瀬崎祐の本棚

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詩集「原圭治自選詩集」  原圭治  (2007/08)  竹林館

2007-09-27 23:33:09 | 詩集
 新書スタイルで、これまでの5冊の詩集からの作品を収めていて187頁。若いころから詩誌「詩人会議」に長く関わっていて、市議会議員も何期か務められたようだ。おそらくはそんなことも関係しているのであろう、社会的な視点を持つ作品が特に力強い。

   おまえはいまこそ
   ひとびとのなかにいて
   毒舌を暴風のようにはためかせろ。
   敵は敵だとはっきりさせろ。
   味方の旗はたヾひとつ。
   人民のなかにある赤い旗。
            (「口のなかの旗」より)

これは21歳の時の詩集からであるが、直接的とも言える暗喩がわかりやすいだけに、無駄がなく伝わるものがある。
巻末に詳細な自己略伝がついているが、各種会合の参加者名まで記載されていて、資料としても使えるような内容となっている。
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裸足  306号  (2007/08)  岡山

2007-09-27 23:32:03 | 「は行」で始まる詩誌
 「指先の藍」今井文世。藍染めで使用した染料が爪の間に入り、洗っても取れない。だから、一日中、藍で染まった指先のままで暮らしている。すると、指先が青くなっているだけで、なんでもないような日常の動作も違った意味を含んでいるように思えてくるのだ。

   青い指先を持った この一日
   空に吸い込まれ 海の底を漂い
   私は私から遠くなる

指先の藍はしだいに薄れていくが、布を染めた藍は薄れることはない。その布はこれまでとは違った意味をになった布として、いつまでもあり続けるのだ。最終連はそんな気分なのか。

   雨の日も くもりの日も
   私の見上げる空は 青い
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詩集「雨の向こうから明日は」  羽堂よし子  (2007/07)  出発社

2007-09-24 23:23:35 | 詩集
 モデラート叢書の1冊目。20編を収めて67頁、小さなパステル・カラーのイラストを散らしたソフトカバーで軽快な感じの装丁。
 ほとんどの作品に「あなた」が出てくることからもわかるように、恋愛詩集である。「乱れ髪」がはたして恋愛歌集かどうかは異論もあるのだろうけれども、恋をする気持ちが様々な作品を作らせる大きな要素の一つであることは確かである。そんな作者にとって作品は、恋をしている、あるいは恋をしていた自分を映す鏡なのだろう。

   すべての流れがなくなったこの空間で
   ボンヤリと午後を過ごしている
   私から何かを奪ったものたちが
   微かに残していった
   その正体のことを
   ほんの少しだけ考えながら
          (「夏の終わりのたいくつな午後」最終部分)

なんとなくボサノバのような気怠い、それでいて多幸感にあふれた雰囲気がある。恋をしたということは、たとえ失恋に終わろうとも、恋をしなかった人よりは幸せなのだ。
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Rose of Fukuyama  3号  (2007/07)  広島

2007-09-24 23:22:20 | ローマ字で始まる詩誌
 一瀉千里の個人誌。編集・装丁はずべて本人とのことだが、せっかくのカラー印刷なのだから、表紙にもう少しこだわってみてはどうだろうか。

 「極東カフェテリア」松岡宮。「あなたから/おとうさんまでの距離を評価してください」で始まる何とも不思議な雰囲気の作品。円にこだわっていて、それは少女が腰で回すものだったり、一直線に進むとまた戻ってきてしまったりする事だったりする。

   では では さようなら
   わたしは大きな正円を丁寧にリュックにたたんで
   また東へと
   また東へと
   ずっと東へ東へ進んでそしてまたここに戻ってくるからね

はて、タイトルはなんだったのだろう? 旅の途中に立ち寄っているのか。人と人の距離も直線のままではなくて丸く円にしてしまうと、二人の人は重なってしまうなあ、なんて、全く関係のないことを考えたりして。
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タルタ  2号  (2007/08)  坂戸

2007-09-20 07:19:37 | 「た行」で始まる詩誌
 「あける」千木貢。子供のころにドアを開ける一瞬には、ドアの向こうでは「予期せぬできごとがはじまっているのではないか」といった緊張感があったことを書いている。たしかに、ドアを開けるという行為は、ドアの向こうにあるものと相対する決意がいる。なにが待っているかわからないわけだ。チャイムにつられてドアを開けると、恵みを乞う人が待っているかもしれないわけだ。ドアを開けて相対したくないものと出会ったとき、「いそいでドアを閉じ」ると、相手は「あーと/嘆息して去ってゆく」わけだ。そして、この作品のすごいところはここからだ。暗がりに、ドアの向こうに外へ出ようとして待っているものがいるのだ。

   くらがりの底の底から
   すーと浮上してくる
   かすかな長嘆息
   こっちからあけてやらなければ
   そいつは外に出られないというのに
   どうしてもそいつを引っ張り出す
   ドアが見つからないのだった
               (最終連より)

この作品を書くことによって、千木は、いくらかはドアを細く開けることができただろうか。
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