長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

芸術の秋とかスポーツの秋とか・・・サンマを喰う秋

2015-09-27 08:11:49 | Weblog

こないだまで暑い暑いとうだっていたけど、一年のうちで、一番過ごし

やすい季節になった。昨日はネットで注文した炭が、まとめておくられてきた。

10月の末くらいから、炭で暖をとる、のがならわしである。もちろん真冬は

石油ストーブも使用し、ながらで、湯を沸かしたり、2月は大豆を炊いたりしながら

一石多鳥のエコ生活。今年の冬は炭であぶったもんを、メニューにない商品にしたい、

などと考えたりしている。

珈琲を供する店なので、匂いのきついものは遠慮がちになる。池袋時代は、かぼす

が手に入り、魚屋の店頭にさんまがでまわる今ごろの季節には、炭でさんまをあぶり、

だいこんをやまんごとすり、かぼすをしぼり、酒のつまみにしたもんだ。

恵比寿のテナントビルの一角にへんなお店があった。主人ひとりでやっていたけど、手間を惜しまない人で、

契約上は微妙というか違反だったと思うけど、ビルの階段に七輪を置いていて、秋にはサンマをそれで焼いてくれた。

ただし、サンマを焼く時間はお店の番がいないので、それを注文した人が、主人になりかわって、お酒やつまみの追加に

追われたり、新しいお客さんがきたら、席に誘導し、つきだしをだしたり、飲み物を用意したりするのがならわしだった。

酒好きの主人はそれがもとで60の坂をこせずに逝ってしまい、店もそれきになったけど、自分の中では、東京の店で

3本の指、いやいちばんだったと思う。一代限り、マニュアルにもならない、70億の一の「個」を全うした人生だったと思う。

さて、今日は日曜日。日曜日は16時で閉店。それ以降は「日曜蕎麦の会」

最近の蕎麦のお弟子様たちは、農業をやり始めたり、ほんとうに田舎に住みはじめたり、蕎麦を自分で栽培するような

人が増えてきた。10月には、八郷の「暮らしの実験室農場」で蕎麦の収穫祭をやる予定。11月29日はそこで「蕎麦打ち」を

やる。蕎麦打ちは自分が教えさせてもらったけど、生き方全般は、学ぶこと多し、である。

明日の朝は「卵かけごはん」  手前味噌がゆっくり広がっていくように、月曜日の朝もファンが少なからず増えてきた。

炊きたてのごはんに、ちゃんとした飼い方をした鶏の卵を割り入れ(天真庵では、少しちがった究極の食べ方をすすめていますが・・)

、遺伝子組み換えとかでない国産大豆をつかった醤油をかけ、具だくさんの味噌汁、米編に健康の康がついた糠につけた漬物や

ちゃんとした野菜の漬物を食べる、という日本人が昔から続けてきた「簡素な朝餉(あさげ)」。

夜は「順受の会」 20年続いている「論語の会」。人生には、30の坂、40の坂など坂もあるけど、大きくわけて

「上り坂」「下り坂」「まさかの坂」があるらしい。上り坂と下り坂は、なんとかなる坂で、上手にやるとどちらもそれなりに

楽しい。でも「まさかの坂」を迎えたら、ひごろの「友達つきあい」とか「人間力」の問題になるらしい。そしてこれから

東京オリンピックあたりまでは世界中で「まさかの坂」になりそうな気がする。

火曜日は「書をしよう会」    最近お花の先生に掛け軸をいただき、二階にかけてある。

明治維新の動乱期を生き、自由民権運動にも尽力し、最後はお寺で絵を描いている最中に筆をもったまんま

天国に召された、という気骨の人の絵。藤森桂谷先生が描いたものだ。生きていた人の生きていた息吹の瞬間が

永劫の力を持っている。それを見る人に人生観を変えくらいの力がある。まさに芸術。

生きている間は、美しいもの、音、こころを感じ取れる感性の鏡をさびないように磨き続けていたいものだ。