◆2014年夏より、閩江大学の学生たち(日本語学科3回生)5〜6名が、毎年、神戸の大学の「夏季セミナー」(2週間)に参加している。2週間のうち2日間だけ自由行動日があるので、そのうちの1日を日帰りで「京都」に来てもらうことを毎年続けている。今年は6名が日本に来た。今年は7月11日(水)に来日予定だったが、台風8号が中国福州に直撃上陸したため飛行機が欠航、翌日の12日に予定を変更して来日した。
私が日本に帰国した13日(金)直後の、15日(日)、京都に来ることとなった。「午前10時30分にJR京都駅の七条口改札付近で待ち合わせをする」ということにしていたが、はたして神戸からここに無事に来ることができるか多少の心配はあったが、日本語が上手な学生も多いので、大丈夫だろうと思っていた。はたして、10時30分に指定の場所で会うことができた。その神戸の大学の学生2人とも合流したので合計8人。まず、今日一日の京都でのおおまかなスケジュールを全員に告げた。この日も京都は38度という高温の猛暑日だった。
まずは、このままJRを乗り換えて山陰線で「嵯峨嵐山駅」に向かう。嵐山に行って渡月橋付近の桂川(保津川)の冷たい水の流れに親しんでもらおうと思ったのだが、7月10日前後の西日本豪雨災害の影響が残り、保津川の水はまだまだ濁っていた。ここで流しそうめんの昼食を計画していたが、流しそうめんの店も沢が豪雨被害で使えず開店休業していた。そうとわかったので、嵐山滞在は15分くらいできりあげることとした。ただただ暑く、みんな大粒の汗がしたたり落ちるだけの嵐山だった。嵐山行は完全な失敗・誤算だった。
大汗をかきながらみんなは嵐電(京福鉄道)に乗り、立命館大学や金閣寺方面に向かった。立命館大学構内の図書館内にある喫茶店に入り昼食をめいめいがとることとなった。涼しいのでしばらく体を冷やしての休憩が十分にとれた。大学構内に、「立命館土曜講座」の看板があった。7月のテーマは「朝鮮半島を巡る国際関係と日本」。7月28日(土)の講師は藪中三十二氏(立命館大学国際関係学科客員教授)となっていた。参加してみようかなと思った。昼食休憩後、バスに乗り近くにある金閣寺に向かった。金閣寺で冷たい抹茶をお点前で飲む体験をしてもらった。その後、タクシー2台に分乗させて、出町柳の鴨川に向かわせた。
通称、鴨川三角デルタとも呼ばれる場所がある。賀茂川と高野川が合流して鴨川となる場所だ。出町柳地区に着き、さっそく鴨川に行く。暑い暑い猛暑の京都、この鴨川は豪雨災害の影響も癒え、清流が戻っていた。学生たちもここはとても楽しくて気持ちがいいらしく、次の希望地(錦市場)もあったのだが、ここにずっといたいようだったので、2時間あまりをここで過ごした。川の中で、ジャンケン水かけ遊び(負けた人に全員が水をかける)などに興じていた。
前日に予約していた祇園白川沿いの石畳の道がある場所にある店「祇園・侘助(わびすけ)」に午後5時に 入った。1時間あまりの貸し切り状態としてもらった。ここで、同志社大学に留学中の閩江大学卒業生の任天楽君とも合流した。「おばんざい料理」など、日本の家庭料理を学生たちに堪能してもらった。中国人観光客もこのへんは多く、親子三人が浴衣を着て白川に架かる小橋の上で撮影をしていた。
祇園祭りの宵々山の縁日で賑わう八坂神社の様子を見てもらい、午後7時前に石段下でタクシーを2台拾い、京都駅に向かわせた。神戸への帰りは神戸の大学生も一緒なのでJRの乗換などは安心して任せられた。宿泊先の寮の門限は午後10時。祇園で学生たちと別れた私と任君は、先斗町の「みちのく」という行きつけのカラオケ居酒屋で飲んで歌った。午後9時すぎに、「私達は無事に寮に戻りました」との電話連絡が入った。
午後10時ころ、この店を出て、鴨川にかかる四条大橋へ。河川敷の鴨川には、まだ大勢の人が等間隔に座り、涼を求めていた。京阪電車の特急に乗り丹波橋に向かう。丹波橋駅で、任君と別れて、京阪電車の普通列車に乗り換えた。その後、今日の暑さや気疲れのためか、大阪中の島の終点まで眠ってしまった。また、京都方面への普通列車に乗り換えたが、また眠ってしまい、京都の終点出町柳まで行ってしまった。車掌さんに起こされて、淀行までの最終電車に乗り、眠気をこらえて乗車。淀駅下車後タクシーで自宅に着いたのは午前1時半の時刻となってしまっていた。長い一日だった。