天然居士の独り言

主に日記主体のブログです。

清河八郎・・・

2019年06月06日 18時20分19秒 | 日記
 先日から清河八郎の「西遊草」を読んでいました。
 清河八郎はご存知の方も多いかと思いますが、
 新選組の元となった浪士組を結成した人で、
 1863年(文久3年)、将軍・徳川家茂上洛の際、
 その前衛として浪士組を率い京へ出発し、
 到着した夜に浪士を壬生の新徳寺に集め、
 本当の目的は将軍警護でなく尊王攘夷の先鋒にあると述べた人です。
 攘夷に反対した芹沢鴨・近藤勇・土方歳三らが京都に残留し、新選組になります。
 清河は、言うなれば幕府を手玉に取った事になりますので、
 幕府は浪士組を江戸に呼び戻し、
 江戸で、幕府の刺客を使って、
 1863年5月30日(文久3年4月13日)、暗殺してしまいました。
 浪士組は、その後新徴組となります。

 清河八郎は、1830年11月24日(文政13年10月10日)に、
 出羽国田川郡清川村(現・山形県東田川郡庄内町)の
 庄内藩郷士・齋藤豪寿の子として、生まれました。

 安政2年(1855年)3月から9月にかけて、母親を連れて、
 善光寺、名古屋、伊勢、奈良、京都、近江、大坂、宮島、岩国、天橋立、
 鎌倉、江戸、日光などをめぐる旅行をしていますが、その記録が「西遊草」です。
 岩波文庫にも入っていますし、口語訳が東洋文庫に入っています。
 僕が読んだのは、東洋文庫の方です。
 この西遊草は、宮本常一も優れた旅行記として挙げていますが、
 幕末の旅行事情や風俗などを知るうえでは貴重な資料です。
 この半年余りの大旅行を毎日克明に、
 泊まった旅籠屋の名前、食べた名物などまでも含めて記録しています。
 また、土地に関係する人物、例えば諏訪湖では武田信玄、
 京都では、足利幕府の将軍たちや織田信長、豊臣秀吉などについて、
 かなり辛辣な評を書いています。
 とにかく面白かったです。

 調べている内に、庄内町に清河八郎記念館があるのを知りました。
 地元の人の尊敬を集めているようで、清河を祀った神社もあります。
 機会があれば行ってみたいと思いました。

 明日は、所用により日記等を休ませて頂きますので、お含み置き下さい。

コメント (4)
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