瀬崎祐の本棚

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エウメニデスⅢ  58号  (2019/10)  長野

2019-10-28 23:00:51 | 「あ行」で始まる詩誌
小島きみ子が非常に意欲的に編集発行している詩誌。8人の詩、それに論考、書評が載って32頁。

 「中空での抗い、そのように育むもの」松尾真由美。
 30字×30行の矩形にはめ込まれた言葉が蠢き、ざわめいている。筺の中ではせめぎ合いもあり、新たに徒党を組む言葉たちもあるようだ。ここでは混沌を混沌のまま見せつけている。だから「希望」と言われても安易に信じるわけにはいかないのだ。

   いつまでも乾かない水溜まりが濁りすぎて虫もわいて、気味の悪い
   地下を想像させていき、宙に浮いた涙たちは中空で集まれば扼殺を
   まぬがれる、そうした希望が生まれてきて、より集合する涙の重み
   で紙が破れてひとすじの光がさすのだ。

 「水処(みずこ)」海埜今日子。
 「水の、声だったのかもしれない。」という魅力的な行で始まる。”水処”は”水子”でもあるのだ。水は子どものものであり、流れて旅をしたものが還っていく処でもある。途中に1行ずつ挟み込まれる4カ所の短い詩行を紹介しておく。

   ここ、そこ、どこ、でも。水の、ながい旅が、あらわれてゆく。

   水の子。あそこ、ここだよ。ほそい流れが、声を、たぐる。

   水の子、なんだよ。ながれてゆく、ところは、ここ、そこ。

   海のない、骨が、階を、ここでも、ことばだ。水の声がする。

 「零れる音」北原千代。
 病の末期状態にある「先生」を病室に見舞っている。そこには光があふれているようで、哀しみを越えたおだやかさがある。おそらくは、すでに先生は遺骨になっているのだろう。やわらかなピアノの音色が聞こえてくるような、恩師を送る作品だった。最終連は、

   てのひらに載せると指のあいだから ひかりの音が零
   れる
   ほどかれてここにあるわたしの 節立つ指よ さあ 
   ピアノを弾きなさい 鍵盤の芯には先生の 砕かれた
   肋骨が睡っている

 「エウメニデス」は60号からふたたび小島の個人誌に戻るとのこと。 
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