瀬崎祐の本棚

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詩誌「大神オオカミ」 42号 (2023/11)  神奈川

2024-01-23 22:31:20 | 「あ行」で始まる詩誌
光冨幾耶が編集・発行している文芸誌。「詩歌・文芸とアートを楽しむ」ことを目的としており、今号は25人の詩作品を載せて72頁。志久浩介の表紙画も想像力を刺激する。

「おもて」鹿又夏実。雨に降られると都市は面になるのだという。それは陰影を失った世界のようなのだが、それをこの作品では抽象的にではなく具体的なものとして捉えているところが新鮮である。面に穴が開き、

   貫通した内部にも
   面が生まれるだろう
   せまい穴のなかで
   向かいあわなくてはならない
   新しい面に慄きつつ、
   世界へとどろく
   そのやわさ

そして話者たちは開いた穴から顔を覗かせて「こんにちは」とか「よく降りますね」と挨拶をしているのだ。社会を皮肉な目で眺めて描いており、シュールな絵を見ている面白さがある。

「晩年」石川厚志。話者は霧の中を彷徨っていて、幼い日の母の記憶や亡くなった父の山荘があらわれる。霞んだ視野の世界は時空が歪んでいたのだろう。

   霧の中でいったい何をしているのだろう
   足もとを見て歩くのが精一杯だ
   枯れたむらさきの花が黄色い口をして落ちている
   それを白爪草がやさしく受けとめている

最後近くに「もう辿り着いたのか」という台詞があるが、いったいどこに向かっているつもりだったのだろうか。

「明るい砂場にて」光冨幾耶。わたしが校庭の砂場で砂山を作っていると、よそのクラスの子たちが足で踏みつぶすのである。わたしがそれでも砂の山を作りつづけると、

   ひとの子たちは楽しげな声をあげて
   わたしの砂の山を足で踏みつぶしていく
   三度ひとの子たちは声をあげてこわしていく
   いくつもの靴に踏まれて
   わたしの手はくろずみ 脈が痛い

こうした行為のやりとりが存在しているのが”明るい”場所なのだ。陽はどこにあたっている? そして、意地悪をする者を「ひとの子たち」と呼んでいる話者は、それでは何の子なのだろうか。
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