長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

牛がやってきた。

2010-09-19 07:18:07 | Weblog
昨日は、ほんとうに、牛がお店の前を通った。
「レンタル牛」なんだろうが、少し元気がなかった。
秋祭りの最中で、毎日お座敷から声がかかって、
忙しいに違いない。ま、牛も芸者も、ぼくたちも
「呼ばれるうちが花」ではあるが・・・

今日もお祭り。「もなか屋」も元気に営業しています。
明日は「エリカ庵」。老若男女を問わず、秋は体のケアーが必要。
明日は敬老の日。どこから老人かしらないけど、
確実に老人力はついている。ものおぼえが悪いし、同時に同じ
ことができない。オーダーの大半が、そばかがれっとセット。
珈琲が「ほぼブラジル」のほっとかアイスだけど、満席近くに
なってくると、こんがらがってくる。


次に「隠居かふぇ」をやる時は、メニューもなにもなく、座ったら、
勝手に、そばと珈琲がでてくるようなお店にしようと思う。
お客さんが、何かしゃべろうとしても、耳がきこえない老人よろしく
「しか」としていて、ほかのおきゃくさんが「彼は耳が遠く、
頭もボケてきたので、これしかできないのです。おつりの
計算もできないので、ちょうどこの金額をだしてください。」
みたいな。

今週から、音楽会がめじろおしあげ。
22日が「十五夜コンサート」19時開場 19時半開演
25日が「三丁目のジャズ」
27日が「クラリネットとピアノのコンサート」

秋本番。やはりお祭りも音楽も「ライブ」に限る。



お祭り

2010-09-18 07:32:19 | Weblog
今日は、界隈のお祭り。
4年に一度の本祭り、ということで、今日は
ぼした祭りみたいに、牛が十間橋通りをねりあるくらしい。
この界隈は、「飛木稲荷神社」の神域ということになっている。

「ぼした祭り」というのは、毎年敬老の日に、熊本でおこなわれて
いる奇祭。加藤清正が、秀吉らと朝鮮半島で戦をした時の凱旋の
祭りだ。「朝鮮をほろぼした」というような意味合い(別に滅ぼした
わけではないが)、ぼした祭りになったらしい。もちろん、隣国と
の関係上、適切な表現ではないので、最近は「藤崎宮秋の大祭」
とかいう名前になった。でも、牛(馬かも?足が太いけど)
をひいて、ラーメンの屋台の
チャルメラ?みたいな笛をふきながら、「ぼした」「ぼした」と
奇声をあげながら、トランス状態みたいな感じで、1日中街の
中をかけめぐる、そんな祭りなので、県人でこのお祭り命の人
たちは、あいかわらず、「ぼした祭り」といっている。
写真やネットの動画でも見られるようになったけど、やはり
祭りは、ライブでなくては、伝わらないものが多い。

祭り、とりわけ九州のお祭りは、朝鮮半島の影響を受けた
ようなものが多い。「ワッショイ」というのも、韓国語で、
「神さまがきた」とかいう意味だ。
昨年の秋の祭りは、まだ元気が生きていた。この写真は、お店
から祭りを見ているところ。このお祭りから数日後に、神に
召された。ワッショイ。

十間橋といば、10月31日に「JAZZ十間橋」というお祭りをやる。
ホームページもできた。天真庵の表紙に紹介しているので、いちど
のぞいてほしい。ワッショイ、ワッショイ。
閉塞感がいっぱいな時代だけど、だからこそ、祭りが大事では
なかろうか。

休み明け

2010-09-17 07:55:26 | Weblog
休み明けの金曜日は、仕込みがたいへんだ。
朝おきて、蕎麦をうつ。その間に、出汁をつくったり、
水出しコーヒーをセットしたり・・・
その後は朝食をとり、終わると、買物にいったり、
焙煎をしたり、辛味大根をおろしたり、掃除をしたり、
・・・12時開店までに、「準備OK」となったためしがない。
珈琲と蕎麦・・・単純にそれだけのお店だけど、それでも
仕込みに営業時間と同じくらい時間がかかる。
だから、ご飯ものや、てんぷらや・・・とやるそばやは、
すごいな~と思う。

昨日はお茶のお稽古の後に、久しぶりに新宿から埼京線で
板橋で降りて、「オルト」でワインを飲みながら、野菜中心の
イタリアン料理を堪能した。店の斜め前が、ワイナリー和泉屋、
というなかなか類まれな立地条件だ。
先月、和泉屋の社長のはるさんが、蕎麦を食べにきてくれた。
この街に天真庵があったときは、よくうちでワイン会をやった。
今は昔、なくらいなつかしい。シェフは野菜にこだわりを
もっていて、ここの料理を食べるとほんとうに元気になる。
「オーガニック」やら「有機栽培」やら「無農薬」と、
自信たっぷりなフレーズをかかげるお店が多いけど、結局は
農家も、そこから買う人も、そこで食べたりする人も「信頼」
でなりたっている部分が大きい。世間では「羊頭狗肉」なものが
氾濫しているのではなかろうか、と思うことしきり。

今日は「スケッチの会」
デジタルカメラで、誰でも、どこでも、カシャーとやれば、
「いただき」みたいに、そこの景色をとれるような便利な時代
だけど、その感動を、自分で表現する、ということの大切さが
見直されてきているかも。うちも、店内を撮影禁止にしてから、
空気というか、お店の中の凛とした気、みたいなものが、
もどってきたような気がする。もちろん、店内でスケッチを
されても、それはいけないけど。
なにごとも「TPO」が大事だ。

20日の祭日は、「エリカ庵」をやります。
22日は、十五夜コンサート。天真庵ではホルンが初登場。
芸術、音楽の秋。来月はいよいよ、JAZZ十間橋。
界隈の神社の秋祭りも、今週末が「本番」です。
熊本のぼした祭りも、いけてないけど、いきたい。
でも今回の界隈の祭りも、本祭りなので、牛が活躍するらしい。

休み

2010-09-16 09:27:10 | Weblog
今日は朝から雨。猛暑の夏だったから恵みの雨に
違いない。
今日は、おやすみ。朝起きて、お店にいき、柱時計の
ねじをまき、珈琲を入れて、朝刊に目を通す。
今日は、看板犬だった元気の一周忌でもある。

天真庵のHPに「ギャラリー」というのがある。寒山拾得
の絵を描く南條先生の作品なんかを紹介してある。そのページに
平成8年から始まった「天真庵」での個展の様子が記憶されている。
印象的なのは、平成8年の天真庵の炬燵で7人で飲んでいる写真。
この中の2人が、今はこの世にいない。メタボっぽい2人は、元気に
生きている・笑。ひとりはたぶん明日飲みにくる。
なるべく、仲のいい友だちとは、いい時間をともに楽しんで
いきたいものだ。

平成10年の春の展覧会から元気の姿があるけど、天真庵にやってきたのは、
前の年の平成9年。元気も元気で若かったけど、天真庵にきてた人たちも
みんな若かった。芸大を卒業したばかりの芸術家、まだ吉兆で修行中だった
長屋くんも若い。今ではパリの有名なお店の料理長になって活躍している。

明日は、スケッチの会。
先日先生のわかなさんが、本を貸してくれた。
「スナック」の経営者を取材した本。ブームの峠はとっくに越したけど、
全国に20万ともいわれる数のスナックがあるらしい。その中で押上駅前に
ある朝8時からやっているスナックの記事に付箋紙がはってあった。
地元の飲み屋には、いかない主義なので、知らなかった。
スナックをやっている人の数だけ、人生があり、そこに集まるお客さんの
数だけ、また人生があって、そこで出会って、また新しい人生が紡がれていく。

出会い

2010-09-15 07:46:44 | Weblog
人ははやくもおそくもなく、出会う時に出会う。
このてぬぐいのテーマが「出会い」。スカイツリーが、大地のくさびの
ように、伸びていく過程で、その下にある下町の路地裏では、一匹
のネコが、どこからともなくやってきて、恋をし、結ばれて家族になり、新しい命
が誕生し・・・とドラマが展開されていく。

昨日の夕方、コロンビア・スプレモを焙煎していたら、英語の岩本先生が
奥さんをつれてやってきた。先月に入籍を済ませ、先週あたりに彼の住む
長屋に新妻がやってきた。岩本さんは、池袋時代から「英語で蕎麦会」を
やってくれていた。そのころは、みゆきさんが主催する「お茶のお稽古」
に参加して、英語の勉強も岡倉天心の「茶の本」を題材にしたりしていた。
天真庵が押上にきた後も、彼は北区のアパートから通ってきてくれた。
そして、昨年長屋に越してきて、ある日、「長屋に住みたい」という女性
と縁があり、天真庵とかspice cafeでデートをし、白夜堂々と手を繋ぎながら
駅前のケーキ屋界隈を歩いたりしながら、結婚するにいたった。
めでたし、めでたし。最近はお酒を飲めるようになって、英語で蕎麦会
の時には、少し酩酊して、こっくりこっくりやることもある。昨日は、期待の
大型新人の参加もあり、お祝いの意味も含め、ワインと陸奥八仙で乾杯しながら
談論風発。また、新しい出会いがあった。感謝。

今日は「かっぽれ」。かっぽれの相方は、「寅さん」みたいだと
いわれている人。体格や風貌は、寅さんというよりも「良寛さん」
みたいだけど、生き方は、自由奔放で旅好きで、春夏秋冬を問わず、
生きたい町へ、ふらりと飛んでいくような人だ。
予定では恒例になっている「お伊勢参り」をすませたばかりなので、
今日あたりは、そんな話をつまみに一献になるのではなかろうか。
今朝の新聞に、寅さんのテーマソングがジャズになってCDになった、
との記事が。
あの明るい曲が、ジャズになる時代。みんな、寅さんのように、飄々と
いつも旅の空、みたいな人生にあこがれているし、ゆっくりとしたジャズ
の調べみたいなリズムで、生きていきたい、そんな時代がきたのかも
知れない。

ゆっくりした時代というより、どう考えても、「斜陽」みたいな時代を
迎えている。これまで生きてきたどんな時期よりも、不況であることも
確かだ。でも、だからそれを嘆いていてもしかたがない。
そんな時代だからこそ、珈琲を片手にジャズでも聴きながら、ゆっくりと
「これから」を考えるのもいい、という発想が大事だ。
ジャズの醍醐味は、やはり「即興」、アドリブの部分がいい。多くの
ミュージシャンは、その醍醐味の刹那を楽しみ、また苦しんできた。
アドリブ、というのは「自分らしさ」というのが大事だ。そんな意味では
10月31日に、このうらびれた街、シャッター通りになりかけの十間橋通り
で初めておこなわれる「JAZZ十間橋」は、意義深いものがある。
元気がない人も、元気な人も、このお祭りに参加してほしいものだ。




不思議な珈琲屋

2010-09-14 07:34:04 | Weblog
昨日は朝一番に真っ黒に日焼けした元気なにーちゃんがやってきた。
開店前から、玄関の前にたっていて、のれんを出すと、カウンター
に座り、肌の黒と対照的な白い歯を輝かしながら「あの、アイスクリーム
に珈琲かけるのください」とのこと。少し関西なまりなので、「どこから
きはったん?」と聞くと、「香川」とのこと。わざわざ香川から、阿保守(アホガード)
を食べにくるなんて、お遍路さんみたいに健脚な青年だ。もちろん、歩いてきたわけでは
ないけど・・・

そういえば、先日も高知から3人で、珈琲を飲みにきたお客さんがいた。
高知には、「海癒」(かいゆ)の岡田さんしか知り合いはいないけど、
たまたまそのひとりは、岡田さんの知り合いだった。高知も50人くらいしか
人口がいないのかしらん。

最近、よくお店で話題になる珈琲屋がある。
昨日、なにげなく自分のHPの中にある、「天真庵の改装に参加した人」
みたいなところにある「長崎剛志」くんのHPの中にある「月造」の
HPのWORKSをクリックしたら、その珈琲屋さんの改装を
彼らが手がけていた。シンクロニシティーというか、不思議な縁を
感じた。たったカウンターに4人座れるだけの小さな茶室みたいな珈琲屋。

夕方、うちの7人しか座れないカウンターに、古本屋カフェをなかなか
開けないみかみくんと、spice cafeの伊藤さんが、隣り合わせになった
。「3人しか座れないカウンターのカフェにしたら」という話になって
盛り上がった。その時は、月造の月森くんに頼むとしよう。

10月31日に、十間橋で「JAZZ十間橋」を開催する。実行委員が
spice cafeの伊藤さんだ。昨日は、山根さんたちと、バンジョーに
ついて、談論風発した。
ジャズの歴史は、アフリカから奴隷船にのってアメリカにきた黒人たちが、
祖国の楽器を演奏することができずに、バンジョーとかギターとかピアノ
とかをつかって、つくったのが最初だ。こんどの「JAZZ十間橋」でも
バンジョーを演奏するアーティストがくる。でもバンジョーのもともとのルーツは、
イルランド。ケルト音楽には不可欠な楽器だった。
今朝の朝刊には、それをもじって「ベンジョー」という楽器がでていた。
便器の蓋を模った弦楽器で、先日亡くなった谷啓さんが、お気に入りだったとか・・。
JAZZというのは、今みたいに追い込まれたような時代に、さわやかな風を
吹かせてくれるような自由なところがある。それが、清風のように心地いい。

今日は「英語で蕎麦会」
すっかり長屋暮らしにも慣れ、嫁さんも先週引っ越してきた
岩本先生が、やってくる日。

明日は「かっぽれ」。
後輩たちの追随を気にしながら、もう1歩精進しなくては・・

今日の写真は、池袋にあった天真庵の屋上の庭。「今の庭」。長崎くんがつくったものだ。ここでたくさんの芸術家たちと酒を飲んだり、お茶会をやったりしたのが、「今」
と繋がっている。みんな根っこは繋がっている。

恵みの雨

2010-09-13 07:14:33 | Weblog
天気予報では、日曜日の昨日が雨だったけど、
昨日はいい天気だった。まだまだ池の中では、
メダカが、祝誕生状態。くわえて、近所の「ふくちゃん」
が、「また生まれた」といって、牛乳の紙パックに稚魚を
入れてもってきてくれた。それを、お客さんがめずらしそうに
覗く。ぼくたち世代は、近眼のめがね越しでは、小さなメダカの
稚魚に焦点があわない。昨日までspice cafeで、「花の個展」を
やっていた二人の若い女子は、裸眼で「かわいい」と、すぐに
焦点があっていた。たかだか、めだかの話だけど、悲喜こもごも。

農薬などの環境の劇的な変化によって、メダカも絶滅危惧種に
なってしまったけど、こんなにかわいらしい魚が、この星から
消える時には、きっと人間も絶滅危惧種か、絶滅して、博物館
で燻製かなんかになっているかも。

明日は「英語で蕎麦会」
池袋時代に熱心にこの会にきていたてっちゃんが、昨日
蕎麦を食べにきた。順受の会、英語で蕎麦会は、押上に
くる前からある講座。

明後日は「かっぽれ」
来月あたりから、新人が「ふたり」参加することになった。
いじめがい、もとい、鍛えがいのありそうな若者たち・・

今日の写真は、白井晟一さんの「虚白庵」。

白井晟一 精神と空間

2010-09-12 08:00:09 | Weblog
「長屋茶房天真庵」の公式サイトの中に「リンク」
というのがあって、そこに「白井晟一研究所」というのがある。
哲学を具現するような孤高な建築家・白井晟一さんのことが
紹介されている。その中に白井磨さんの書いた「ブログ」を発見した。
「柊心居にて」の末尾に、そんなのがあって、そこをクリックしたら、
9月9日のブログに、天真庵のことが紹介されていた。相変わらず、辛口
の評ではあるが、思わず、「くっすっ」と噴出してしまった。

昨日9月11日から、11月3日まで、群馬県立美術館で
「白井晟一 精神と空間」という展覧会が開催されている。

昨年の9月に元気が旅立った時、「かわりに」といって、
白井晟一さんが、生前愛用していた柱時計をいただいた。
毎日5分くらい狂うけど、しっかりと1年間、天真庵の中で
時を刻んでいる。コツコツと途切れることなく刻む瞬間瞬間の
刹那の中に、悲喜こもごもの人生が刻まれていくのがたのし。


ピアノの横の額「生」(白井晟一さんの書)も、この空間に、なくてはならないものに
なった。「生豆」「生そば」をあつかう店の「生」。生身の人間
たち、とりわけ奇人めいた「生○○」といわれるような人たちが、
どこからとなくやってくる空間。みんな生きている。死んだ人たちも、
思い出の中に生きている。

>倒れそうな古家をそれも美しくなく改装して長屋茶房・天真庵を営む野村栄一さん

この一行の文章が、「らしく」ていい。勲章をいただいたようなうれしさだ。
今朝もその美しくなく改装した長屋で、蕎麦を打った後に、珈琲を飲みながら、
柱時計や「生」を眺めていたら、幸せな気持ちになった。
「喫茶去」・・・若いころは、一発の中に喜びがあったが、年を重ねるにつれ、
一服の中に幸せな気持ちを発見できるようになった。 感謝。










蕎麦の芽

2010-09-11 08:07:16 | Weblog
こないだ蒔いた蕎麦の種が、萌芽して
土の中から小さな双葉がでてきた。常陸秋蕎麦の芽。
なんともかわいらしいものだ。今日も
5時から蕎麦を打っていたら、となりの
おっちゃんが、プランターに水をまいてくれた。
あいかわらず、「人の力を借りて、自給自足」みたいな
エコなスタイル。土の力を借りたり、太陽の光を借りたり、
雨水の恩恵を受けたり・・・植物たちも、「借り物」の
力を良く知っている。なんでも「お金の力」に頼ろうと
していたこれまでのやり方では、どうもうまくいかなくなるみたい。

今年生まれのメダカもだいぶ大きくなった。少しは
よそに嫁いだけど、元気らしい。黄瀬戸の鉢から池に
移した若き子らも、大人にまじって、たくましくエサを
とったりしながら、元気に泳ぎ回っている。メダカを
飼ってみてから、布袋草の増え方とか、卵の変化や、メダカ
の成長につれ、教えられること多しだ。

今日明日は「もなか屋」の営業日。
今日は、「エリカ庵」も営業日だ。元気な人も、あまり元気でない人も、
より元気にするために、朝から元気な女子たちが天真庵にやってくる。
だから、本日は、いい気に満ちている。

10月31日の「JAZZ十間橋」のパンフもできあがり、
前売りチケットもできてきた。新しい「秋の大祭」みたいな
イベントになればいい。メンバーを見たら、「立派なジャズフェスタ」だ。
いろいろな変遷を重ね、モダンジャズになってから、少しジャズが身近なものから
離れていった感があるけど、今回のビンテージんまジャズは、基本に回帰するような
心地よさがある。「ここから」始めたら、また人生が楽しくなるかも。


大分のかぼす

2010-09-10 07:25:21 | Weblog
竹細工の教室を始めていらい、
大分とは無駄のない縁でつながっている。
昨日はいつもの木曜日のように、午前中は
お店で仕込みをし、午後に珈琲の器具を買いに
巣鴨までいき、その後に表参道までいき、青山ブックセンターで
本を買出しし、煎茶のお稽古にいった。
一昨年に天真庵にきた縁で煎茶をやるようにMさんが、「茶櫃手前」
という最も基本的な煎茶を入れていた。焼締めの菓子皿に不思議な
お菓子がのっていた。たずねると、大分の豊後高田にある老舗のお菓子屋
さんの「玄米まんじゅう」。なかなか素朴な味がした。

明日は「エリカ庵」。今年は猛暑でたまった疲れをちゃんととらないと、
涼しくなるこれから体調を壊す人が多そうだ。
エリさんの夫君のふるさとは、大分の日田。日田といえば
広瀬淡窓。彼がつくった咸宜園(かんぎえん)は、松下村塾、適塾と並んで、日本三大私塾といわれ、高野長英、大村益次郎、などが通った塾だ。体の悪かった淡窓は、京都や
江戸にいくことができず、かの地に私塾をつくった。咸宜園とは「ことごとくよろし」という意味らしい。身分や性別や年齢を問わない、だれでも学びたいひとおいで、みたいな
開かれた自由な精神を彷彿させる。淡窓詩で有名な

鋭きも 鈍きもともに 捨てがたし 錐(きり)と槌(つち)とに 使い分けなば

というのも、能力や正確が違っても、それぞれの役割や出番がありますよ、という
やさしい哲が、よくあらわれていていい。

もうすぐ大分では「かぼす」が最盛期を迎える。錐と槌はまったく違うものだが、
かぼすとすだちは、時々間違える。これからの季節、かぼすをしぼって、そこに
焼酎を注ぎ、最後にお湯で割って飲む、そんなことが幸せな季節を迎える。
さんまの塩焼きでもあれば、これが最後の晩餐になってもよろし、というくらい
幸せになる。できれば、さんまの皿は、小鹿田焼。「おんたやき」という。大分県日田市に伝わる焼き物だ。水車で土や釉薬になる長石を砕き、穴窯で焼く。現代のライフラインが
とまっても、生活ができるような究極なエコ生活をやっている10件の窯が、山里に昔から
ひっそりと暮らしている。