長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

卵かけごはん

2016-08-15 07:42:08 | Weblog

天真庵のHPにリンクしてある「八郷(やさと)農場  暮らしの実験室」

から、元気な夏野菜と卵が届いた。

今日これからの卵かけごはんに使うものだ。味噌は手前味噌。卵は

八郷で平飼いされた元気なにわとりさんたちが産んだもの。餌は彼

らが育てた無農薬野菜。よっぽど人間さまよりも、不足さく自由に育ったものだ。

昨日はモロヘイヤをお浸しにした。熱い湯でゆでると、ねばねばやわやわに

なるけど、熱めの温くらいの中に10分くらい入浴させ、それを冷水でゆすぎ、

蕎麦汁をぶっかけてあげる。しゃきしゃき感を残しながらも、味がしみ、食べるだけで

薬事法にひっかるくらい元気になる。元気な「甘唐辛子」も入っていた。これはフライパンに

水と適宜な塩を入れ、そこに野菜を投げ入れ、水分がなくなり、夏のゴルフで服や帽子から

塩が吹いた、そんな状態のところまで、ゆっくり炊く。「料理とはこんなもの」「おいしい野菜とはこんなもの」

という真髄がわかる。

「八郷農場暮らしの実感室」からは野菜といっしょに、農場の暮らしを綴った冊子がおくられてくる。

野菜の調理法も書いてあるけど、どうやって野菜や鶏を育てているか、などという「田舎の日常」も

書かれていて楽し。都会から日曜日とか、有給使って「農場体験」するもよし、永久休暇をいただき、

移り住む、もよし。人生いたるところに青山あり、だ。

いけない。卵かけ・・・が始まる。


能登に里帰り

2016-08-14 08:29:05 | Weblog

能登からおくられてきた梅が、梅干しになって、先週能登に里帰りした。

30k以上きたのを、かみさんが一気呵成に塩漬けにし、外の干物用のあみに

ほしてつくったものだ。紫蘇は使わないけど、「始祖・梅干し大師」みたいにシンプルな味である。

里帰りの人たちから、スイカとか、果物とか、自家製の野菜なんかをおすそ分けしていただくと、

すぎに、できたての能登の梅干しをジプロックにゆめて、お返しする。

「原始的ぶつぶつ交換」ほど、幸せの報復ビンタはない。お互いに笑いながら抱腹しそうなくらい、幸せだ。

来年から始める「梅林ガールズ」の活動も、そんな「これからのゆたかな暮らし」に向けての活動

になるに違いない。

各地で盆踊りが盛んな季節。東京でももちろんある。一番人気はなんてたって「東京音頭」だ。

煎茶の家元の奥さまのじいちゃんが、西條八十さん。東京音頭の作詞をした人だ。とりわけ、この墓標の詩が素敵だ。

 

われらふたり、たのしくここに眠る、離ればなれに生まれ、めぐりあい、みじかき時を愛に生きしふたり、悲しく別れたれど、また、ここに、こころとなりて、

とこしえに寄り添い眠る

 


梅林ガールズ 松竹梅

2016-08-13 08:15:15 | Weblog

昨日の梅林ガールズ、さっそく反響があった。梅は「産みなさい、新しいことをやりなさい」という言霊。

二月に「菌活の会」こと味噌作りをやる。今年は84人あつまった。

たぶん来年は100人になるかもなんばん。そのころ梅の花が咲き、

6月くらいに梅を収穫に能登半島にいくことになりそうだ。味噌と梅が

自分で作れるようになり、できたら、蕎麦打ちもでき、「かえし」も自分で

つくれるようになったら、どこでも暮らせる準備ができる。山で暮らす人は、

山菜とかキノコ採りを習うといいし、海で暮らす人は釣りをやればいい。

一か所に定住しなくて、海と山を好きな時にいくような二股暮らしもいいし、田舎

と都会の二股暮らしもおもしろい。気のむくまま、足のむくまま、いろんなところで生き

暮らすのは、これからの生き方の「ひとつ」のありかただと思う。

松竹梅。松は「待ちなさい」という言霊。人には出番がある。その時まで待つ、というのも才能では

なかろうか?竹は、長けたもの、自分の「役割」というものを知りなさい、という言霊。

いろいろな節目もあるけど、まっすぐにのびていく生き方に、人生を投影させてきた。

なかなか暮らしにくい世の中になってきたけど、「夢」をしっかり持っていれば、大丈夫。

今日もまた好日なり。


会員募集!!  梅林(バイリン)ガールズ

2016-08-12 08:54:48 | Weblog

昨日は午前中に「卒啄珈琲塾」

クーラーをつけるほどではなかったけど、焙煎をしはじめると

温度が少しあがる。

少し深く豆を焙煎し、いつもより多めの豆を石臼で挽き、能登島

から汲んできた水を沸かし、飲むと、涼やかな珈琲の風を感じる。

老子の「道(タオ)」を感じる瞬間。

銀座の骨董屋から電話があり、そんな時はいつもおもしろいものが入った

時(自分からは、こんなものが入ったとはけっしていわない・一流の骨董屋の流儀)、

にでかけた。

京都には「山紫水明処」という場所がある。煎茶を生涯楽しんだ「頼山陽」の書斎で

文人茶を楽しんだ空間の模範みたいなところ。広島の人だが、なぜだか、北九州の

小学校の騎馬戦のことを「川中島」といい、頼山陽の「川中島」を吟じながら、始まる

のがならわしだった。

骨董屋の二階にいくと、頼山陽の書簡、つまり手紙を表装した軸がかかっていた。

宛名が「鳩居堂」になっていて、どうも「甘酒の作り方を教えてほしい」というような内容だ。

また、好日居かや亀岡あたりでお茶会をやる時に、面白そうなので、「もってかえります」

といって包んでもらった。帰りは東京駅まで歩き、汗をかいたので、八重洲地下街で、

ドイツのなんやらビールを飲んでお店に戻った。帰省客で混雑している東京駅に「季節」

を感じた。季語のない東京では、衣替えや、帰省ラッシュの時などに、季節を感じる。

夜は「無茶しぃの会」

矢羽すすきと萩を掛け花にし、南條先生の短冊をかざり、井上春峰のすすり茶碗で、

玉露を楽しむ。まさに「清風」を感じる時。

能登に移りすんだ煎茶のお弟子様がおくってきた梅を梅干しにしたのをおすそわけした。

来年は、有志を募って、能登の梅林にいって、梅をつみ、梅干しをつくる女子を募集することにあいなった。

能登の女子がうまい名前をつけた。「梅林(バイリン)ガールズ」。座布団もんのだ。縁側にすわり、涼やかな風の

中で梅干しをころがしながら、茶を飲む。「日本人に生まれかわってよかった」と、幸せな一服。


忘れがたき一杯の茶

2016-08-11 08:27:52 | Weblog

午前中は「卒啄珈琲塾」。いい香りに包まれるけど、もくもくサロン。

昔博多に「もくもくサロン」というたばこ屋か葉巻やみたいなものがあった。

浪人中のころだったから昭和50年ころ。でも喫茶店もパチンコ屋も飲食店も

どこでも「もくもくサロン」だった。今は愛煙者の肩身が狭く、居場所がかなり制限される時代になった。

天真庵のカウンターは、近くの居酒屋の「百尺」というお店から譲りうけたものだ。ソフトバンクの王さんも

縁があり、カウンターにとまったらしい。この界隈には「元祖ちゅうはい」のお店が何店もあり、そこも

そのひとつとされる伝説の店だったらしい。店名の「百尺」は、夏目漱石の「草枕」の一節から命名

された。それを読むと、このカウンターの素材が「ひのき」であることがわかる。

昨日はソフトバンク時代の戦友が煎茶の会にきた。奥さまは、佐賀出身なので、昨日は

売茶翁の話をし、福岡・星野村の「しずく茶」を楽しんだ。そのくんが「お茶がほとんど飲めないですね」

というので、草枕の一節を紹介した。玉露は飲むものではなく、舌の上にのせて甘露を味わうものだ、

みたいなことが書いてある。吾輩は猫ではないが、「草枕」は吾輩のバイブルである。

能登半島から毎月通ってこられる奇人、いや貴人さんたちと、愉快なお茶会を楽しんだ。

今日もこれから「もくもくサロン」で午後は、無茶しぃの会。

売茶翁が茶道具を背負ってお茶を売る時、「清風」という旗をたてた。

一服の茶を喫する、というのは、自然と一体になることであり、風やさやさやという水の

流れを感じる時でもある。昨日は能登で汲んできた水を使って楽しんだ。一期一会の刹那の幸福。

 


夏はスイカがうまい。

2016-08-09 08:51:21 | Weblog

昨日は、IT業界時代の親友が遊びにきた。

汗びっしょりになりながら、大きいスイカを一個ぶらさげて・・。

池袋時代は、いっしょのビルにお互い仕事場をかまえた時期もあり、

夜のブクロのねえちゃんのいるお店で、よく遊んだ仲でもある。

鯉で有名な佐久の生まれで、よく冬になるとワカサギ釣りにもでかけた。

テレビや釣りの雑誌でみると、よく釣れるイメージがあるけど、あれは釣れたとこだけ

紹介しているので、釣れない時のつらさとか、寒さというのは、やってみなけりゃ

わからないところがある。確か3年続けていって、防寒具とか道具も揃えたけど、4年目

からは、誰もいこうといわなくなった。

もう30年くらい前だけど、うちの父が手術をして、かなり衰弱している時に、彼が佐久の鯉の

甘露煮を持ってきてくれ、それを食べたら医者もびっくりするくらい元気になったことを思い出した。

そのおかげもあって、91歳になった今でも、毎日庭の手入れもすれば、碁や酒を楽しんでいる。

恋の力もすごいけど、鯉の力もすごい。こんど、彼に鯉の甘露煮を天真庵でつくってもらう予定だ。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

 


うなたまもどきも、いいネ

2016-08-08 07:41:13 | Weblog

昨日は、蕎麦打ち教室のあと、「なんとなくそばと鮨を喰う会」だった。

飛騨高山から、なんとなく・・・にドタサンされた女子を含め、5人で

不思議な会をやった。

普茶料理には、「もどき料理」というのがある。精進を基本にするので、肉など「なまぐさもの」

は使わない。でもどうしても食べたい時に、「もどき」を作る。その典型が「うなぎもどき」。

山芋をすりおろし、それを蒸して、皮には「海苔」をつけ、たれをつけて、さんしょをかけて

食べる。昨日は、魚のすりみでつくった「もどき」を使って、うなたまを作ってみた。

昔、新宿に「ゴリ」というお店があり(今も移転したけど新宿にある)。そこにいくと「うなたま」

を酒肴に、手取川を飲んだ。

昨日は、あなごを煮て、今年天国にいった鮨のじいちゃんが置き土産においていった「つめ」

をつけて、鮨にした。瞬間、6人で鮨会をやっている気分になり、杯をひとつ増やした。

二年間、鮨会をやってくれて、いろいろなことを教えてくれて、旅立った。

その他、まぐろ、かわったものでは、チーズにプランターの万能ねぎをからめて、チーズ鮨を

つくってみた。北海道のなんやら牧場でつくった柔らかいチーズ。これはなかなかいける。

これから「卵かけごはん」夜は「福の会」


さよならだけが人生  ではないが・・・

2016-08-07 08:34:43 | Weblog

昨日は「ねんどの会」

コネルが先月閉店し、そこの店主が、今月末に仙台に引っ越す。

昨日は「おわかれ会」を兼ねて最後の教室。彼女は「菌活の会」の最初のお弟子様でもあり、

この街で始まった「墨田ぶらり下町音楽祭」や「ものこと市」でも、尽力され、この街の「やさしいおねえさん」

みたいな存在だった。だけに皆に惜しまれながら押上をでる。ご主人は、ぼくの蕎麦のお弟子様でもある。

昨日は「獺祭」をみなで飲んだ。獺、かわうその祭り。彼らは獲った魚を並べる習性があり、その収穫際みたいな

行事の縁起から命名したらしい。かわうそはひょうきんな顔をしていて、人間的な動物だけど、臓物も人間のそれに

近いので、ながいこと、医学界の解剖とか薬の実験などに使われてきた歴史もある。

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「女蕎麦打ち道場」&「なんとなく鮨にも挑戦会」

この日だけは、「どんな鮨をにぎろうか?」などと朝からワクワクしている。

明日は「卵かけごはん」夜は「福の会」  そういえば福の会の福田先生とは、コネルの創業の日

にコネルで出会った。こわもてのヤクザみたいな顔したおっちゃんが、わわいらしいお店にいる組み合わせの妙

から声をかけ「町で会ったら、すれ違うこともはばかれそうなくらい恐い顔されてますが、なにものですか?」

と声をかけた、のがきっかけで、「易の会(福の会の前身)」が始まった。縁とは妙なものである。

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だ。無駄のない縁で繋がっている人たちの輪が、またもう一歩

広がっていくような感じがする今日このごろ。日々是好日。そういえば、昨日、甥っ子の「こうた」の友達が

蕎麦を手繰りにきてくれた。ふたりとも若くて美人で、しかも「京都にいってきたんで」といって、「あじゃりもち」

をくれた。「こんど好日居にいってこいや」といったら、ふたりとも「行ったことがある」とのこと。

ぼくは、「あぶりもち」と「あじゃりもち」が大好きなのだ。


亀ブラ

2016-08-06 08:39:00 | Weblog

昨日、銀ブラのことを書いたら、銀座の骨董屋さんから手紙と、古本

がおくられてきた。今年85歳になる元気な骨董屋さん。

いつものように鉛筆で近況を書いてある。「雨にも負けず、年にも負けず、がんばっています」

とのこと。かっぱブラの後、亀ブラもやった。暑い日だったけど、体の調子がすこぶるいいので、

歩いて亀戸天神近くの骨董屋をのぞく。売ることよりも買うほうが好き?な主人。2か月前から、

「あれ、いただく」と買うものがきまっているのに、そのものの前に買ってきた商品が山積みされて

いて、とれない。ほんとうに商売っけのない人だ。「おわび」といって、届いたばかりの醤油の一升ビンを

もらった。それをかかえて、帰路を汗だくで帰る。このお店にくると、骨董品の話が10分、残り50分かそこら

は、「料理」の話。彼は毎日愛妻弁当を楽しんでいる。愛妻が作るのではなく、愛妻のために彼が毎日作るのだ。

その日は、アナゴののり巻き。アナゴの煮方を講釈している時に、その醤油の話になり、それが土産になった。

目的は果たさなかったけど、不思議なものを抱えてかえるはめになった。明日の「なんとなく鮨を喰う会」

あなご鮨をやってみようかしらん。

今日は「ねんどの会」  コネルさんが先月で緞帳を下げ、今日が最後の会。

おわりは始まり、でもある。色即是空。の後に空即是色、と般若心教ではなっている。

形あるものはやがてなくなる。しかしなくなった後にまた何かが生まれる。

人生は生・滅・生・滅を繰り返しながら、ゆらゆらとただゆらゆらと、ゆっくりした流れのように

いくのらしい。

昨日のライブは、「今ここ」のえにしを、お客さまと演奏者といっしょに感じた。

来年の春で10周年だけど、10年やってきて、はじめて感動できることがあるし、続けてきて

よかった、生きていてよかった、を感じたライブやった。天恩感謝、なのです。


かっぱのブラ?

2016-08-05 08:58:29 | Weblog

銀座でブラブラするのを「銀ブラ」という。ほんとうは、「銀座でブラジル」が源水らしいが・・・

いよいよブラジルでオリンピックも始まる。昨日はかっぱ橋をブラブラした。さながら「かっぱブラ」だ。

仕事がら、かっぱ橋にはよくいく。でもほとんど買い物はしない。包丁売り場は相変わらず、外国人

が土産にするみたいで、そんな人たちがいっぱいいる。自分は、職人から直接買うので、かっぱ橋で

買ったことはない。陶器売り場も、同じようなような人たちでごったがえしている。うちの器は9割が久保

さんに作ってもらっているので、かっぱ橋で買うことはない。珈琲の器具を扱うユニオンさんにも顔を出す。

水出し珈琲の器具は、近所のガラス職人にやってもらているし、ドリッパーは角居くんや久保さん、ポット

かわりのミルクパンははらみか、ミルは石臼職人に珈琲専用のものをつくってもらっているので、そこでも

買い物をすることは、皆無。でもなぜかときどき、思い出したように「かっぱブラ」をやる。

昨日は、先月、普茶料理にきてくれたお客さんの弟くんがやっている天ぷら屋さんでランチ。

夏の暑い日にキスのテンプラを酒肴にビールなんていうのは、たまらない。

すし、てんぴら、ふぐ・・・・近くの「浅草」には、名店といわれているお店が多いけど、少し歩いてかっぱブラを

してみると、負けない、どころか似て非なるくらい、うまい店が界隈にはある。

今日はピアノとハーモニカのコンサート。16時閉店。