第6詩集。88頁に16編を収めている。
詩集タイトルからもわかるように、ホルヘ・ルイス・ボルヘスに捧げるために「物語性のある散文詩の連作」として書かれている。
かなり硬質の肌触りがする作品が並んでいる。物語はていねいに説明されるのだが、そこにあるのは架空の理屈である。その理屈によって理路整然と構築されたものこそが作者が必要としたものだったのだろう。「時の鏡」では、
あれは彼が少年で、時間をほとんど無限と感じていた頃だっ
たろうか。彼は船の甲板に立ち、手すりにもたれて後方に延
びていく航跡を眺めていた。視線を白い条に据えつけたまま、
彼は時の鏡のなかで波間に砕ける泡のように霧散していき、
残っているのはもはや私だけだった。
ここにあらわれる”彼”は、”鏡である私”が寄生している人物を指している。私が彼を映していたのだが、やがて時間の流れを「時である私独りが観てい」るようになるのだ。
こうしていくつもの物語が組み立てられていくのだが、望んだその物語を組み立てた者と、望まれた物語のなかに存在している者は、同じ私の表と裏である。
「半獣人ナルシス」では、ミノタウロスでもありナルシスでもある私の手記を、話者が紹介している。物語の外側にいるかのような話者は、紹介したその世界へ入り込もうとしているのだろう。
亡くなった詩人が、自分の作品が朗読されるとぼんやりと顔をあらわす作品「名前」も、詩を書く者、書かれた作品についての考察がなされていて興味深かった。
詩集タイトルからもわかるように、ホルヘ・ルイス・ボルヘスに捧げるために「物語性のある散文詩の連作」として書かれている。
かなり硬質の肌触りがする作品が並んでいる。物語はていねいに説明されるのだが、そこにあるのは架空の理屈である。その理屈によって理路整然と構築されたものこそが作者が必要としたものだったのだろう。「時の鏡」では、
あれは彼が少年で、時間をほとんど無限と感じていた頃だっ
たろうか。彼は船の甲板に立ち、手すりにもたれて後方に延
びていく航跡を眺めていた。視線を白い条に据えつけたまま、
彼は時の鏡のなかで波間に砕ける泡のように霧散していき、
残っているのはもはや私だけだった。
ここにあらわれる”彼”は、”鏡である私”が寄生している人物を指している。私が彼を映していたのだが、やがて時間の流れを「時である私独りが観てい」るようになるのだ。
こうしていくつもの物語が組み立てられていくのだが、望んだその物語を組み立てた者と、望まれた物語のなかに存在している者は、同じ私の表と裏である。
「半獣人ナルシス」では、ミノタウロスでもありナルシスでもある私の手記を、話者が紹介している。物語の外側にいるかのような話者は、紹介したその世界へ入り込もうとしているのだろう。
亡くなった詩人が、自分の作品が朗読されるとぼんやりと顔をあらわす作品「名前」も、詩を書く者、書かれた作品についての考察がなされていて興味深かった。