京都祇園祭は、京都・八坂神社(祇園社)の祭礼で、明治までは祇園御霊会(ぎおんごりょうえ)と呼ばれた。九世紀の869年より続く京都の夏の風物詩である。祭行事は八坂神社が主催するものと、山鉾のある京都の町衆が主催するものに大別される。例年、7月1日に始まり、7月31日までの1か月間、さまざまな祭礼行事が続く。
この祇園祭のハイライトとなっているのが、14日~16日の「宵山」と呼ばれる、各山鉾町内で行われる縁日や、17日前祭(さきまつり)での山鉾巡行、24日後祭(あとまつり)での山鉾巡行や千人あまりの花傘巡行、そして、同日午後8時ころの数基の神輿(みこし)が八坂神社に戻ってくる神輿還幸だ。長年、この祇園祭を見続けていて、後祭の花傘巡行や神輿還幸が最も見応えがあり興奮もする。「夏祭りだ!」という感がする。まあ、山鉾巡行もいいことはいいのだが‥。
コロナ禍のため2020年より中止されていた山鉾巡行が、ようやく3年ぶりに今年行われた。コロナからの復興を象徴する京都の祇園祭の賑わいでもあった。14日には、山鉾の曳き始めがあり、宵々々山がおこなわれた。15日は宵々山、そして16日には宵山となった。
16日付朝日新聞には「3年ぶり 京の華やぎ」の見出し記事で、宵々山の人の賑わいを伝えていた。16日の午後2時頃、京都の四条河原町にある高島屋デパートに、帰省土産用の阿闍梨餅を買いに出かけた。宵山に向かう人も増えてきていた。浴衣(ゆかた)姿の女性も多い。「京の華やぎ」の光景だ。
16日の午後7時すぎころから、NHKでは「祇園祭宵山実況中継」が放送されていた。俳優の佐々木蔵之介、女優タレントの村井美樹、そして、渡邊佐和子アナウンサーが実況。四条通りは人で埋め尽くされていた。この宵山には、娘の家族たち5人も出かけていったようだ。
17日、前祭の山鉾巡行を一目なりともと思い、見に行った。コロナ禍までの山鉾巡行の時よりも人出が格段に多いと感じた。ものすごい見物人の数だった。前日までの雨が上がり、青空の見える日となった。
2020年1月からの長いゝコロナ禍の苦労もあってか、祇園ばやしの笛の音や鉦(かね)を聞き、山鉾の巡行を眺めていると、ちょっと胸があつくもなった。
この祇園祭の山鉾巡行が中止になったことが、これまでの祇園祭の長い歴史のなかで3度あった。一度目は、1467年から11年間続いた応仁の乱で京都は戦乱の巷(ちまた)となり、町は灰燼に帰し、33年間、祇園祭での山鉾巡行は中断されていた。二度目は第二次世界大戦による1943年~46年の4年間の中断。2015年には大型台風11号のため中断が検討されたが、風雨の中で、巡行が行われた。そして3回目の中断がこのコロナ禍による2020年21年の2年間の中断だった。
1500年代以降も、戦国時代の京都での相次ぐ戦乱、江戸時代の3度にわたる京都の大火、幕末の蛤御門の変での京都の町の焼失などなど、いくたの困難の祇園祭の歴史の中でも、山鉾巡行中断(中止)は三度しかなかったのは驚きでもある。
ちなみに、1670年代に始まったとされる「五山の送り火(大文字の送り火)」も歴史が長い。毎年8月16日に行われるが、中止されたことは1度だけある。第二次世界大戦中の1943年44年の2年間だ。米軍による空襲に備え、灯火管制が敷かれたためだった。この2年間は、16日早朝に近隣の小学生400人と地元住民400人、合計800人余りが大文字山に白いシャツを着て登り、白の大の字を表現し、戦争で亡くなった英霊たちを弔った。2020年・21年は規模を大きく縮小し、大の字の6つの点にだけ点火するものとして実施された。今年は、今のところ全面実施の予定だが、コロナ第7波の感染急拡大で、縮小の可能性もある。祇園祭の後祭の花傘巡行もコロナ拡大のために、中止とななることが昨日、決定された。残念だが‥。
17日、数基の山鉾の巡行を見たあと、祇園白川石畳の通りに行く。浴衣姿の女性や結婚前の花嫁・花婿衣装の人が記念写真を撮ってもいた。
この祇園白川石畳の通りにある「辰巳大明神」。祇園の人々の信仰の篤い小さな神社だ。まだあまり開花していないが、百日紅(サルスベリ)のピンクの花と祇園の伝統的家屋とのコントラストの光景が美しい。
近くの白川柳並木。暑い夏、ここは涼し気だ。水辺でいろいろな人がいこいでいた。女子中学生らが、川に入り石投げをして遊んでいた。
この日の午後、福井県南越前町の故郷への帰省をするため、京都市内から福井へと向かった。