瀬崎祐の本棚

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詩集「要素」  荒木時彦  (2016/03)  私家版

2016-03-30 15:40:31 | 詩集
 第10詩集。B6版、26頁の静かなたたずまいの詩集。
 タイトルには数字がふられているだけで、断章のような形態の散文詩が3つのパートに分かれて(表面上は)19編収められている。
 【010】章の作品001では、私が一人の男を捜していることが告げられる。その男は電信柱にステッカーを貼り、転々と移動しながらスケッチをしているというのだ。そして作品002から009までに、男を見つけようとして、海岸や川辺、ホテルなどを私が彷徨う様が記される。

   川はわずかに蛇行しており、川辺の道もまた、わずかに蛇行している。かつて
   この道を通った人の記憶は、今、この道を歩いている人へと送り返される。

 作品は、なんの感情もともなわないように細心の注意をしてそこに置かれているように、感じられる。男を捜して彷徨って私は、誰かに探してほしくてこんな断章を書いているのではないかとさえ思えてくる。
 【002】章に入り、驚く。ここの009までの断章は、【001】の断章とほとんど同じなのだ。移動していく男は今度は写真を撮っていたとされ、私は海岸ではなく港へ行ったりする。文章構造はまったく同じで、当てはめられる単語のみが異なっているのだ。SFの世界ではパラレル・ワールドという概念があるが、まるでそれが構築されているようだ。
 【003】章には断章が一つだけ置かれている。男と私は出会ったようでもあり、そんなことは錯覚であったかもしれないのだ。最終部分は、

   これまで立ち寄った街にステッカーが貼られているのを見たことがない。参照
   するとすれば、男が住んでいた街だということだろう。私は、自分が、そして
   男が住んでいた街に戻ることにする。

 もしかすれば、私が男に捜し求められていたのかもしれない。こうしてこの詩集はウロボロスのような構図を見せて閉じられていく。
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別冊 詩の発見  15号  (2016/03)  大阪

2016-03-25 22:18:16 | 「は行」で始まる詩誌
 大阪芸術大学文芸学科現代詩研究室が年度末に発行している詩誌。編集は山田兼士。
 今号には39編の寄稿詩の他に、山田兼士の「詩集カタログ2015」、6人の学生の詩集レビュー、4人の詩を載せている。148頁。

 「孔雀高砂、祭の夜」細見和之。
 「喫水線がゆれている」夜に、俺たちは孔雀高砂の御輿を担いでいる。すると、一生懸命に担いで体力が消耗するにつれて、御輿に担がれているようにも思えてくるのだ。

   棒を精一杯押し上げて
   差すぞ! 差すぞ!
   海で溺死した畑中
   アル中であえなく逝った下柳
   お前らもすこしは肩をかせ!
   このさきに薔薇色の明けがたなんかあるものか

 これまで生きてきたすべてが御輿に乗ってきて、話者ともう一度一体になっているようだ。祭とはそういうものなのだろう。

 「戦火」杉本真維子。
 日常生活の細かなところに不穏な時代の匂いがこもっていたようだ。使われなくなった家具などにも、だ。それらをきれいに捨てるのだが、新しい生活にはまた異なる匂いのこもったものが、”戦火”のようについてくるのだろう。

   暑くて、貯水池で泳いでいたら
   鯉に間違われたんだって、
   不意のうしろゆび
   顔を見合わせてわらい、最後の家をとじた

 「穴」須永紀子。
 腐敗した木が抜かれてできたくぼみは「ひそかに埋められた」のだ。しかしそこに話者は、自分の一族に受けつがれて来た何かを感じ取っていたようだ。

   ひふの下でたえまなく
   青い出血が起こり
   馴れることのない重さが思考を止める
   捨ててしまえば終わるのか

 どこまでも絡みついてくるものが、埋められた穴の底に潜んでいるようだ。
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交野が原  80号  (2015/09) 大阪

2016-03-23 22:03:14 | 「か行」で始まる詩誌
 金堀則夫発行の個人誌。今号には37人の詩作品、4人の評論・エッセイ、15人の書評を載せて120頁。

 「空の水」野木京子。
 野木の作品には不思議な小さないきものがときおりあらわれる。この作品では「ひかりの小さないきもの」が一番目の姉の手から逃げていく。それは自分を支えてくれるもののようでもあるのだが、場所や時間まで越えてどこかへ駈けていく。作品全体に不安な切実感が漂っている。

   したびかりのように ほんのりとあかるいその場所のひかりだけが
   ひとを支えている と 境目から 返信のように 光線が送られてきた

 「ごもっちょ」高階杞一。
 はて、この”ごもっちょ”とは何だろう? ハサミが股を裂き、パンツが震えると出てくるようなのだ。それもぞろぞろと出てくるのだから大変なことなのだが、ユーモラスな語感と相まって、戸惑いを楽しんでもいるようだ。

   こんなにごもっちょ ごもっちょ
   どうしましょう どうしましょう
   こんなにいっぱい
   あの壁からも
   あの窓からも
   あの遠くへ帰って行った子からも

 「クリームシチューの夜」望月苑巳。
 こちらはあっけらかんとした非常に人間くさいユーモアのある作品。それも自虐的な気分も混じっているような、苦い味のユーモアである。

   カラスの夫婦が仲良く水墨画の空を横切り
   捨て猫のように路地の隅で獲物を狙っている
   新しい悲しみの底には
   古い三角関係の悲しみがあるのだ

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詩集「その器のための言葉」  宮内喜美子  (2015/05)  砂子屋書房

2016-03-21 13:58:18 | 詩集
 第5詩集。133頁に17編を収める。
 アメリカやベトナム、インドなどで必死に歩き続けている。それはあてもない彷徨というよりも何かを探し続けてのものようだ。焦りのような逼迫さもある。
 「前線」では、「世界の前線から遠く離れたところにわたしはいる」と書く。そんな自分の立ち位置の認識があるのも、”世界の前線”がいかに悲惨な状況であるかを感じている自分がいるからだ。

   枕に耳をつけると
   さらさらさらさらと頭蓋の内側で
   なにかが崩壊してゆく音が聞こえる

 ついには「それとも わたしという存在こそが暴力だったのか」と繰り返し自問する。インドシナやチベット自治区、ウィグル自治区。前線から離れたところにいること自体が加害者の立場なのではないかということなのだろう。最終連は、

   夜の公園のブランコが遠ざかってゆく
   闇の重力にしんとして
   この奥深い夜に吊り下げられたまま

 「水鏡」は、暗い水面に映る自分の姿に不安を見ている作品。というよりも、不安があるから”水鏡”のなかに隠されているものを感じているのだろう。

   そちらの世界は
   どうなっているの?
   (思いがけず水面下の動きで湧きあがる水泡や
    つぎつぎにひろがる波紋の乱れでしか
    うかがい知るすべがないのだけれど)

 詩集の最後には「水面」という作品も収められていて、そこでは「耳の奥の水面が/揺れ」るのである。
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詩集「怪獣」  廿楽順治  (216/02)  改行屋書店

2016-03-14 17:51:55 | 詩集
 前詩集は「人名」だったが、今度は「怪獣」だ。「電人アロー」も出てくるし、「がらもん」も「ラドン」も登場する。B6版の、39頁に33編を収める。
 作品はすべて下揃えの行分け詩で、30行前後でほいと世界を切りとってみせてくれる。それはテレビや漫画の世界であるような荒唐無稽さなのだが、妙に身につまされる深刻な状況を提示したりもしてくるのだ。
 「D坂の殺人事件」は江戸川乱歩のおどろおどろした推理小説から来ている。「大人たちは/増殖するじぶんの坂にこっそり耐えている」というのだが、では、大人たちが抱えこんでいる坂とはいったいどんなものなだろう。きっと読者である小学生にはちっとも分からないのだろう。

   夕方のくらがりへ
   そっと
   家族の思い出をすてにいく
   わかってほしくないこともあるのだ
   というように
   死んだひとがどの路地にもいて
   お茶の間をじっとのぞいている

 坂のあたりは自分以外の人たちは納得して生活している場でもあるようなのだが、「近所のおしりのしろい奥さんも/「世界」がないという/そのことにすら気づいていないのだ」と、作者は描いてきた世界そのものもひっくり返してしまうのだ。
 「ジャミラ」は宇宙に捨てられた飛行士が怪異なものに変身してしまった怪獣である。親に捨てられれば人は誰でもジャミラになるのだろう。そんな人は仕事帰りにコロッケを買っていく。

   でもどうして今でも四つなのか
   四つでかなしくないのか
   そのひとは
   わたしたちみんなの親だが
   そのことすらもう覚ええいないのだ

 この詩集ではもちろん怪獣が描かれているのだが、それは作者そのものであったり、対峙している他者であったり、自在に変化する。この理屈ではない発想の自由奔放さがたまらなく面白い。
(おことわり:引用部分は詩集では下揃え表記です。)
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