6月13日(土)に福井県の故郷に帰省し翌日14日(日)、京都の自宅に戻る途中に、琵琶湖の東岸の彦根城に久しぶりに立ち寄ってみた。彦根藩35万石の堂々たる、見事な近世城郭に惚れぼれとする。この城郭の二の丸跡にヴォーリス建築があると知り行ってみることにした。
小さな住宅建物で、近くの滋賀大学経済学部か彦根東高校かの外国人教員用の宿舎だった建物のようだ。今も誰かが住んでいるようなようすがうかがえた。シンプルなあまり飾り気のないいい建物だった。
ここからしばらく広大な二の丸跡地を歩いて堀を渡ると滋賀大学経済学部の校舎群があった。和洋折衷の美しい建物が正門近くにある。ここからは、彦根城の本丸曲輪にある白い3層建ての三重櫓が見える。
彦根市の南の方にある滋賀県豊郷町。ここの旧豊郷小学校校舎群に初めて行くこととなった。この校舎群は2000年代に入って、校舎群の取り壊しを巡って大きな騒動になったことがあったことを記憶していたが、特に有名になったのは昨年の7月に京都アニメーションの放火殺人事件が起きてからだ。
京都アニメーション(京アニ)が製作したアニメーション「けいおん」の舞台としてこの校舎がモデルとなったからだったった。特に事件の後、京アニの作品のファンがここを多く訪れるようになった。「京アニの聖地」とも呼ばれ全国から人が訪れるようになっている。そして、この校舎群がヴォーリズが設計した建物群だと私が知ったのはつい最近の6月上旬のことだった。ぜひとも訪れたくなったが福井県への帰省のこの日まで待った。
校舎群に到着した。広々とした正門からの眺め。白亜の殿堂という感じの校舎群だった。まるでどこかの国立大学の伝統的な歴史ある建物のようだった。そういえば、東京工業大学や東京の基督教大学のメイン校舎と全面の芝生に似ているようにも思った。
数あるヴォーリズ建築の中でも、小学校の建物として当時、「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」といわれるほど立派で、平成25年には国の登録有形文化財にも登録されている。ここ豊郷町は日本の大商社「丸紅」発祥の地であり、近江八幡市とも隣接し、近江商人が多く輩出された地域でもあった。当時の丸紅の専務だった古川鉄治郎氏の建築費寄贈で当時のお金で36万5000円で1937年に建設された。当時の町の年間予算の10倍の費用だったという。今は町立図書館や子育て支援センターなどとして利用されている。校舎内の見学は自由となっている。
校舎内に入ると1階の長い長い板張りの廊下。趣のある低い段差の優しい階段。手すりにはウサギとカメのブロンズ像の装飾。最初は一緒に並んでいるウサギとカメだが、階段をゆっくと登って行くとだんだんカメが先を進んでいる様子が表現されている。校舎内のいたるところに見られる装飾は当時から子供たちを見守ってきたのだろう。
階段を登って2階に、ここも長い長い板張りの廊下。教室を覗くと懐かしい木の机といす、そして教卓や黒板。2階校舎の端には小さな講堂のような音楽教室があった。校舎二階の裏手を見ると、新しく造られて10年以上は経過している3階建ての豊郷小学校が見えた。この新しい校舎はけっこう立派だがどこにでもあるような校舎。運動場では体育でサッカーの授業をしていた。
1階に戻って酬徳館という建物に入る。日曜日なのでこの日はカフェーも営業していた。ここ旧豊郷小学校校舎群は2010年以降からさまざまな映画(「君の脾臓を食べたい」「だいじょうぶ3組」など)やTVドラマ(NHK朝ドラ「べっぴんさん」)の撮影場所にもなったようだ。べっぴんさんの主人公・すみれが通う高等女学校の校舎としても。
2階に上がると「けいおん」関連の資料や楽器などが並ぶ。3階は「けいおん」(高校軽音楽部)の部室のモデルとなった部屋があった。
白亜の講堂の建物があった。この講堂は椅子と机がずらりと並べられていた。講堂の隣には学校の水田が。この水田は現在も小学生たちの実習田になっているようだ。稲の苗が植えられていた。
◆豊郷小学校の解体と新校舎建設を巡る社会事件ともなった問題とは
1999年、当選した大野和三郎町長は、豊郷小学校の建物群を解体し、新しい校舎を造ることを発表した。2000年に入り、この解体計画に多くの町民が異議を表明し始めた。住民たちにとっては自分たちも小学生時代に学んだ誇るべき校舎群。2002年には反対運動の会も作られ活動。町長は校舎の解体工事をこの年に強行しようとしたが、会の住民らを中心に校舎群に立て籠もる事態になり、それを排除する町長側との間に流血事件も起きた。2003年になり住民リコールが成立し町長は失職。
ところが1カ月後の町長選に大野氏は立候補し当選。再び町長となる。同時に新校舎を建設し始め翌年の2004年2月下旬に完成。施行は滋賀県の高島市に本拠をおく桑原組。町長と桑原組との癒着がずっと噂され続けてきていた。3月5日には「もうすぐ卒業する6年生にも短いが新校舎での学校生活を体験させたい」との理由で、式典も行わず新校舎に移転させた。町長はゼネコン型の町長のようで、それなりに地元の支持もあったようで、その後 町長を退職後に県会議員に当選している。
そして、世論もありこの校舎群は解体されることにはならず、2008年には耐震補強が施され現在に至っている。そして今、豊郷町の観光の目玉ともシンボルともなり、ヴォーリズの建物は今も残った。