それぞれの地区代表が7月にウランバートルに集まり、全国大会が行われる。競技は、①競馬、②モンゴル相撲、③弓矢の弓道。モンゴル相撲には、日本の相撲のような円形の仕切りのある土俵はない。草原で組み合い、背中や膝(ひざ)が地に着いたら負けとなる。モンゴル相撲の全国大会出場は成人男性だけ、弓矢は男女の年代別があり、競馬は9歳以下の男女だけが全国大会に出場できる。競馬走行距離はなんと35km。

 モンゴルの面積は日本の約5倍、人口は約250万人と日本の京都府とほぼ同じ。五畜といわれる「①馬②牛③羊④山羊(やぎ)⑤駱駝(ラクダ)」の数は人口の5倍の2500万頭。ロシアと国境を接する北部は森林地帯、中国と国境を接する南部はゴビ砂漠地帯、そして中部は草の海・草原地帯となる。

 さて、照ノ富士のことだが‥。照ノ富士の父親が経営していた会社が倒産して、家族は無一文になったことが日本の相撲界入りの動機であった。高校相撲の名門校である、日本の鳥取北高校に入るため2009年に初来日し編入学。関取の逸ノ城とは同じ飛行機で初来日し、鳥取北高校の同窓生。照ノ富士は高校卒業後に相撲部屋(伊勢ケ浜部屋)に入門し、歴代3位のスピードで幕内優勝し、23歳の若さで大関に昇進。向かうところ敵なしで、横綱の一歩手前だった。

 しかし、膝(ひざ)の十字靱帯や半月板の損傷、肝炎や糖尿病、腎臓結石などの病気にかかり、記録的な13連敗などを経て、2017年には大関から陥落。2019年の3月には、序二段(無給、大相撲の10階級のうち下から2番目の階級)まで落ちつづけた。

 そんな落ち続けていた2018年に、モンゴル出身の同郷の女性と結婚している。彼女は照ノ富士の3歳下の現在26歳。2011年ころに知人の紹介で知り合ったようだ。2018年2月14日のバレンタインデーの日に結婚を申し込み、翌日に10人程度の参加者でひっそりと結婚式を挙げていた。好きな酒を断ち、妻となった人の手料理で健康管理を支えてもらい、徐々に階級を上げ始め、昨年2020年8月の夏場所には幕内15枚目力士に戻る。そして、この場所で奇跡の復活優勝を為しとげた。

  さらに昇進し、関脇として臨んだ今年の3月場所、優勝となった。「照ノ富士V大関返り咲き」「不屈 復活劇は続く」との朝日新聞の3月下旬の見出し記事。

 おめでとう、照ノ富士。ここまででももう十分だが、復活劇はまだ続くかもしれませんね。

 今日、4月5日の朝日新聞、「池江 東京五輪へ―白血病から2年"努力は必ず報われる"」「池江 闘って 信じて—諦めかけた夢 "すごく幸せ"」の見出し記事が。白血病から復帰した競泳女子の池江璃花子(20)が、東京五輪の代表に内定した。

 2019年2月に白血病と診断され、およそ10カ月間にわたる入院生活を経て12月に退院した。抗がん剤治療で髪は抜け落ち、やつれて、全身の筋肉はげっそりするほど痩せていた。退院後、復帰に向けて徐々に体力をつけ始め、日本大学のプールで後輩たちとともに練習を徐々に開始。そして、退院から8カ月後の昨年の8月からレースに復帰し始めた。その約2年間の記録がドキュメンタリー番組として今年の2月ころに放映されたので視聴した。

 昨日の4月4日、東京五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の100mバタフライ決勝を制した。ゴール後、池江は水の中で肩をふるわせ泣いていた。「勝てるのはずっと先のことだと思っていた。すごくうれしかった。本当にもう言葉にできない」とレース後に語る。おめでとう、池江さん。