長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

世界の角居 秋の菊花賞をとる

2013-10-21 07:42:36 | Weblog

昨日は秋の菊花賞。京都競馬場は美しい競馬場だけど、特に秋がいい。

学生のころ、年40回だけ、京都でやる競馬の日に、「厩舎監視」というアルバイトを

していた。テンポイントというロマンいっぱいの馬が走っていたころで、当たり前だけど、

成人式の日も淀の京都競馬場で、制服の青いブレザーを着て迎えた。

昨日はエピファネイアという馬が勝った。あの「世界の角居(すみい、と読む)厩舎の馬」である。

その角居調教師の実の弟くんの「角居康宏展」が今日から京橋の「ギャラリー川船」である。11月2日(土)まで。

角居くんには、池袋時代からいろいろなものを作ってもらった。玄関の扉の「天真庵」と入れた取っ手も彼の作品だし、

茶道具の茶合、茶托、珈琲ドリッパーも錫で作ってもらった。これからの季節の燗酒ようの酒器も角居くんの作品だ。

この金工の世界では、まさに「世界に羽ばたく角居」だと確信している。坊さんみたいな風貌のナイスガイだ。

坊さんといえば、今日は近くの名刹のイベントに珈琲を所望された。庭に咲く侘び介が美しく、そんな凛とした空気

の中で自分の入れたほぼぶらじるが飲まれるのがいい。

明日は「声ヨガ」、明後日は「インヨガ」  どちらも珈琲と蕎麦がついて2000円。

今日はこれから「卵かけごはん」

 


「八豊祭」雨の里山で、秋の味覚と芸術・・

2013-10-20 08:46:47 | Weblog

茨城県の筑波山の麓に「八郷」(やさと)という風光明媚な里山が美しい地がある。

今日はそこで「八豊祭」がある。「やーっほう」。

天真庵の珈琲用の石臼は、その地で作られたもので、そのご縁で「しげふじ」という蕎麦屋

を知り、月に一度は里山と、店の前で育っている「渡り舟」という原種で晩稲(おくて)の酒米の

田植えから収穫までの春夏秋冬の景色を酒肴に、同じ名前の日本酒を飲みながら、蕎麦を手繰る、

という究極の蕎麦の味わい方を発見してしまった。骨董病とは少し違うが、不二の病であり、

この病気にかかった人はみな幸せそうな顔をしているという点では、似た病気かもしれない。

しげふじには、極上の豆腐りがある。同じ作家の石臼で、毎朝大豆を挽き、下関のにがり

をきかせて、「手前豆腐」をつくっている。もちろん身土不二、八郷でつくられた国産の大豆。

味噌も豆腐も「やすさ」や「もうけ」に重きをおいた結果、ほとんどが外国産の大豆を使っている。

手がはやいのや、マメな男がモテル、というのが定説だが、晩稲(おくて)の男子にも、いいのが

いる。それを発見するのが「いい女」だ。本日の「八豊祭」を支援する若者は都会育ちが多いけど、

晩稲の稲にまけないくらい素直で、いい味の「男子」がいる。恵みの雨の一日に素敵な出会いがありますように!

本日は日曜日なので16時に閉店し、それから「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

蕎麦の蘊蓄を語る空気の読めない「そばおたく」は大嫌いだけど、粒々皆辛苦よろしく、蕎麦を

一生懸命こねる人たちは、大好きやし、応援したくなる。熱烈歓迎なのだ。天恩感謝。

 


ぬる燗をゆるりと袴をはかせた徳利で飲む!

2013-10-19 08:33:05 | Weblog

秩父の地酒を買って帰った。その地で飲むのが一番だけど、東京で

、天真庵で飲むとどんな味がするのか、楽しみだった。

さっそく、酒豪があつまる「ダメ中」で、やってみた。少し温度も下がり、

燗酒が美味い季節。白玉の歯にしみとおる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり

と牧水が歌った時代は、ぜったいに燗酒だと思う。今みたいに、大ボラが大吟醸を

飲みながらボリボリ・・という感じではないと思う。

熱い湯を沸かした万古焼の土鍋に、角居くんが作ってくれた錫のチロリに地酒を一合入れ、

露天風呂に酒を持ちこむような気持ちで、燗上がりする時を待つ。

それをお気にいりの徳利に入れ、塗りの「はかま」をはかせ、薄手の白い磁器の杯に酌み交わし

ながら、ゆるりと熱燗を飲む。こんな幸せなことはない。

酒飲みのことを、左利きという。大工がノミ(飲みとかける)持つ手が左だから、そんな洒落で

そうなった。♪私の私の彼は、左利き・・とは関係ない。それと同じ洒落で「徳利」というようになった。

つまり金があるなしではなく、徳のある人間が利かす器。落語によくでてくる「おべんちゃら」を

使って酒のご相伴にあずかろうという酒飲みの知恵であり、洒落みたいなもんだ。でもこの名を

付けた先人には、座布団をさしあげたい。

今日は「お花の教室」。「たて花」という日本人がこよなく愛してきた古典的な花道。

あらゆるところで座標軸がなくなりつつある昨今、お茶やお花の「根本」を勉強することは

大変に意義深いものがある。背中が「シャン」とする。

22日の「声ヨガ」23日の「インヨガ」も、心の真がシャンとするもんだ。

明日は、「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」


美人の舘

2013-10-18 08:33:33 | Weblog

昨日は朝起きて、野菜を調達のため、関越自動車道を使って秩父へいってきた。

新鮮な野菜を調達し、温泉につかり、山奥の蕎麦屋にいって、そば前に地酒を

2合飲む。つきだしのホウレンソウのクルミ味噌あえと、必ず注文する秩父豆腐を

酒肴にするとあと一合か二合はほしいところだが、蕎麦がまずくなるので、がまん。

このお店は女将が蕎麦を打つ。お店の玄関に主人のおばあちゃんが蕎麦を打っているモノクロの写真。

この写真のおばあちゃんの笑顔を見に、わざわざ月に一度くらいのペースでこのお店に蕎麦を喰いに

きているのかも知れない。ルチンがいっぱい含まれた蕎麦を食べている土地の人は、昔から美人が多い。

帰りに「ちちぶ銘仙館」に立ち寄る。秩父事件なるものが勃発した土地でもあり、昔は、銘仙で栄えた。

大正ロマンや昭和の女性たちが袖を通した「銘仙」なるシンプルでモダンな着物こそ、日本人を

外見だけでなく、心身ともに「美人」にしてきたファッションであり、その中心が秩父にあった。

その館には、往年の美人なモデルさんたちのポスターがあまた飾ってある。一番左に池内淳子

さんが笑っている。最近古本屋で見つけた「味噌汁礼賛」に彼女が毎朝味噌汁に蕎麦を入れて

食べる、という文を見つけた。ぼくも、これはけっこう理想的な朝食ではなかろうか、と思う。

ちちぶ、というところは山の中の空気もいいけど、この館のまわりの空気もすこぶるいい。

帰りの高速で、事故渋滞が二か所もあり、おそくなってしまったけど、充実した一日だった。日々是好日。

帰ったら、ポストに赤松林太郎君からハガキが。ブタペストからだ。日本のみならず、またヨーロッパでも

「居場所」を見つけた様子。またまた元気をいただく。感謝。

今日は「ダメから始める中国語」  

何事も興味があると、まず始めることだ、と思う。ここで躊躇していたら、何も始まらない。学ぶ

とうのは、「まねる」からくるけど、まねる段階でも挫折感を味わう場合もあるし、まねるという

ことがうまくいきはじめても、「これではあかん」と思うことがままある。そして挫折することもままある。

でも、だめでも、そのダメから始める、と諦感の底のほうから、「もう一度やってみようか」と思うことがある。

この会にきている面々は、その先生も含めて、そのあたりのキズのような経験を共有し、しかもそれにくじけず

一歩すすもうという気概がある。だからそれぞれ個性的であり、いっしょに飲んでいても楽しい。毎回

少し飲みすぎる感もあるが・・・。「月に一度集まる中国系家族の会」みたいでたのし。感謝感謝(しぇーしぇー)


淡路島のお土産・・

2013-10-16 09:23:43 | Weblog

昨日は雨の中、「書をしよう会」をやった。

帰りの電車のことが心配になったが、「ぜひ習いたい」という青年もいて、

先生に電話したら「今日はどうなろうがいきます」とのこと。 

なかなか気骨のある先生と生徒たちが、気品あふれる書を楽しんだ。

ひとりが元気なじいちゃんのアーティストを訪ねて、淡路島のアトリエを訪れ、

元気をいただいたそうで、お土産にたこせんべいと、牛肉の西京漬けをぶらさげてやってきた。

みんなでその元気をおすそ分けしてもらったような夜。

昨日書いた「泣くも笑うも人生よ」の寒山拾得の世界。岩波文庫の森鴎外の短編で

「高瀬舟」とかが入ってる本の最後に「寒山拾得」がある。禅的で禅問答みたいで、最初は

わかりにくい本かもしれないけど、日本人ならぜひ一度読むことをおすすめする。

書の貞本先生の書が、大塚の「江戸一」というお店に飾ってある。そのお店の常連さんに

高橋義孝先生がおられた。彼の本の中に、「寒山が文殊菩薩で、拾得が普賢菩薩であり、

それを知らないような人は日本人ではない」と書いてある。岩波の短編を読むと、それは

わかる。今日は「かっぽれ」


泣くも笑うも人生よ

2013-10-15 08:05:45 | Weblog

南條先生の書「泣くも笑うも人生よ」が、お店のショーウインドウの中に飾ってある。

落款からいって、まだ寒山拾得の絵を描き始めのころのものだと思う。

あたり前のことだけど、ときどき見る人の琴線にふれるみたい。

人生は二度なし、泣いたり笑ったり、ときどき人に嫉妬したり、比べてみたり、

余計なことをするけど、それもまた人生。

今日はまた台風の影響で雨らしい。今日は「書の会」がある。

晴れてよし、曇りてよし富士の山    そんな泰然とした気分でいつもいたいものだ。

日本人は昔から書に親しんできた。寒山拾得の絵も禅林たちが好んだ絵だし、禅的

な言葉もよく好んで書かれてきた。とどのつまりは「自分の心をみつめる」ことにつきる。

明日は「かっぽれ」

 


新米が美味い

2013-10-14 07:45:27 | Weblog

昨日は日曜日なんで16時で閉店して「そば打ち教室」

大型新人さんも参加。せんしゃくんも、5回目になり、水回しも

だいぶうまくなり、そば・らしくなってきた。昨日はてんてこで、

彼らにもってかえってもらう「蕎麦汁」がなくなったので、「蕎麦汁の作り方」

から講義になった。蕎麦打ち、とおんなじくらい大事な仕事なので、教えられてよかった。

せんしゃくんは、ぼくが以前住んでいた近くに住んでいるので、調味料から食材まで

伝授しやすいことがいっぱいある。今日はお客さんがきて蕎麦会をやるらしい。

大塚の三業地、という花街の中に「えん重」というお豆腐屋さんがある。老夫婦で

やっているのだが、ここの豆腐が美味い。もちろん「あげ」も美味い。これから「湯豆腐」

なんかで熱燗を飲む、なんて最高だ。そこの息子が豆腐やの隣で豆腐料理のお店をやっていて

そこも美味い。

いけない、こんなことやっている場合ではない。これから「卵かけごはん」。

今日は通常どおり19時まで営業。

明日は「書をやろう会」明後日が「かっぽれ」

新そばを新米さんものしのされ


アナラポスを聴きながら、菊蕎麦を食べる

2013-10-13 08:45:02 | Weblog

昨日は「インヨガ」だった。鈴木昭男さんのCDを聴きながらやった。

アナラポスという自作の不思議な楽器を演奏する音楽家。口で説明

するのは非常に難しいけど、生まれる前にお母さんのおなかの中の羊水の

中で聴こえたような「音」。「かさがない」ではない。あれは陽水。

鈴木さんは、日本ではあまり知られていないけど、世界的なアーティスト。

11月17日に、天真庵でライブがある。まさに一日千秋の気分で待つ、そんな感じ。

ささくれだった人間関係に囲まれていたり、精神が波打っているような人、不眠で悩んでいる人なんかにおすすめ。

なんか世界の混沌が加速されて、音楽をゆっくり聴くような余裕がない時代だけど、

そんな時代だからこそ、朝ゆっくりとお茶を喫し、音楽に耳を傾け、自分の体の中の宇宙

を探検するようなヨガに興じたりする時間が大切なのではなかろうか?

今日は日曜日なので16時に閉店。それから「蕎麦打ちの会」

今年の新そばは食べた?ですか。美味いよ。秋はやっぱり蕎麦と酒やね。

昨日は、アナラポスを聴いたあと、菊のおひたしを新そばといっしょに食べた。体中がすっかり秋。

明日は祭日だけど、卵かけごはんをやります。南千住では「ぶらり音楽祭」が開催される。

一日千秋。でも一日一日が一生。日々是好日。今日も生かされていることに、感謝。


菊とカボス

2013-10-12 08:02:41 | Weblog

昨日焙煎をしていたら、近所のお菓子やさんのおかみさんが

「菊を食べてください」ともってきてくれた。さっそく焙煎の後、湯を沸かし、そこに

そこに薄紫色の菊の花を投げ込む。生で食べてみると、「菊」という味、少し微妙な酸味

があるが、熱湯にくぐらせ、蕎麦汁にカボスを絞ってかけて食べてみると、「華のある食材」

になり、体一杯が秋になる。

もう一品はサンマ。腹に包丁を入れ、はらわたと「かえし」とミリンをまぜ、さんまは真ん中で

切ってその中に入れる。フライパンを熱し、一気呵成にサンマを焼き、仕上げにカボスを絞る。

秋には必ずやる料理。焼酎の蕎麦湯割までが「ああ、秋」とのど元で喚いていた。

近所のお肉屋のおかみさんに「新米」もいただいたので、万古焼(ばんこやき、と読んでネ。マン・・じゃない)

の土鍋で炊いた。銀シャリとも、サンマは似合いすぎるぐらい、合う。天高く馬も人も肥える秋。

今日は「インヨガ」   こんな混沌とした時代は、体を大事にしないとね。無事これ名馬。


カボス蕎麦をまた喰う

2013-10-11 08:47:19 | Weblog

昨日も「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」だった。

またまた懲りずに、「カボス蕎麦」で昼食。しかも調子にのってお銚子

ではなく、赤ワインにカボスを絞って飲む。煎茶仲間に大分の女性がいて、

彼女は「カボス大使」と呼ばれていて、その縁で、大分の竹細工の職人さんたちが

きて竹細工の教室が始まった。その縁で今も清水先生が大分からこの季節になると、

おくってくる。感謝感謝だ。おいしいものを食べると、自分の体内時計の咀嚼や嚥下の時間を

超えたスピードで、食べていて、胃の周りの細胞が「もっとくれ」と叫んでいるような感じの時がある。あ

おいしい新米を土鍋で炊き、信楽か黄瀬戸の茶碗につぎ、自家製の漬物を織部か志野の豆皿にのせ、

食べてみたら、知らない間に漬物が半分くらい残っているのに、ご飯がなくなることがある。まさに銀シャリ。

珈琲もおいしい珈琲を飲むと、食道の細胞まで、「うまいうまい」と声を出し、胃の細胞もおどろいて

、シャックリやゲップがでる。またその時も香りとうま味が逆流してきて、鼻から脳に達し、「うまい」と

声を発す。そんな珈琲を飲める人は幸せだと思う。

二日間の「無茶しぃの会」

茶掛「南條観山先生」(上求菩提 下化衆上)花器「久保忠廣」(黄瀬戸)茶碗「久保忠廣」(斑唐津焼)

急須「近くの職人」(ガラス)  花「ほととぎす」 お菓子「千代くるみ」 玉露・星野村

今日は「易の勉強会」

明日は「インヨガ」

日曜日は「蕎麦打ち教室」