瀬崎祐の本棚

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詩集「夜想界隈」 岬多可子 (2018/01) 私家版

2018-01-31 17:36:56 | 詩集
 今年もきれいな紐で綴じられた掌詩集がとどいた。毎年の新年に届けられ、これが6冊目。20字×12行ぴったりに書かれた散文詩12編が収められている。

 冒頭の「苺月」の中に「感情の、そのままの肉。いつも赤く濡れて、/そっと触れてさえ痛むものを、素手で掴む、掴/まれる。」という部分がある。苺の果実の内面へ降りていくような部分なのだが、これはそのままこの掌詩集の特質をあらわしているように感じられる。冷たく濡れていてどこか悪意のような痛みをもたらす、そんな感情をここに収められた詩編は静かにすくい取っているようなのだ。

「綿毛」。閉じられた官舎には薊が生え「官能すべてで痛がっている」。古い畳や蒲団は捨てられ、腐って地に帰ることを待っているのだが、

   緑や紫の畳縁が残り、はみ出た綿に、私的な
   浸潤や汚濁を目にする気まずさがある。ぼわ
   ぼわと飛ぶ綿毛、あれも薊、猛々しい。下肢
   にまとわって刺さるんだってよ。

ここでも単なる光景をこえて、なにか目を背けたくなるような、直視できないようなものが、それこそ”まとわって”くるようだ。忘れられようとしたものが絡みついてくるのだ。

 「終極」では「ガラスとともにあなたが割れるとき」がくる。ガラスの破片を呑みこまぬように、との注意書きがあるようだ。

   うどん屋の角を右に曲がると、看板には金魚
   熱魚とあった。足下の四つの点々に次々と炙
   られて、発するのは情か狂、つまりそういう
   猫類の目になる。声も漏れるが、命じられ、
   熱魚を、つるつる掬い、吊して干していく作
   業につく。

 終極ではどうなるかというと、「破片も熱魚もきっと飲んでしまう」予感が話者にはあるのだ。これらの作品には、どこまでも湿った感情が身体を濡らしてくるような、美しいのだが同時に怖ろしい言葉が積み重なっている。
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Lyric Jungle 23号 愛知

2018-01-26 18:20:58 | ローマ字で始まる詩誌
 平居謙の責任発行の詩誌。カラフルでにぎやかな表紙にも雰囲気が出ているが、若い人の作品を積極的に取り上げていて、とにかく勢いを感じる。小詩集として9人の詩人を取り上げ、そのほかに作品1として3人の俳句、作品2として23人の詩を載せている。

 「青色/卵」草野理恵子。
 卵が好きだった子どもに理不尽な仕打ちをしてしまった私の贖罪の旅路。鞄に入れた卵図鑑の中では雨が降り、すべての卵が孵ってゆくのだ。どこまでもまとわりつく悔恨と回復の手立てのない喪失感が漂う作品。

   子どもの好きな青いペンで描き続けた青い卵
   数えきれないほどの卵の絵が見つかった
   「コマドリの卵だね」
   微かにまた卵の割れた音が聞こえた

大木潤子は「時間を裏返すための十二の練習曲(エチュード)(三)として、12編の12字×5行の作品を載せている。その中から「呪文の効能」全文。

   雨コンコオンモダメ、と呪
   文記憶した水山頂から岩を
   通り太陽通過し言葉の雨火
   となって降り注いで空を飛
   んで「オンモハ今ドコ?」

 雨となって山に降ってきたはずの”水”が唱える呪文が「雨コンコオンモダメ」。この捻れた感じがとても面白い。最後の言葉も、無邪気を装ったあっけらかんぶりがどこか怖ろしい。

「愛の形」阿賀猥。
 南極大陸で行方不明になった彼を捜しに来ている。恋人でもなければ親友でもないのに、なぜ? 捜査のための大金を持ってきたのに、ケチだった彼の流儀に支配されて、

   私は、単独でフラリと氷原に出向き、彼と同じよ
   うにクレパスにおちこみ、今まさに凍り付こうと
   している。これは何か。いったいなんということ
   なのか、と我身の愚かさに驚かされるが、結局は
   これが、これこそが、私の愛の形であると、忽然
   と得心したのだ。

 奇想天外な物語であるが、こんな風にしかあらわせない説明のできない愛もきっとあるのだろう。
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詩集「今昔夢想」 秋元炯 (2017/11) 七月堂

2018-01-24 22:13:00 | 詩集
 第6詩集。130頁に20編を収める。
 作者はこれまでも奇譚のような作品を書いてきているが、今回は詩集タイトルにあるように今昔物語に材をとっている。「はじめに」によれば「今昔物語の世界の中に飛び込んで、想像力を自分なりに羽ばたかせた」とのこと。
 このような形態で作品を書く場合には、材をとった物語をどれだけこちらに引きつけられるか、さらに作者がその中に入り込んでいけるか、などが大きな要点となる。

 「橋」は、鬼が出るといって誰も渡る者がない橋を駿馬を駆って渡ろうとする話。闇に紛れた橋をすすむと、風の匂いは生臭く、やがて女の姿が見えてくる。

   あと少し
   橋の終わりのところが見える
   何者かが背後から馬に飛び乗ってくる
   両肩に白い小さな手
   振り返るとさっきの女
   悲しそうな顔
   小首を傾げている

 もちろんの黒い毛の生えた太い手も伸びてきて、話者はなにも見えなくなるのである。行分け詩で書かれた物語にはリズムがあり、小気味よく異界につながる世界が展開されている。

 今昔物語にはインドや中国を舞台にした仏教説話もあるようなのだが、本詩集の参考文献のページをみると、作品のほとんどは変化、怪異端や盗賊譚、動物譚を参考としていた。作者が自分の想像力を解放する分野がうかがい知れて興味深い。

 「鼻欠け」は、少し頭の弱い五平の一生を描いている。この作品には参考とした文献が挙げられていないので作者のオリジナルの物語であるのかもしれない。五平は地引き網にかかった鼻の欠けた石仏を大切にして毎日手を合わせている。そしてこの仏のおかげで五平は難破した船から一人だけ生還したのだ。嫁ももらい、ひ孫までできて、

   八十七になった朝
   五平は鼻欠けの仏の前で倒れていた
   仏に助けられて七十年
   村の誰よりも長生きをして
   実に安らかな顔で見罷っていた

 日本昔ばなしを思わせるような、素朴な信仰の説話の雰囲気を持った作品。
最後に置かれた「忌夜行日」は、百鬼夜行を追い払おうと踊り狂っている話。痛快。
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詩集「水の羽」 吉井淑 (2017/11) 編集工房ノア

2018-01-20 11:36:11 | 詩集
 117頁、33編を収める。
 この詩集にはどこか伝承のような雰囲気をもつ世界が広がっている。その世界は少し怖ろし気なところを孕みながらも、懐かしい気持ちにもさせてくれる。作品のタイトルも「古家」、「土蔵」、「祭」、「土間」、「納屋」、「鶏舎」、「縁側」などがあり、そこでは生者と死者が同じように存在している。

 巻頭の「古家」は、「もやもやと/おおぜいのものが」「忘れ物を取りに」来るような場所。そこは時間を越えて存在するものたちが交差する場所なのだろう。いろいろな人たちの思いも交差する場所なのだろう。そこには年老いた話者自身もいて、「くたびれたスカートの裾を曳いてい」たりするのだ。最終部分は、

   雨もりだ
   たちまちみんな逃げ出した
   大きな夜へ
   黒いスカートも吸い込まれていった
   内から外へ限りなく
   雨がつづく

 「庭に来るもの」も、時間を越えてやって来る人が詩われている。庭には陽が照っているようで、おそらく明るくて暖かいのだろう。そんな庭におばさんがやってきて、遠い都会にいたおばさんをさがして父がやってきたと言うのだ。その証拠にと、大きな羽を見せるのだ。おばさんの父、わたしの祖父がやってきた証拠の羽なのだ。おばさんの座っていた庭石のあたりにも茶色い羽が落ちているのだ。

   大きいばかりで名もわからない風変わりな鳥
   遠い町まで娘を探しに行った祖父だったが
   わたしの小さな庭に
   ときどき
   破れた羽が落ちている

 庭はやはり明るくて暖かいのだろう。そして人影はあらわれては、羽を残して霞んで消えていくのだろう。そういう人影の思いを受けとめることのできる庭を、作者は持っているのだろう。
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カルテット 4号 (2017/11) 大阪

2018-01-18 22:30:27 | 「か行」で始まる詩誌
 詩誌名とおりに同人は4名だが(田原、山下泉、江夏名枝、山田兼士)、今号にはさらに4名のゲスト作品を掲載している。

 詩集「具現」で“写生詩”を発表していた貞久秀紀「松林のなかで」はその中の一つ。この作品も構造としては3つの文章からなり、情景あるいは状況の描写に徹している。それゆえに余計な感情は排されている静寂さがある。潔い。

   ある日
   この子が松ぼっくりをたづさえ
   あたえようと来てさがしはじめているところに小さな余地がひらけ
   触れうる固さをもつわたしが待っていた

 これもゲストの細見和之の「蟹」は、山陰へ妻と旅行に行ったという作品。民宿で刺青のひとたちと一緒になった風呂に入り、それから妻とふたりで「真っ赤に茹だった蟹を」食べたのだ。

   翌朝
   風呂で一緒だったひとたちが会話している
   --だいぶうなされとったな
   --久しぶりに拷問される夢みたわ

   窓の外は一面の雪景色

 風呂で肌を火照らせていたひとたちも茹だった蟹を食べたのだろうか、それとも蟹が化身していたのだろうか。

 編集人の山田兼士は「谷川俊太郎全詩集カタログ」として、70冊の詩集の簡単な紹介文を載せている。すでに「谷川俊太郎の詩学」の著作がある山田だが、今度は全詩集の詳細なブックレビューを始めるとのこと。労作になるであろうが、期待される。
 
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