瀬崎祐の本棚

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詩集「ボルヘスのための点景集」  藤井雅人  (2013/03)  土曜美術社出版販売

2013-03-28 19:26:52 | 詩集
 第6詩集。88頁に16編を収めている。
 詩集タイトルからもわかるように、ホルヘ・ルイス・ボルヘスに捧げるために「物語性のある散文詩の連作」として書かれている。
 かなり硬質の肌触りがする作品が並んでいる。物語はていねいに説明されるのだが、そこにあるのは架空の理屈である。その理屈によって理路整然と構築されたものこそが作者が必要としたものだったのだろう。「時の鏡」では、

   あれは彼が少年で、時間をほとんど無限と感じていた頃だっ
   たろうか。彼は船の甲板に立ち、手すりにもたれて後方に延
   びていく航跡を眺めていた。視線を白い条に据えつけたまま、
   彼は時の鏡のなかで波間に砕ける泡のように霧散していき、
   残っているのはもはや私だけだった。

 ここにあらわれる”彼”は、”鏡である私”が寄生している人物を指している。私が彼を映していたのだが、やがて時間の流れを「時である私独りが観てい」るようになるのだ。
 こうしていくつもの物語が組み立てられていくのだが、望んだその物語を組み立てた者と、望まれた物語のなかに存在している者は、同じ私の表と裏である。
 「半獣人ナルシス」では、ミノタウロスでもありナルシスでもある私の手記を、話者が紹介している。物語の外側にいるかのような話者は、紹介したその世界へ入り込もうとしているのだろう。
 亡くなった詩人が、自分の作品が朗読されるとぼんやりと顔をあらわす作品「名前」も、詩を書く者、書かれた作品についての考察がなされていて興味深かった。
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詩集「紙の魚」  鶯谷みどり  (2010/10)  「雨彦」の会

2013-03-25 15:35:51 | 詩集
 少し以前の詩集をいただいた。86頁に、著者が18歳の時からの8年間に書いた21編を収めたとのこと。
 軽やかな言葉遣いで描いているのだが、単に物事を見ているのではなくその奥に孕まれているものを捉えようとしている。たとえば、魚が話者となっている作品がいくつかある。魚となって、その生のあり方をとらえ直している。人とは異なるものの生は、どこが人と異なっているのか、あるいはどこが生そのものとして共通しているのかをとおして、あらためて人の生とは何かを考えている。
 「みずくらげ」では、水のなかのゆびさきがとけだしていき「一体 どこからどこまでが/私のものであったのか」がわからなくなる。

   ふいに
   自分のあしと海の境界を
   知ろうとして
   私のからだの皮膚を
   いちまいいちまい剥がしていくと
   そこには 海だけが残るという
   そんな生にあって

 みずくらげの半透明で固定した形を持たない形態が、その生の在り方をも象徴しているように巧みに重ね合わされている。
 やがてその思念は人形や紙飛行機、椅子、ガラス瓶など、生を持たないものの在り方にまで広がっていく。
 この詩集の発行から2年あまりがたち、作者の作品はどのように変わってきているのだろうか。
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対訳歌曲詩集「ドビュッシー・ソング・ブック」  山田兼士・訳  (2013/03)  澪標

2013-03-23 00:18:28 | 詩集
 19世紀末の作曲家ドビュッシーというと、「牧神午後への前奏曲」ぐらいしかとっさには浮かばないのだが、印象派の作曲家としてたくさんの歌曲の作曲もしているのだそうだ。
 この訳詩集は、ドビュッシーが曲をつけたフランスの詩を訳したもの。
 ドビュッシーが曲をつけた詩の作者には、ポール・ヴェルレーヌ、ステファヌ・マラルメ、シャルル・ボードレールなどがおり、訳者の山田によれば「19世紀後半というフランス黄金期の作品群を一望できる」内容になっている。 
 ドビュッシー自身も詩を書いている。その1編「眠れない夜 2.彼女が入ってきた時」の一部を紹介しておく。

   彼女が入ってきた時、ぼくにはまるで
   嘘がスカートの足元を引き摺っているようだった。
   彼女の大きな目の光は嘘をついていたし、
   彼女の声の音楽の中には、何か奇妙なものが震えていて、
   それはぼくがよく知る甘い言葉だったが、
   その言葉はぼくを害し、
   苦しみをもってぼくの中に入ってくるのだった。

 作品は彼女の存在に翻弄されるぼくが描かれていき、ついに、「ぼくの心臓の赤い傷は血を流し、/血は上って彼女の嘘を溺れさせるだろう、/ぼくのすべての苦しみをも。」と終わる。この作品にどのような曲がつけられているのか、誰しもが気になるのではないだろうか。
 本文の組み方は、左頁にフランス語原文、右頁に日本語対訳となっており、行単位のずれは極力なくすように訳しているとのこと。   
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詩集「二十八星宿」  秋山基夫  (2013/01) 和光出版

2013-03-21 19:16:48 | 詩集
 一辺が十二センチほどの正方形の判型で、37頁の詩集。
 今年1月に岡山で「曽我英丘の世界 -星宿の空間 書の造形-」が開催された。この詩集に載せられた作品28編はその企画にあたり書き下ろされたもので、展覧会ではこれらの作品を曽我が書としたものが展示された。
 ”二十八星宿”というのは、司馬遷「史記」で記された東洋天文学とのこと。28日をかけて空を一巡する月の通路、黄道が28に区分して命名されている。それは乙女座の一部である「角」(和名”すぼし”)から始まり、鳥座の一部である「軫」(和名”みつかけぼし”)に至っている。
 作品はすべて四行詩で、その作中に星宿の名も組み込まれている。

   危
   俺たちは大陸から馬できた
   俺たちは鞍で眠り鞍で死ぬ
   天空を飛ぶ危ない夢を見た
   目覚めると海を越えていた

 28の星宿の名を戴いての作品作りというのは並大抵の技ではない。見事に起承転結の構成をとりながら、そこに空を感じさせる広がりのある世界が構築されている。28の小宇宙と言ってもいいのかもしれない。
 展覧会ではこの28の書に加えて、青龍、玄武、白虎、朱雀の四神も書かれており、その書は詩集の表紙、折り返し、裏表紙を飾っている。もう一編紹介しておく。

   鬼
   死んだ蟹の魂は天上に赴き
   残った甲羅は砕けてしまう
   よこしまの鬼は抜け出して
   鋏を差し上げ浜辺を逃げる
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「詩論へ」  5号  (2013/03)  首都大学 現代詩センター

2013-03-15 18:21:21 | 「さ行」で始まる詩誌
 北川透、藤井貞和、福間健二、瀬尾育生の4人の”詩論”が重厚に詰め込まれた240頁あまりの雑誌。福間、瀬尾が退職するためにこの詩論誌もこれで終刊になるとのこと。
 読み通すにはかなりの時間を要する内容である。概要だけを紹介する(といっても、概要から興味を持った方がいても、非売品なので一般的な入手方法はないのだが)。

 北川透は「浪漫主義の生ける廃墟」と題して、70頁近い「三島由紀夫「豊穣の海」論」を書いている。四部作の概略展望から始まり、各作品での輪廻転生の意味づけにしたがって展開される物語を読み解いている。
 藤井貞和は「詩学のために」の連載5回目として「聖獣霊獣抄」約40頁を書いている。「犠牲、神道イズム、仏教観、差別、いじめを、結論に至る方途もなく述べてゆく」として、ベンヤミンから始まり、死刑学、空海の詩、宇津保物語などを経て、原爆、原発事故にまで及んでいる。
 福間健二は「詩について語る」として、自由闊達な90頁を書いている。自身のツイート詩や、授業ノート、夥しい数の書評と映画評などなど。福間の項はどこからでも拾い読み風に楽しむことが出来たが、その多岐にわたる表現活動には感嘆した。
 瀬尾育生は「宮沢賢治アレンジメント」として、「この一年のあいださまざまな機会に宮沢賢治について話したことの断片を集めたもの」を加筆した上で掲載してる。30頁あまり。「ひかりの素足」「銀河鉄道の夜」「なめとこ山の熊」などを検証しながら、死、罪などについて考察している。
 最後に福間健二のツイート詩を一編紹介しておく。

   「死んでるみたいだけど、大丈夫よ。わたしたちが責任をもつわ」。
   だれのことだろう。声はしても、だれの姿も見えない夜の公園。
   ぼくの行く手には、北斗七星。そしてポールスター。きみの戻ら
   ない食堂のテーブルには、きっと、食べようとすると目がさめる
   ごちそうが並ぶ。(立ちどまった恋10)
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