「磨り硝子の街を」木村恭子。
私がまだ若かった頃に、庭に干してあった祖母の足袋が盗まれた。竿を使った足袋泥棒は、片方を盗ったときに私の影に気付いてもう片方を残して逃げていったのである。足袋の「白い部分が持ち上がって遠のき すっと消えていった」その光景は、磨り硝子越しにぼんやりと見えて「その不思議な出来事も又格別に美しかったのである」。
年月を経て、日常生活で忘れごとが多くなってきている。そんなある日に、
磨り硝子の街を 私の影に驚いた男が 細い竹竿を振
りかざして 歩いていくのである
片方の手に何か一つを大切そうに隠し持ち 霧の中の
慣れない道を唄うような足取りで
やがて大通りに来ると信号を待ちながら おまえ 年
とったなあ 一度だけ振り向いてそう言う
加齢による記憶力、注意力の低下は、否応なく誰にでも訪れる。そんな脳の働きの衰えは、若い頃のことを思えば、自分自身にもどかしくなるような気持ちを招く。すべてのものから鮮明さが失われ、磨り硝子越しの光景のようになってくる。
しかし著者はそんな自分を愛おしく思っているのだろう。足袋泥棒が盗んで「大切そうに隠し持」っているのは、若かった頃に私が持っていたはずのものなのだろう。もはやそれを返してくれるはずもないのだが、そのことを客観的に、諦観のような気分も混じえて見つめている。
光が乏しくなってきた黄昏にも似て、少し寂しいが穏やかでもある心象風景のようだ。
私がまだ若かった頃に、庭に干してあった祖母の足袋が盗まれた。竿を使った足袋泥棒は、片方を盗ったときに私の影に気付いてもう片方を残して逃げていったのである。足袋の「白い部分が持ち上がって遠のき すっと消えていった」その光景は、磨り硝子越しにぼんやりと見えて「その不思議な出来事も又格別に美しかったのである」。
年月を経て、日常生活で忘れごとが多くなってきている。そんなある日に、
磨り硝子の街を 私の影に驚いた男が 細い竹竿を振
りかざして 歩いていくのである
片方の手に何か一つを大切そうに隠し持ち 霧の中の
慣れない道を唄うような足取りで
やがて大通りに来ると信号を待ちながら おまえ 年
とったなあ 一度だけ振り向いてそう言う
加齢による記憶力、注意力の低下は、否応なく誰にでも訪れる。そんな脳の働きの衰えは、若い頃のことを思えば、自分自身にもどかしくなるような気持ちを招く。すべてのものから鮮明さが失われ、磨り硝子越しの光景のようになってくる。
しかし著者はそんな自分を愛おしく思っているのだろう。足袋泥棒が盗んで「大切そうに隠し持」っているのは、若かった頃に私が持っていたはずのものなのだろう。もはやそれを返してくれるはずもないのだが、そのことを客観的に、諦観のような気分も混じえて見つめている。
光が乏しくなってきた黄昏にも似て、少し寂しいが穏やかでもある心象風景のようだ。