長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

彼岸花が満開

2015-09-20 08:41:59 | Weblog

誰かが勝手にお店の前に植えた彼岸花が真っ赤に咲いている。

先日お茶の仲間が、橙色の彼岸花を、水引といっしょにもってきてくれたので、

カウンターのうえの「銅壺(どうこ)」の中にある徳利を花器にみたて、投げ入れたら

お店の中が「秋」になった。

この秋に、近くの百花園で、織田流煎茶道の人たちがお茶会をやることになった。

昔から多くの文人墨客に愛された場所。そこの主人が、「あの花はいつ咲くのですか?」

という質問に閉口するが、彼岸花だけは「お彼岸に必ず咲いている」といった話を聞いたことがある。

さすが別名曼珠沙華。サンスクリットな世界というか仏の縁深い花であることがわかる。死人花ともいう。

今日は「お花の教室」があるので、先日花屋さんがすすきを届けてくれた。

彼岸花もすすきも秋を連れてくるような花だ。二階の床の間には、晩秋の枯木に鳥が残り柿のように

一羽とまっている絵。そこの掛け花に「矢羽すすき」を手向けたら、その鳥が笑ったような顔になる。

人が花を見る。花も人を見る。人が絵を見る。絵も人を見ている。その絵は先週世田谷のお花の先生

よりゆづっていただいたもの。たぶん花を生ける時にずいぶん活躍した彼女の分身みたいな絵であろう。

もうひとつ、おばあちゃんに素敵な木の花台をいただいた。それは表のショーウィンドウに入れ、そこに

蓮月茶碗をおいてみた。いつもそれでお酒を飲んでいるけど、こんど煎茶を入れてみよう。

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「がんばれ蕎麦打ち日曜特別講座」

明日は祭日だけど、朝は「卵かけごはん」をやります。(8-10)


翁のおめんが空気を変えている

2015-09-19 08:59:34 | Weblog

先日の「普茶料理の会」の時、おれきれきが二階に上がる時に、

翁の能面の前で立ち止まった。なんとも不思議な存在感。ホンモノの

芸術とは一瞬にして人の人生を変えることがある。反対に、人はホンモノにふれると、

一瞬で人生が切り開けていく。なんだかしらないけど、そんなものだ。

普茶の会の前日、仕込みが終わって、銀座の骨董屋をのぞいた。主人は85歳になり、昨年は

体調をこわされていて、時々お店の前にいっても看板がでていなかった。その主人から

ハトサブレがおくられてきて、中にメッセージが一言「おあいしたい」とひらがなで書いてあった。

まるで伝書鳩が大事な文をもってきた感じだったのと、なにか大事な遺言でもあるのかと思い、

いそいででかけた。やはり看板がでていないが、お店のウィンドウには、大好きな太田垣蓮月尼の

掛け軸がかけてある。ピンポンを鳴らすと、主人がでてきた。すぐに握手して、二階の仕事場、掛け軸

が飾ってある部屋に通される。昔はここに「二時間以上はおしゃべりをしないでください」と張り紙があった。

もっとも一時間半以上は主人がしゃべるのだが・・・。京都の話、名も残さず死んでいった文人、奇人、奇僧の

話になると、まさに機関銃トークになる。少し体調をくずしていたので、しゃべりはじゃっかん緩やかになった。

「そろそろ、かっぽれの準備があるのでおいとまいたします」と言って立ち上がろうとすると、「少しはやいですが、

還暦のお祝いをわたそうと思います」といって、奥の部屋から掛け軸を持ってきてくれた。

山本玄峰老師の一番弟子で、書だけでなく俳句や芸術を愛し、たくさんのお弟子さんを育てた「中川宗淵」老師の

軸。「人寿」が大きくかかれていて、「申年のひゆく 人寿 無量かな」と書いてある。

三煎めの玉露を吸い切り、握手をして、またおあいしたい伝言をし、押上にもどった。

自宅の床の間に軸をかけ、酒をさかずきにいれて手向け、いっしょに飲んだ。雨がたいそう降っていたけど、

一瞬にして部屋の中は快晴になった。日本人は昔はどの家にも、「私設美術館」という床の間があり、

好きな軸を掛け、好みの花器に季節の花を投げ入れ、花鳥風月を楽しんでいた。今は昔の話になったが。

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


まめまめしく生きる

2015-09-18 08:36:01 | Weblog

今朝の新聞に辰巳芳子さんの記事が大きくとりあげていた。今日の朝日新聞は

わざわざ買う価値がそれだけである、と思う。

料理の本の中で、彼女のものほど、理路整然として、ちゃんと理(ことわり)

がしっかりしたものはない。まさに料理は、材料の野菜や豆などの自然の理を

勉強するものだ。いったものがち、みたいに「料理研究家」などと称して、ボリボリ

やっている人たちとは異次元の世界だ。

彼女が取り組んでいる「100粒キャンペーン」というのがいい。小学生が大豆

を100粒植え、育て、収穫する。「ひとつぶひとつぶ」の命が自分たちに命で

あることを学ぶことができる。まさに「食育」であり、粒々皆辛苦を体で納得するものだ。

アホな政治家さんたちも、もしも字が読めたら、今日の新聞を読んでほしいものだ。

大手スパーで安く売られている豆腐一丁は、「大豆6粒」で作るのがでてきたらしい。

「くそみそ」より似て非なるものが、この世の中にはいっぱいある。

小さな一粒やけど、「天真庵手前味噌倶楽部」も、今年二月に65人の参加があり、

毎日大豆を水につけ、昼間はストーブでことこと煮て、いろんな奇人さんたちがやってきて、

めいめいの家の手前味噌を作っていった。ほぼ口こみで5年くらいでそれでかになったので、

たぶん来年は100人くらいになると思う。少し前に「100匹めのサル」という現象が話題になった。

離れ小島のおさるさんが、芋を海水で洗って食べるようになり、その数が100匹を越えた時、

よその島や、地域のサルも同じように芋を洗って食べるようになる、という方式。

国会の前には、その何百倍の人たちが集まって、国の行く末に声をあげている。中にいる

サルたちは「みざる、きかざる、いわざる」を決め込んでいるみたいだけど、そんな猿芝居は

そろそろ緞帳を下ろし、まともな人間になってもらいたいものだと、つくづく思う。

今日は「ダメ中」  だめから始める中国語。ただ今まいこ先生から、中国語でメールがきた。

多士済々で元気な女子たちが集まるとっても愉快で家族的な会。


漬物祭り

2015-09-17 08:43:54 | Weblog

宇治の黄檗山を開いた隠元和尚は、隠元豆など野菜を中国から日本に持ってこられ、

精進料理の元になる「普茶料理」を紹介した。京都のお寺のまわりにおししい豆腐屋さん

があるのは、そのおかげである。普茶料理は「普(あまね)く大衆に茶を施す」という

隠元和尚の「おもい」が入った料理で、煎茶と禅との「茶禅一味」という思想の中心にある。

そんな歴史があるので、煎茶の茶会などで、土からの成果物を飾ってお祝いするような神事のような

茶会が連綿とおこなわれてきた。昨日のかっぽれの後の蕎麦会は、大分の最高かぼすを会のメンバー

がくれたものがあったので、それで「花」(そば焼酎)にしぼり、炭酸で割って、妹からおくられてきた

漬物3種と、ぼくが漬けた糠漬けで飲んだ。初めてのこころみ「おでん・そばどん」も秋から冬にかけて

盛り上がりそうだ。おでんは、鍋の中に、いろいろな「たね」がいっぱい入っていて、それが調和されて

いるのがいい。それをつつく人も、それぞれの「個」があって、どれも同じでないほうがいい。

今の時代に「かっぽれ」とか「着物」とか「お茶」とか「お花」とかを愛でるような人は、少数派で

「奇人」と世間では呼ばれるような人が多い。でも奇人は変人よりも、貴人に近く、70億のいち、

つまりこの星に生きている人のなかで唯一無二のものを生かしている人だ。みんながそうなれば

世界中の鍋が、いいおでんになる。人と人が楽しく生きていく、ということは、そうゆうことではなかろうか。

昨日は「翁」の能面を飾り、花のおばあちゃんから譲り受けた掛け軸をいくつか紐といてみた。

花鳥風月とはよくいったもので、花を飾る床の間に花を添える、みたいに鳥や景色を描いたもの

がいくつもあった。今日の「普茶料理」は、アラカンの同世代の同志みたいな人たちなので、なんかそれに

ふさわしい軸をかけたいと思い、朝一番で花をいけ、軸を飾った。その軸を見ながら煎茶を一服。

今日も楽しい1日になりそうだ。日々是好日。

明日は「ダメから始める中国語」

茶が中国から伝わってきたので、茶器や掛け軸もその影響を受け、山紫水明の図や、

中国の漢詩も書家や禅林が好んで描いた。翁の面をいただいたおばあちゃんの荷物の

中に、「楓橋夜泊」が入っていた。唐代の詩人・張継(ちょうけい)が詠んだ漢詩で、これで

彼は世界的な詩人になる。「科挙の試験に落ち、絶望していた時に、泊っていた舟に、寒山寺

の鐘の音が聴こえ、その音に、「あ、あの寒山拾得なら試験に落ちたくらいでは、なんともないのではないか」

と自分のちいささを悟った」みたいな詩だ。明日はこれを、中国語の先生に中国語でろうろうと詠んでもらおう。

昔の日本人は、「寒山拾得を知らないのは、日本人ではない」くらいに、日常だったことが、おばあちゃんの荷物に

よってわかった。

 

 


これから必要なものは、軍隊ではなく、見守り隊

2015-09-16 07:46:16 | Weblog

昔から日本では「結」(ゆい)といって、その地域地域で、住民がいっしょになって、田植えをしたり

稲刈りをしたり、今回みたいに大雨で洪水になったり、地震があったりしたときに、助け合う制度があった。

核家族や都会に地方から人が住み、アパートやマンションなど、隣はなにをするひとぞみたいな建物に

住むようになったり、一軒家も昔の舟宿よりおしく一階に舟のように駐車場を置き、そこから家に入ると、

隣のうちと挨拶もするチャンスがないような住宅に住むと、醤油や砂糖と貸し借りはおろか、隣の家で

喧嘩や殺傷事件や孤独死があろうと、知るすべがない。

そんな中で少子高齢化が進み、独居老人が増え、これからますます増えていくことは自明の理なので、

墨田区では「見守り隊」という制度をもうけて、町全体で「孤独な老人さんを中心に身守ろう」という制度がある。

その協力隊?後部支援?にうちのかみさんが選ばれた。担当によると、「老人に好かれる」という理由らしい。

確かに、92歳で召される前日まで、蕎麦を珈琲をほぼ毎日飲んだじいちゃんや、86歳で入院する前日まで

「おんなの昼酒」を飲んでいたおばあちゃん、赤く染めあげた髪に着物と草履はいてやってくる86歳のたまちゃんなど、

元気印の先輩たちがカウンターに座ることが多いし、その予備軍はあまた後方に控えている。

これからの「地域に必要な寄りあい場所」という意味で、カフェの役割も少し進化を遂げつつあるやもしれない。

昨日は、目黒でお茶の先生をやっていた89歳のおばあちゃんが「断捨離」とか「終活」の意味も含めて、

「使う人がいたら、使ってほしい」ということで「お茶道具」をいただきにいった。

おまけに、昔のJALのロゴが入ったバッグ(昔は飛行機に乗るとこれをプレゼントされた)などもいただいた。

桐箱に丁寧に包まれている能面らしきものもあって、それをあけると、「翁」の面が入っていた。彼女の旦那さん

で大正8年産まれの方が持っていたものらしい。とても表情がいいので、さっそくお店に飾ることにした。

ら、タイムドメインの主催者のイワジーが負けないくらいの慈愛に満ちた顔でやってきて、その面と面会。

伸ばしかけた髭があと3年くらいすると、鏡映しになるくらい似ているかもなんばん。彼も先日65歳になった。

順受の会が始まってからの付き合いなので、21年目のお付き合いになる。

今日はお店はお休みだけど、「おんなかっぽれ」があるので、これを書きおえたら、お店にいって準備。

明日もぼう大手上場会社の社長さんたちがやってきて「二階で普茶料理」をやってくださることになっているので、

その仕込みもしなくては。

♪遊び仲間に 酒飲み仲間 苦労しとげて 茶の仲間

隠元和尚が日本に伝えた「普茶料理」というのは、奥が深いし、ひょっとしたらこれからの日本人の

生き方を示唆してくれるようなものになるかもなんばん。 

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 

 


究極の卵かけごはんと、玄米食のコラボ

2015-09-15 08:16:07 | Weblog

「月曜の朝は卵かけごはん」だ。8時から10時の2時間だけのごはん。

昨日は昨年岐阜の春日茶を積みにいった時知り合いになった老舗のお茶屋さんの女将さん

がこられた。「押上式?」というか、究極の卵かけごはんの食べ方を伝授させてもらった。

優美?かどうかはわからないけど、静かに広がっていってる手ごたえみたいなものを感じる今日このごろ。

時々玄米を食べたくなるけど、卵かけごはんには不向きで、やはり白い飯、ギンシャリがいい。

夜は「福の会」だった。この会にくる人は先生を筆頭に、玄米菜食が好きな人が多いので、昨日は

下関のおばちゃんにもらったひじきを炊いて、玄米を土鍋で炊いて、玄米ひじきごはんを作った。

玄米を炊くのに、わざわざ圧力鍋や最新式?の炊飯器を買う人が多いけど、なんてこたない土鍋で

チンではなくちゃんと炊ける。少し水に浸しておいて、土鍋の蓋をとって、強火で炊くねん。

そうすると2合だと5分くらいで沸騰してくるので、そこに冷たい水を入れる。金冷法も水を

使うけど、水ってすごいね。びっくり水いいます。米もまらもびっくりして、はじけるのだ。

ほんで、二回目に沸騰(金冷法ではない。玄米よ)してきたら、弱火にして15分くらい炊く。

それを10分くらい蒸らすと立派なむすこ、もとい玄米が炊きあがる。

それに天下無敵の「ひじき煮」を入れてまぜると、マクロビ人たちもまーびっくり、黒光りした

夕餉の最高峰めしができあがる。ひじきは、小皿いっぱいで牛乳一本くらいのカルシウム

がとれ、ビタミネたっぷりの健康食。玄米は世界に知れたにっぽんの宝なのです。

昨日は、日本一の卵「暮らしの実験室やさと農場」の卵と、そばのお弟子様が沖縄から

土産にもってこられた「沖縄の胡椒」を使って「もやしの卵とじ」を作った。

ちゃんとした卵は「生」でよし、卵焼きでよし、もやしでとじてよし・・・どれも「かげん」が大事ですが。

さて今日は「タイムドメイン」

月に一度の「持ち寄り夕餉の会」

気のおけない仲間たちに「いっしょに聴きたいCD」、「いっしょに飲みたい酒」、「いっしょにつまみたい酒肴」

を持ちこんで談論風発する日。酒のソムリエ風、野菜のソムリエ風、オーディオおじさん、音楽評論家・・

多士済々な愉快な仲間たちが天真庵に集う日。

明日は店は定休日だけど「おんなかっぽれ」

明後日は店は定休日だけど、「二階で普茶料理の会」だいぶ涼しくなって、精進料理の原点みたいな

普茶料理が恋しくなる季節。

 


秋の大祭

2015-09-14 07:38:24 | Weblog

昨日まで、近くの神社の大祭だった。神輿がでて、いつもはうらぶれている十間橋通りも

少しにぎわった。ひょっとことおかめのめんをかぶった踊りもあったりして、盛り上がった。

元気が旅立ったのがこの祭りが終わってすぐだった。HPの「元気の写真集」のどっかに、

玄関をあけて覗いている写真があるはずだ。祭りの「わっしょい」というのは、韓国語で

「いらっしゃった」みたいな意味らしい。神様がいらっしゃって、現象世界と実相世界を

共に楽しみ、生きている、生かされていることに感謝する、五穀豊穣を祝う、それをまた

先祖や神に供えて、悠久のいとなみの中にいる「今」を生きる、そんな意味だろう。

「福」という字は、田んぼでとれた稲や成果物を、神棚に手向ける、という象形文字だ。

今回の大雨で、たんぼや畑の被害も甚大になった。自然の神の畏敬をわすれ、

現世の自分ダケ、金ダケ、今ダケ、の人間の浅はかな欲に対して、何かの啓示なのかもなんばん。

これから「卵かけごはん」

妹から「元気つくし」と、いろいろな漬物がおくられてきた。京都の学生時代に九州に里帰りすると、

山芋のとろろめしと高菜の漬物でどんぶり3杯くらい食べていた。

でんぷんは、米でも麦でもじゃがいもでも、「生」で食べると必ず消化不良をおこすが、まか不思議

ではあるけど、「そば粉」と「とろろ」だけは、生で食べても消化する。つまり、それらには、強い消化酵素が

入っている。特に山芋のジアスターゼは消化力とともに、おとこを元気にすることこの上ない。

「メニュにない品」の中で「とろろそば」が一番人気である。うちの「もち麦」を混ぜて、麦とろめしにしたら

「天下無敵の元気ごはん」になる。

これから「卵かけごはん」夜が「福の会」

 

25日(金) 『倍音の森』 ライブ

 

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

 

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


カラスなぜなくの?

2015-09-13 08:57:19 | Weblog

昨日の早朝、東京が久しぶりにぐらっと大きく揺れた。

ヌエの鳴く日は恐ろしい・・・・そんな映画があったけど、ぐらっと揺れるやいなや

カラスたちが、「地震だ!」というカラス後で仲間たちに知らせていた。昨日は野良猫たちも

どこかに避難したのか、見かけなかった。311の時は、町のネズミたちもどこかに避難していたみたい。

人間も本来は動物的な予知能力があったのだと思うが、今では退化してしまって、犬猫はおろかネズミやゴキブリ

にも及ばない。

昨日は「インヨガ」だった。一時間以上静かに、呼吸をみつめ、しっかりインヨガをすると、五感が研ぎ澄まされる

ようだ。いつもは珈琲を飲む人たちが、カフェインレスの黒豆珈琲にかわったり、カウンターの上に天井からぶらさがって

いる「炭八」という自然の空気清浄器に異様に反応したりする。とてもいいことだと思う。病は気から、

元気の気を整えることはとても大事なことだ。

今日は日曜日なので、16時閉店。それから「日曜蕎麦打ち塾」

明日は「卵かけごはん」・・・・糠漬けの糠は、お米編に健康の康。発酵食品がいいとわかって

いても、テレビなどでブームになったとき「ダケ」、一生懸命にやっている人が多い。今は「三ダケ主義」の時代だけど

・・・・金ダケ、今ダケ、自分ダケ・・・

明日の夜は「福の会」  お金ダケ、自分ダケ、今ダケでは、絶対に幸福になれないことが、この会

で勉強するとよくわかる。


地震 雷 火事 おかま

2015-09-12 08:11:31 | Weblog

今朝蕎麦を打っていたら、グラリときた。

久保さんの珈琲カップがカウンターの上で揺れていて、それでだいたい震度がわかる?

311の時、余震が続いたので、それまで珈琲カップにしていた古伊万里の猪口をやめて、

久保さんの白いカップにし、それをカウンターの上にぶらさげている。

東京湾が震源らしい。いよいよ30年以内のある日が近づいてきているのかもなんばん。

ま、明日くるよ、といわれててもどうしようもないけど、きたらきた時だ。

一日が一生であり、今、息をしている一瞬一瞬が生かされているを感謝する人生。

良寛さんが、信濃で大地震にあった時、運命を受け入れなさい、と、こんな有名な言葉を残した。

彼の書もいいけど、この言葉は、人生に値千金の名言だと思う。

難に逢ふ時節には災難に逢うがよく候、死ぬる時節には死ぬがよく候(良寛)

今日は「インヨガ」(珈琲蕎麦つき2000円・ただし満席)

一瞬一瞬の自分の息の中に人生を感じるようなもんやろね。ヨガしかり、禅しかり、

お茶とかお花とか、日本の「道」がつくもんはみな。一日に10分でもいいから、

そんな時間を持つといいね。みんなそう思っているんやろうけど、流されているんやろな。


猫も木から落ちる

2015-09-11 08:29:11 | Weblog

雨がやっとあがった。

さすがに一昨日の夜は雨の中をお店にいき、一階の茶箱に入っている珈琲の生豆を

ニ階に避難させた。さいわい、東京の川は氾濫しなかったけど、どうもかなり危険なところ

までいっていたようだ。このあたりはゼロメートル地帯だし、昔の民家には、天井に小舟あたりが

ぶらさげてあったみたい。自衛隊の救出技術はすごいな、と痛感した。あの人たちが、無益な戦争に

駆り出されて犬死させるような法案をアンポンタンな政治家たちがアンポとかいって躍起になっている。

もっと「やらなければならないこと」が、いっぱいあるはずだ。火山とうい怪獣の背中にのっているような我が国。

美しい山や川や海に囲まれているけど、人間の想念がくずれると、自然の神様がすぐに猛威をふるって何かを気づかせようと

する八百万神(やおよろずのかみ)があちこちに宿る神の国ニッポン。

昨日は無茶しぃの会をやった。お弟子さんの一人が、なにかの?お礼に、

茶具敷をもってきてくれた。なんとご自分で藍染めした糸を、手織り機で鶴の恩返しよろしく、

織ってくれた。茶室の空気が静謐になった。これからは「原始的ぶつぶつ交換」がいい。お金では買えない

ものが毎日の生活を豊かにする。

野良猫の「てん」の子供が時々自宅に遊びにくる。窓辺に置いてある神代杉の文机の向うにベランダがあり、そこに

竹のベンチがあり、そこに二匹がたたずんでいる。先日池の横にある槇の木に登っている時に、上手の手がすべって

池に落ちた。プライドが許さないのか、すぐにあがって、なにもなかったように胸を張っていたけど、全身水びたしで

震えていた。犬も歩けば棒にあたり、猿も木から落ちる。ましていわんや猫も池に落ちる。それもけっこうなことだ。

24日(金) 『倍音の森』 ライブ

演奏:田嶋真佐雄(コントラバス)・熊坂路得子(アコーディオン)
尾引浩志(ホーメイ・口琴・イギル)・luna(うた)

19時開場 19時半開演 ¥5,000(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)