北原千代の個人誌。散文詩2編、須賀敦子にまつわる連載エッセイ、それに翻訳詩を載せている。
「調弦」北原千代。
年中うすぐらく湿った坂道を上って音楽教室へ通っている。バイオリンを習っているようなのだが、いつまでもそれは調弦をするだけなのだ。メロディを奏でる前の音の単位を微妙に調節しているわけだが、その行為は、作品を書く前の言葉におそるおそるふれているようなイメージを私(瀬崎)に思い起こさせる。
教室からの帰りの坂道には小さな裂け目があり滑りやすくもなっている。調弦という行為は、本来はメロディを奏でるための準備であるはずなのだが、ついには単調に調弦をくりかえすこと自体が目的であるような錯覚にもとらわれていくようだ。それはどこへつづいているのか判らない裂け目に落ちていく感覚なのだろう。
漆喰壁の音楽室で わたしの名は最後のレッスンの夜たった
一度きり呼ばれた からだの内に水のみなもとがあって 深さ
や温さや透明度が変化する 隠れたところにある水をひどく疼
かせ 調弦の弓はゆっくりと離れていった
北原特有の妖しさをともなった隠微な静けさのある作品。
次の作品は「ノマッド」。音を奏でることは、砂漠で遊牧をするようなことなのだろうか。
「調弦」北原千代。
年中うすぐらく湿った坂道を上って音楽教室へ通っている。バイオリンを習っているようなのだが、いつまでもそれは調弦をするだけなのだ。メロディを奏でる前の音の単位を微妙に調節しているわけだが、その行為は、作品を書く前の言葉におそるおそるふれているようなイメージを私(瀬崎)に思い起こさせる。
教室からの帰りの坂道には小さな裂け目があり滑りやすくもなっている。調弦という行為は、本来はメロディを奏でるための準備であるはずなのだが、ついには単調に調弦をくりかえすこと自体が目的であるような錯覚にもとらわれていくようだ。それはどこへつづいているのか判らない裂け目に落ちていく感覚なのだろう。
漆喰壁の音楽室で わたしの名は最後のレッスンの夜たった
一度きり呼ばれた からだの内に水のみなもとがあって 深さ
や温さや透明度が変化する 隠れたところにある水をひどく疼
かせ 調弦の弓はゆっくりと離れていった
北原特有の妖しさをともなった隠微な静けさのある作品。
次の作品は「ノマッド」。音を奏でることは、砂漠で遊牧をするようなことなのだろうか。