数年前からの傾向であり、殊にここ1,2年くらいの事ですがうちで増備される16番モデルにちょっとした変化が起きています。
特に蒸機に顕著なのですがいわゆるスケールモデルよりもごくコンパクトな自由形、或いはサイズ的に接近する小型機が増えているのです。
8年ほど前に16番モデルに手を出した当初はそれなりにスケール性の高いモデルを入線させていましたし、Nでは得られない走りの質感とサイズから来る重量感に酔い痴れたものです。
事実最近の16番モデルは細密度の点では「ここまでやるか?」と思えるくらいに細かくなりましたしスローも結構効いてくれます。
ですが最近のNが同じベクトルで急速な位に細密化、走行のスムーズさを身に着けつつある現状もあって数年前から「なぜ16番?」と言う疑問を感じ始めていたのも確かです。同じベクトルならサイズが大きい方が有利なのは間違いないのですが「実車の縮小コピー」みたいなスケールモデルの現状に少し息苦しさを感じかけていました。
そんな折にふとしたきっかけで出会ったのがカツミのEB10でした。造形の点でも走行性の点でも今どきの模型の方向性からすれば「玩具」以外の何物でもない筈です。車体はボロボロでしたし、入手した時点ではまともに走るのかどうかすら疑わしいモデルでしたが、手を入れて調整するとそれなりに見られる状態にはなりました。
ですが、レストアしたEB10をお座敷で試走させた時、それまでスケール機を走らせた時とは違う一種の清々しさを感じたのです。
それは「ああ、モケイってこれでいいんだ、十分じゃないか」と言ったような清々しさでした。
同じ様な事をスケール機でやったら「砂撒き管が床の埃を拾ってしまいそうな」神経質さと言うか窮屈さがどこかにありましたから(汗)
そういえば、私が幼少の頃、親類の機関士が作ったり買ったりしていた16番モデルを運転させてもらった時、スケール機のED75やらC58なんかよりはるかに強い印象を残したのも「宮沢模型のBタンク」でした。細密感では劣るし走りだってそれなりのレベルだったのにかかわらず、です。形状は自由形でもその走り、最低限の機構のロッドのアクションは幼心に「ジョウキキカンシャの走り」を印象づけるものだったのでしょう。
「如何に実車に似せるか」というのは古来モケイと名の付くもの全てが抱えてきた課題ですが、そのベクトルが徒な細密化と縮小コピー化したからといって、それが必ずしも真理とは限らない。
むしろ形状が実物の文法に沿っているならディフォルメと省略で印象を的確に伝える方が心に残る何かを伝えられているのかもしれない。
これにごく近い印象を受けたのが鉄コレ「猫屋線」のナローモデルです。
それなりにプロトタイプらしきものがあるとはいえ事実上自由形のモデルばかりですが これも初めて走らせた時に「テツドウモケイの素朴な意味での魅力」を再確認させてくれるものでした(贅沢な指摘をさせてもらうならこのモデルの最大の弱点は「スムーズ過ぎる動力ユニット」ではないかと思えたほどだったのです)
ディテーリングが省略されているとはいえ、適度なディフォルメがなされた16番スケールの自由形小型モデルの存在感はNのそれを上回ります。走りにしても意外と重量感を感じさせる「のったり感」とでもいう様な一生懸命さを感じさせるもので「モケイを走らせている実感」を堪能できました。
幸か不幸か日本型Nスケールは入門セットでも早くからスケールモデルの編成物を前提としたラインナップになっていましたから、こうした小型の自由形が育ちにくい土壌がありましたが(外国型ならバックマンのドックサイダーとかミニトリックスのT3みたいなのもありますが)Bトレインショーティのヒットでそれなりにディフォルメモデルが定着しつつあるように見えます。
ただ、不思議な事に現行の16番フォーマットでそれに追随する動きはありませんでした。この時点で16番は細密化、スケールモデル化の隘路に自らはまり込んだような気もするのですが。
細密化、スペック至上主義の最近の模型界の中にあって昔の16番自由形小型機を楽しむというのはある意味「ゆるい」愉しみ方であるのも確かです。私の場合Nは基本編成物かレイアウト上での運転がメインですが、16番に関してはこうした「ゆるくモデルを愛でる、気楽に走らせる」と言う方向に傾きつつあります。
その意味で言えばこの夏入手したメルクリンのモデルなんかは正にその方向性に合致しているとも言えます(笑)
これは例えるなら20世紀末に日本車の性能が著しく向上し、誰でもが「いいクルマ」に乗る様になった同じ時代に当時ですら「基本設計が40年近く前のミニがバカ売れした現象」に近い感覚かもしれません。
で、その中でいつの間にかNと16番・HOとの棲み分けが徐々に明確になってきている気もします。
別にNゲージ至上主義でも16番原理主義でもない立場としてはお気楽ではあります(汗)
特に蒸機に顕著なのですがいわゆるスケールモデルよりもごくコンパクトな自由形、或いはサイズ的に接近する小型機が増えているのです。
8年ほど前に16番モデルに手を出した当初はそれなりにスケール性の高いモデルを入線させていましたし、Nでは得られない走りの質感とサイズから来る重量感に酔い痴れたものです。
事実最近の16番モデルは細密度の点では「ここまでやるか?」と思えるくらいに細かくなりましたしスローも結構効いてくれます。
ですが最近のNが同じベクトルで急速な位に細密化、走行のスムーズさを身に着けつつある現状もあって数年前から「なぜ16番?」と言う疑問を感じ始めていたのも確かです。同じベクトルならサイズが大きい方が有利なのは間違いないのですが「実車の縮小コピー」みたいなスケールモデルの現状に少し息苦しさを感じかけていました。
そんな折にふとしたきっかけで出会ったのがカツミのEB10でした。造形の点でも走行性の点でも今どきの模型の方向性からすれば「玩具」以外の何物でもない筈です。車体はボロボロでしたし、入手した時点ではまともに走るのかどうかすら疑わしいモデルでしたが、手を入れて調整するとそれなりに見られる状態にはなりました。
ですが、レストアしたEB10をお座敷で試走させた時、それまでスケール機を走らせた時とは違う一種の清々しさを感じたのです。
それは「ああ、モケイってこれでいいんだ、十分じゃないか」と言ったような清々しさでした。
同じ様な事をスケール機でやったら「砂撒き管が床の埃を拾ってしまいそうな」神経質さと言うか窮屈さがどこかにありましたから(汗)
そういえば、私が幼少の頃、親類の機関士が作ったり買ったりしていた16番モデルを運転させてもらった時、スケール機のED75やらC58なんかよりはるかに強い印象を残したのも「宮沢模型のBタンク」でした。細密感では劣るし走りだってそれなりのレベルだったのにかかわらず、です。形状は自由形でもその走り、最低限の機構のロッドのアクションは幼心に「ジョウキキカンシャの走り」を印象づけるものだったのでしょう。
「如何に実車に似せるか」というのは古来モケイと名の付くもの全てが抱えてきた課題ですが、そのベクトルが徒な細密化と縮小コピー化したからといって、それが必ずしも真理とは限らない。
むしろ形状が実物の文法に沿っているならディフォルメと省略で印象を的確に伝える方が心に残る何かを伝えられているのかもしれない。
これにごく近い印象を受けたのが鉄コレ「猫屋線」のナローモデルです。
それなりにプロトタイプらしきものがあるとはいえ事実上自由形のモデルばかりですが これも初めて走らせた時に「テツドウモケイの素朴な意味での魅力」を再確認させてくれるものでした(贅沢な指摘をさせてもらうならこのモデルの最大の弱点は「スムーズ過ぎる動力ユニット」ではないかと思えたほどだったのです)
ディテーリングが省略されているとはいえ、適度なディフォルメがなされた16番スケールの自由形小型モデルの存在感はNのそれを上回ります。走りにしても意外と重量感を感じさせる「のったり感」とでもいう様な一生懸命さを感じさせるもので「モケイを走らせている実感」を堪能できました。
幸か不幸か日本型Nスケールは入門セットでも早くからスケールモデルの編成物を前提としたラインナップになっていましたから、こうした小型の自由形が育ちにくい土壌がありましたが(外国型ならバックマンのドックサイダーとかミニトリックスのT3みたいなのもありますが)Bトレインショーティのヒットでそれなりにディフォルメモデルが定着しつつあるように見えます。
ただ、不思議な事に現行の16番フォーマットでそれに追随する動きはありませんでした。この時点で16番は細密化、スケールモデル化の隘路に自らはまり込んだような気もするのですが。
細密化、スペック至上主義の最近の模型界の中にあって昔の16番自由形小型機を楽しむというのはある意味「ゆるい」愉しみ方であるのも確かです。私の場合Nは基本編成物かレイアウト上での運転がメインですが、16番に関してはこうした「ゆるくモデルを愛でる、気楽に走らせる」と言う方向に傾きつつあります。
その意味で言えばこの夏入手したメルクリンのモデルなんかは正にその方向性に合致しているとも言えます(笑)
これは例えるなら20世紀末に日本車の性能が著しく向上し、誰でもが「いいクルマ」に乗る様になった同じ時代に当時ですら「基本設計が40年近く前のミニがバカ売れした現象」に近い感覚かもしれません。
で、その中でいつの間にかNと16番・HOとの棲み分けが徐々に明確になってきている気もします。
別にNゲージ至上主義でも16番原理主義でもない立場としてはお気楽ではあります(汗)