天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

歴史学者・・・

2019年06月13日 15時43分06秒 | 日記
 僕は歴史が好きです。
 何でも古いものが好きなので、自分では好古学と呼んでいます。

 今日のネットのニュースを読んでいたら、
 現代ビジネスの
 「『俗流歴史本』の何が問題か、歴史学者・呉座勇一が語る」が面白いと思いました。
 小説家の井沢元彦さんの『逆説の日本史』などの氏の一連の「歴史ノンフィクション」は、
 史料に基づかない想像を多く交えており、
 学問的な批判に堪えるものではないと切って捨てています。
 この記事によると井沢さんと筆者の呉座さんとは、
 週刊ポスト上で、何度か論争があったようです。
 チョッと長い文章なのですが、ご興味のある方はご一読下さい。
 歴史学を専門とする学者の考え方が分かるような気がします。
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/65110

 20年位前に、ある学者(専門は歴史学ではありません)と酒飲みをしていた時に、
 司馬遼太郎がもてはやされているけれど、
 彼は小説家だから、嘘を書いても良いのだよね。
 学者は嘘は言わないのだけれど、
 どうして学者を信じないで小説家を信じるのだろうと言われた事があります。
 その時はその先生が僕の恩師に当たる方で、仕事上お世話になっていた事もあり、
 特に反論はしませんでしたが、
 歴史的事実を並べただけでは面白くないから、
 事実を踏まえて想像を働かせるのが歴史小説なのだと思います。
 先日、河井継之助の道中日記「塵壺」を読みました。
 その日記から読み取れる河井継之助は、
 金が足りない事を嘆き、外人の家に行って良いのかどうか迷う、
 30歳台の普通の若者の姿だったように感じました。
 司馬遼太郎が名作「峠」の中で描いた河井継之助とは違うかなと思いました。
 「峠」では、「塵壺」の中の文章を結構使ってはいますが、
 描こうとする人物像に合う部分だけを使っている感じです。

 歴史小説は史実とは異なります。
 司馬遼太郎が誰かを取り上げて執筆を始めると、
 関係する資料が神田の古本街から消えるとの話がありましたが、
 それだけ資料を渉猟して描いたにしても史実ではない部分が多いです。
 歴史小説を脚色した大河ドラマなどは、
 更に史実とはかけ離れたものになっているような気がします。
 だから僕は大河ドラマを見ないのですが^^

 最近、歴史修正主義と称される、右派の人達の言動が目立つような気がしています。
 読んでいないで書名を挙げるのも気が引けますが、
 百田尚樹さんの「日本国記」などは、正に「俗流歴史本」なのでしょう。
 単純に娯楽としての読み物ならば構いませんが、
 事実を捻じ曲げて、政治に反映させようとするのは、いかがなものかと思います。

 20年以上前、ある博物館に見学に行った時、
 説明をしてくれた高名な考古学者(既に亡くなられていますが名前は伏せます)に、
 当時脚光を浴びていた年輪年代法について、
 実際の暦年と測定値との検証はどのようにするのか尋ねた事があります。
 そうしたら、それは我々がキチンとやっていますと、ピシャリと言われてしまいました。
 素人が何を言うのかとの態度で、僕もムッとした覚えがあります。
 学者には、そのような反応をする人がいるのも間違いないですが。

 明日はチョッと泊まりで出掛けます。
 明後日には戻りますが、何時に帰るか分かりませんので、
 申し訳ありませんが、日記など2日間お休みします。
 どこに行くか、国外ではないとだけ申し上げておきます。

コメント
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