長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

金沢新幹線

2015-02-14 08:19:57 | Weblog

来月14日に開通する金沢新幹線の切符が本日発売らしい。

マニアックなファンがいるので、数十秒くらいで始発の切符が売り切れる、という予想らしい。

ちょっと昔は、メガネとカメラをぶらさげた日本人が、買い物ツアーなる「観光」をしていたけど、

最近はアジアのほかの国の観光客が、日本にあまたやってくる。観光立国というか、これから

我が国ニッポンは、海外からの観光に依存する割合が増えてくるのだろうけど、

「観光名所にいって、買い物をする」というのが、「観光」なの?という素朴な疑問が、ごはん

の後に歯にはさまったもののように残る。

天真庵の玄関は、般若くんが枠組みを作り、取っ手を、角居くんがつくってくれた。二人とも

金沢出身で、毎年のように浅野川の川端の素敵なギャラリーで展覧会をやっていたので、金沢には

よくいった。東京からのアクセスも一時間以上短くなるらしいけど、「時間」という自然にさからって、スピード

をあげた分、見失ったり、見つけられなくなったり、人間の生理と波長があわなくなってしまうものが多いような気もする。

金沢という街は、ぬる燗でゆっくり体に酒がしみ込むように、そうろうと歩いてこそ、よくわかる街のような気がする。

 


究極の湯豆腐

2015-02-13 08:29:57 | Weblog

二階で普茶料理は、とても楽しかった。

普茶料理とは、普(あまねく大衆に茶を施す、という期待を込めて、

隠元和尚が日本に「禅」といっしょに伝えた料理で、精進料理の基本

になっている。いんげん豆、で親しまれているとおり、かぼちゃなど野菜も

日本に紹介してくれた恩人みたいな中国人の高僧さん。

よって、普茶料理には、豆腐やおから料理や、ヘルシーでスローフードで

日本の風土にもあった料理があまたある。

京都のお寺のまわりにおいしい豆腐やがあまたあるのも、隠元効果。

冬の比叡おろしが吹き、しんまで凍てつくような底冷えがする夜、たる源さん

の湯豆腐桶に昆布の出汁がきいた豆腐を救って、女酒といわれる伏見の名誉冠

かなんかのぬる燗で飲む、という贅沢は、日本人なら一度は味わってもらいたいものだ。

「たかが豆腐」ではない、奥深い滋味が毛細血管の隅々まで染みていくはず。

水曜日は、初めてポールくんが参加。「英語で蕎麦会」というのはあるが、「英語で焙煎」。

石臼にも興味をしめし、らしくないアメリカの青年。ぼくがもう少し若かったら、珈琲の道具や石臼ミル

をかついで、アメリカ大陸を縦断する夢を語ったら、青い目を輝かせていた。

こんな話をしていると、今日あたり、毎月カリフォルニアから蕎麦を手繰りにくるスティーブン

がやってくるかもなんばん。いつも鳥南蛮こと、ほっと鶏そばを食べ、煎茶を飲んでいく不思議なアメリカン。

昨日はベテランさんたちの珈琲塾。昼ごはんに、「湯豆腐」をやった。

うちの「湯豆腐桶」は、特別仕様でお燗ができるように工夫されている。昨日は横で味噌作りも

やっていたので、大豆で一献、大豆が温泉に入っているような寸胴からもれる匂いで飲む酒は、これまた

格別の味がする。

その後は、二階で「無茶しぃの会」。山田まんじゅうをお茶うけにし、星野村の煎茶を堪能する。

「寿」と書いた土岐二三の掛け軸と、木瓜の可憐な花が「春」を感じさせる。   感謝


お豆も玉も金冷法がいい?

2015-02-10 08:56:47 | Weblog

今朝の東京の気温はマイナス2度だった。庭に貯めた水も、小さな池も

うっすらと氷がはった。寒いけど目白たちは元気に遊びにきて、みかんを

啄ばんでいる。

こんなに寒い朝は、蕎麦を打ち(今日は普茶料理の会もあるので、花を生け、お茶をたてた後に蕎麦打ち)、

そのまま朝飯前に珈琲豆の焙煎をした。お店の温度も9度くらいだったけど、焙煎を3回すると、一度あがって10度になった。

焼きあがった珈琲豆をざるに入れ、外でギンピをとり、うちわで仰いで、余熱をさます。炭になる直前まで熱された

ものが、マイナスの外気で急冷させる、まるで金冷法だ。豆にも、金ではない玉にも、これほどいい健康法はない。

日曜日は下で、蕎麦打ちをやり、二階が味噌作りだった。本日は下で味噌作り、二階の座敷が「普茶料理風そば会」。

「寺ごはん」みたいな普茶料理を食べると、身もこころもひきしまる思いがする。今日は大企業の社長さんたちだけど、

ぼくの線香臭いうんちくに耳を傾けながら、お茶事をしたり、蕎麦を手繰ったりするひとときを共に楽しむ。

だいぶ慣れてきたけど、この会は、少しあらたまった静謐な時間をつくることがとても大事なんで、花の生け方や、

掛け軸なんかに少し気を使う。それがとても気持ちがいい。煎茶道を勉強していてよかったと思う。

明日明後日は「卒啄焙煎塾」&「無茶しぃの会」

明日は、外国の方も入門される。3人の大型新人が参加。名前は忘れたけど・・・ワインの名前とか、外国の人の名前は覚えにくい。

「ポール」にしておこう。

「大道無門」・・・老若男女を問わず、「やりたい」と思う人には、「門」など無用、という禅語。

珈琲道も茶道も、そんな気持ちでやっていきたいと思う。やってみたい、と思うことが大事。


ぞくぞくするようなライブが目白おし上げ

2015-02-08 08:33:18 | Weblog

昨日は「恵那の仙人」さんが、蕎麦を手繰りにきた。

この先生が来られる時には、不思議なことがいつもおきる。

夕方タケシーがライブの前に蕎麦を手繰りにきた。その時に、

音楽家がきていたのだが、「来月会う予定」だったとか、こんどレコーディング

する時にお世話になる人だとか、無駄のない縁で、根っこから繋がっている人

たちが、結びついた。

まず3月14日のホワイトデーのライブは、ぞくぞくするようなライブになりそうだ。

今日は日曜日なので16時でおしまい。

それから「蕎麦打ち無門塾」

二階では「味噌作り」

昨日は二歳になるかいらしい女子が「はじめてのお使い」よろしく、味噌作りに参加した。

手の洗い方も、もみじみたいでかわいらしい。それを見ていたたまちゃんが、また口三味線で

♪もみじみたいな手をあわせ・・・・と始まった。

たまちゃんの弟子が今月から3人増えた。先月の月曜日に、別々にきた3人娘が、そんな具合になった。

月曜日は、月、月といえば「卵かけごはん」 この日は月の引力が不思議な魔力を発揮する。

夜は「福の会」  易学の勉強会を、今年からそう変更した。

11日(水)・12日(木)は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」


ラッキーくん

2015-02-07 08:29:41 | Weblog

JRの板橋駅前に、「近藤勇の墓」がある。板橋宿というのは中仙道の江戸の玄関

であり、人やものがあまた交差した場所。そこから明治通りまで、桜並木があり、春は

桜の花のトンネルができる。元気も大好きで、桜の季節はしっぽに花弁をいっぱいつけて

歩いた道だ。コモディー・イイダの発祥の場でもあり、当時は「飯田百貨店」といっていた。

その商店街の入り口に古色蒼然とした「鰹節屋」がある。10年前までは、看板娘ならぬ

看板猫がいて、あまたのアマチュア写真家のモデルになった。「鰹節屋の猫」、こんなラッキー

な猫はいない。そこから100mくらい明治通りに向うと、老舗の「海苔屋」がある。そこに、

元気と仲良しだった柴犬の「ラッキーくん」がいた。その海苔屋の前に、公園があり、18年くらい前

に捨て犬だった彼を、海苔屋の主人が広い家族の一員にした。その話を聞いた人たちが、「この

子はラッキーね」といったので、天の命名よろしく、「ラッキー」になった。歯医者にいくたんびに、覗く

けど、旅立ったようだ。花の命も、犬の命も、人の命も短し、恋せよ乙女。

うちの味噌作りも盛況だけど、各地で味噌作りが盛んになっている。味噌の材料にもなる裸麦や

繊維質が米の20倍以上ある「もち麦」や、大人気の「黒豆茶」を作ってくれている愛媛の農業家

から彼が寄稿した新聞がおくられてきた。

「農業は非効率だとか言われているけど、自然の視線でみると、その土地の景観や風土、それが

もたらしてくれる物心両面の恵みからいうと、100年の計と同じように、豊かさの原点」見たい

なことが書かれていた。ほんとうにそのとおりだと思う。

あまりにも、小さなトレンドに右往左往したり、目先の損得に近視眼でそろばんをはじくような輩

ばかりだと、この国の未来は危ういかもなんばん。

拾われたラッキーくんを家族にした海苔屋さんが後日、「ぼくたちのほうがラッキーだった」と言っていた。

脚下照顧ではないけど、足元の小さなところに、幸せはころがっている。

今日も味噌作り。明日は「蕎麦打ち無門塾」  味噌つくりは二階でやります。

月曜日は「卵かけごはん」夜は「福の会」

火曜日は味噌作り

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」


土をこねる、と元気になる。お米も元気つくし

2015-02-06 08:26:49 | Weblog

昨日は、「昼めし旅」なる番組で、ぼくの「まかないごはん」が紹介された。

ごはん(福岡の元気つくし)を土鍋で炊き、15分で炊けるので、それから5分くらい蒸らす。

そしてそこに、玉露の葉をいれて、まぜるだけ。いたって単純なごはん。

久保さんの唐津の茶碗のテレビ写りが最高だった。毎日食べるごはん茶碗は、

自分が気にいったものを使うと、ごはんが3倍くらい美味くなるし、人生が100倍以上幸せになる。

同じくいっしょに紹介された「張福」さんは、織田流煎茶道の同志であり、張福という字と天真庵

の字は、貞本さんが書いたものだ。コーンフレークを味噌汁に入れる、という昼ごはんも、うまそうだった。

味噌汁に蕎麦を入れる、というのが究極の食べ方、と最近思っている。そんなメニューが浸透するまで

50年くらいかかりそうだけど・・・

今日は「ねんど」がある。秋葉のカフェに精通している女子がくるので、おすすめのカフェを聞いてみよう。

日曜日が「蕎麦打ち無門塾」

月曜日が「卵かけごはん」 傍らで「朝練・蕎麦打ち教室」夜は「福の会」


昼めし旅

2015-02-05 10:43:53 | Weblog

そんな名前の番組がテレビ東京であり、本日天真庵も旅の途中ででるかもなんばん。

関東エリアだけの番組。

昨日はまさに歩く昼めし旅だった。もともと長く住んでいた池袋、

といっても上池袋(道路へだてた向うが北区滝野川)の近くに、歯医者があり、

いろいろあうんでいけるので、毎週のように通うようになった。ちょうど治療が終わると、

昼ごはんが食べたくなる。地元のも、池袋にも、大塚にも、いきたい店があるけど、

昨日は神保町まで電車でいき、古本をリュックいっぱい買占めた。今は昔、昭和の58年ころ、

神保町に小さな事務所を借り、会社がスタートした。組んだ相手とはすぐに馬があわなくなり、

秋葉原にも事務所をつくり、しばらく二つの会社を歩いて往復する「ふたまた人生」が始まった。

途中の「まつや」は今もお昼からそば喰いでごったがえしている。秋葉の肉の万世のターローメン

いやばーこーめん?それは、けっこう食べた。そのころの秋葉原は「やっちゃば」つまり、野菜の市場

があり、全国からトラック野郎さんたちが集まってきたので、ガテン系の男の胃袋を満たすような食堂

があまたあった。そのころからメイドカフェがあったら、今以上に不思議な街になったと思う。

毎日この街で生きていたので、駅前にいたビラ配りのおっちゃんやおばちゃんたちとも顔なじみだった。

もえちゃんたちに、チラシをもらったりしたけど、先をいそぐ昼めし旅。そこから湯島天神まで歩き、

「鳥つね」で親子どんぶりを食べる。夜はそれなりに予算がかかるが、昼は「親子どんぶり」が1600円。

手羽のから揚げとサラダがついたセットが2600円。それにぬる燗を2本つけてもらって、ここで飲んだ人

たちのことを少し偲ぶ。その後は、偲ばずの池まで歩く。

生来方向音痴なのだが、自分が生きてきた街と街はなんとか繋がるものだ。秋葉時代は、接待は

神田須田町の料理屋や、浅草まで足をのばし、もっと勝負がかかっていた時は、向島までいって三味線

のおねえさんたちとかっぽれや都々逸を楽しんだりしたものだ。

上野からかっぱ橋まで歩いて、「ほうろく」を買いにいく。来週新人さんが3人珈琲の塾に入門するので・・・

でもほうろくがなかった。二階で普茶料理をやる時に、備長炭も使うからそれも調達するつもりだったけど、

売り切れだった。ないときは、あるものでなんとかする、という哲学もとっても大切なので、そのまま吾妻橋を渡り、

スカイツリーが男根よろしくたつ押上村まで完走、いよ完歩。お店に立ち寄ると、音楽家の家族が「味噌作り」

を終わったところだった。小さな赤子が傍らで昼寝しながら、その子の命を紡いでいく味噌をつくる。

味噌は日本人の命である。

明日は「ねんど」がある。

日曜日が「蕎麦打ち無門塾」

月曜日が「卵かけごはん」 傍らで「朝練・蕎麦打ち教室」夜は「福の会」

 


そばを手繰り 酒を飲みながら 英語がペラペラになる

2015-02-03 08:45:15 | Weblog

昨日は「長屋で女史会」だった。今は、味噌作りの毎日。

味噌汁と蕎麦が最強の名コンビとばかりに、昨日はなめこ汁を作って

その中に蕎麦を投げ入れ、長野の「とうじ蕎麦」よろしく、寒い夜をアツアツつつきながら

酒を飲む予定でいたけど、昼間に同じようなことを考えてる人が重なり、蕎麦が空に

なり、不言実行(空になった鍋は、ゆーだけ(湯))になったので、かわりに徳島で調達したうどんを

入れた。体の中がうずしおのように温かい流れになった。

今日は「英語で蕎麦会」

20世紀の終わりに友達のビル・スメールさまが、ウィッキーさんよろしく「ぼくの名前みたいに、ビールとスルメで英会話ね」

といいいながら始めたのが原点。今は岩本先生とフランス人のDさまが、楽しい英会話を教えてくれる。岩本先生は下戸

やったけど、みなに鍛えられて、砂糖をやめて左党(大工は右手にトンカチ、左手に鑿(のみ)をもつ。その「のみ」を「飲み」

にかけた。うちの夜の勉強会では、酔うと庵主がそんなウンチクをくりごとのように説明したりする。)

になった。ま、毎日のように、そんな不思議な蕎麦会付き勉強会が、うらぶれた長屋で行われている。

明日は「立春」やね。徳島にいく前に愛媛を車で走っていたら「梅錦」の本社の前を通った。大好きな酒。

近くの酒屋で、梅錦を2本ゲットした。そこのお店に「立春朝搾り」というのがある。春が立つ日に、神主さん

立ち会いで、酒を絞る、というのが全国的に静かなブーム。

「立つ」というのがいい。ぼくのいった大学にも「立命」というりっぱな立つがついている。校歌も

♪天の命名・・・・とある。すごいやろ。くらきまゆちゃんも歌った。

晦日が明けて、次の月のはじまりも「ついたち」という。匂い立つ、というのもいい。

突然に新しいことが起きる、みたいな時に「立つ」が使われてきた。男も立たなくなると、

金ではない玉になりさがる。

今日のお昼は、十間橋が世界に誇る「お菓子の名店」の「ながしま」さんの恵方巻き。

 


究極の卵かけごはん

2015-02-02 07:23:10 | Weblog

今日は寒い月曜日。月曜日の朝は月見ごはん、TKGこと「卵かけごはん」。

はじめから脱線すると九州では「きみ」のことを「きなみ」という。

昨年末に茨城の八郷(やさと)の有機農園で蕎麦会をやった次の朝に、とれたての

卵をつかった「卵かけごはん」をごちそうになった。その時にそこの「卵かけごはんの伝道師」

に、「究極のたまごかけごはんの食べ方」を教わった。時々、気がむけば、お客さんにも伝授している。

「コロンブスの卵」と同じように目からうろこのたまごがオギャーだ。

その「八郷」で先週末に「都会から田舎に移住したい人の日帰りツアー」を実施したらしい。

あの里山の風景と空気を吸ったら、東京砂漠で一生を過ごす人生の空しさを感じるだろう。

「若者よ、田舎は会津磐梯山だ。たからの山がやまんごとある」

和歌山の串本に移り住んだ林くんたちの「田並劇場」も、ちゃくちゃくと改装が進んでいるようだ。

今年の新蕎麦のころにはそこで「蕎麦会」ができそうだ。

今日の夜は「長屋で女史会」 いよいよ源氏物語まできた。

この講義をきいていると、神代から生きているような不思議気分になる。

この東京で生活していると、昭和までしか語る余裕はない。京都や奈良までいくと、

奈良平安までの話ができる人が増える。九州までいくと、も少し前の話が聞こえてくる。

火曜日は「英語で蕎麦会」。

水曜日が「かっぽれ」

 

 

 


2月は日曜日から始まるんだ。蕎麦打ち教室は来週が初日。

2015-02-01 08:28:33 | Weblog

昨日は晦日。みそかに味噌をたくさん仕込む。

準備をしていたら、たまちゃんが蕎麦を手繰りにきた。

「今日と明日を間違えた。わたしゃ、ただのノウナシのババーになっちゃた」と落ち込んでいる。

昨日が浅草で「出番」があったのに、すっぽかしたみたいだ。「そんなこともあるよ」と励ますも、

芸人人生一筋の「すじ」が許さないみたいだ。いろいろ考えてみると、今年からカレンダー

を吊るしていない、というのが間違いのもとではないか、と思い、カミサンが

「冷蔵庫にマグネットでカレンダーをつけようか?」といと、「あそこはジャーニーズの居場所だからだめ」だと

のこと。うちにある動物のカレンダーをあげることにした。

うちもそれが飾ってある。日曜日が一番左になっていて、会とかの予定がビッチリ書きこんである。

今日から新しい2月。今日は何も書いていない。つまり、「卒啄蕎麦打ち教室」は8日(日)が初日

ということだ。こんな寒い中を、わざわざ遠くからまちがえてこないことを祈る。

昨日は6時くらいから味噌作り。寸胴からうまそうな大豆を似たにおい。

昔は蕎麦も精進料理といっしょで「寺方蕎麦」とかいって寺でだされていたのが始まりだというのが有力説らしい。

その時は、鰹節ではなく大豆の茹で汁に醤油を入れて蕎麦汁にしたという文献が残されている。

昨日は茹でた大豆の匂いを酒肴に、白鷹をぬる燗にしてカウンターのすみで飲んだ。幸せな気分

が五臓六腑にしみわたる。

明日は「卵かけごはん」夜は「長屋で女史会」 いよいよ源氏物語まできた。

男と女の歴史は、男と女がしたかしなかったの歴史。かの有名な陶芸家がそういっていた。いいえて妙だ。

火曜日は「英語で蕎麦会」。昨日はアメリカのなんちゃらという田舎?から若くて、2メートルくらいある青年

が蕎麦を手繰りにきた。日本語ができない。

でもここは日本なので、「日本語のメニューはないよ」というと、「おまかせする」といような英語をしゃべったので

「ざるそば」をだした。器用に箸をつかい、つるっとはいかないが、するすると蕎麦を手繰った。

「どや、テーストは?」と聞くと、頭を傾けた。「ま、しゃーない。最初から蕎麦がうまいはずはない。英語も

難しいけど、日本語も日本の文化もむずかしいね」とゆっくり日本語でいうと、「ぼくはスペイン語は得意だ」

と英語で返してきた。「口直しに珈琲はどや?」と丁寧にきくと、「お願いします」と英語で答えてきたので、

「これが、ほぼぶらじるで~す」といってだしたら、「うまい」みたいな顔をした。「イティ イズ ジャパニーズスタイル」

と初めて英語らしきものを発したら、顔を赤くして笑われた。英語でなくとも、なんとかなるものだ。

ちなみに、仕事でニューヨークに何度もいったけど、ほとんど日本語で用を足してきた。なんとかなるもんだ。