長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

昼めし旅

2015-02-05 10:43:53 | Weblog

そんな名前の番組がテレビ東京であり、本日天真庵も旅の途中ででるかもなんばん。

関東エリアだけの番組。

昨日はまさに歩く昼めし旅だった。もともと長く住んでいた池袋、

といっても上池袋(道路へだてた向うが北区滝野川)の近くに、歯医者があり、

いろいろあうんでいけるので、毎週のように通うようになった。ちょうど治療が終わると、

昼ごはんが食べたくなる。地元のも、池袋にも、大塚にも、いきたい店があるけど、

昨日は神保町まで電車でいき、古本をリュックいっぱい買占めた。今は昔、昭和の58年ころ、

神保町に小さな事務所を借り、会社がスタートした。組んだ相手とはすぐに馬があわなくなり、

秋葉原にも事務所をつくり、しばらく二つの会社を歩いて往復する「ふたまた人生」が始まった。

途中の「まつや」は今もお昼からそば喰いでごったがえしている。秋葉の肉の万世のターローメン

いやばーこーめん?それは、けっこう食べた。そのころの秋葉原は「やっちゃば」つまり、野菜の市場

があり、全国からトラック野郎さんたちが集まってきたので、ガテン系の男の胃袋を満たすような食堂

があまたあった。そのころからメイドカフェがあったら、今以上に不思議な街になったと思う。

毎日この街で生きていたので、駅前にいたビラ配りのおっちゃんやおばちゃんたちとも顔なじみだった。

もえちゃんたちに、チラシをもらったりしたけど、先をいそぐ昼めし旅。そこから湯島天神まで歩き、

「鳥つね」で親子どんぶりを食べる。夜はそれなりに予算がかかるが、昼は「親子どんぶり」が1600円。

手羽のから揚げとサラダがついたセットが2600円。それにぬる燗を2本つけてもらって、ここで飲んだ人

たちのことを少し偲ぶ。その後は、偲ばずの池まで歩く。

生来方向音痴なのだが、自分が生きてきた街と街はなんとか繋がるものだ。秋葉時代は、接待は

神田須田町の料理屋や、浅草まで足をのばし、もっと勝負がかかっていた時は、向島までいって三味線

のおねえさんたちとかっぽれや都々逸を楽しんだりしたものだ。

上野からかっぱ橋まで歩いて、「ほうろく」を買いにいく。来週新人さんが3人珈琲の塾に入門するので・・・

でもほうろくがなかった。二階で普茶料理をやる時に、備長炭も使うからそれも調達するつもりだったけど、

売り切れだった。ないときは、あるものでなんとかする、という哲学もとっても大切なので、そのまま吾妻橋を渡り、

スカイツリーが男根よろしくたつ押上村まで完走、いよ完歩。お店に立ち寄ると、音楽家の家族が「味噌作り」

を終わったところだった。小さな赤子が傍らで昼寝しながら、その子の命を紡いでいく味噌をつくる。

味噌は日本人の命である。

明日は「ねんど」がある。

日曜日が「蕎麦打ち無門塾」

月曜日が「卵かけごはん」 傍らで「朝練・蕎麦打ち教室」夜は「福の会」