第1詩集。109頁に26編を収める。帯文は中塚鞠子。
詩集全体を通して母であることの痛みが伝えられてくる。それは個々の作品がつなぎ合わされて浮かび上がってくる物語に裏打ちされている。
たとえば「食べるのは嫌いなの」は幼い女の子のモノローグとして差し出されてくる。おかあさんはお財布の中の少ししかないお金を見せ、「痩せっぽっちで/猫背の私に/たくさん/食べなさいっていう」のだ。そんなおかあさんの財布はおかあさんみたいによれよれになっていき、そのあかあさんは涙みたいにお金もぽとぽとこぼす。
食べるのは
嫌いなの
だけど
知ってる?
ほんとうは
おかあさんが
嫌いなの
金銭的にも気持ち的にも貧しい母子関係が浮かび上がってくる。他の作品では離婚があり、親権の調停がある。しかし、これらの物語が現実に根ざしたものであるのか、虚構のものであるのか、それは作品を読む上ではそれほど重要なことではない。それは、母であることの痛みをあらわすために提示された物語であり、それ以上でもそれ以下でもないものだろう。
「ニンゲン嫌いの子育て」では、「あなたには私しかいない」と言う。しかし、私はニンゲンが嫌いで怖いのだ。だからあなたも怖いのだ。それでも母で在り続けなくてはならないのだろう。
私はあなたを抱きしめて知らなかった温もりをもらう
あなたを抱きながらあなたに抱かれる私をあなたは食い入るように見つめる
秘密を知りたいと 何でも知りたいと
怖い気持ちに負けないように満面の笑みを返す
これらの物語を借りて伝わってくる母としての痛みは、鋭く読む者に刺さってくる。
詩集全体を通して母であることの痛みが伝えられてくる。それは個々の作品がつなぎ合わされて浮かび上がってくる物語に裏打ちされている。
たとえば「食べるのは嫌いなの」は幼い女の子のモノローグとして差し出されてくる。おかあさんはお財布の中の少ししかないお金を見せ、「痩せっぽっちで/猫背の私に/たくさん/食べなさいっていう」のだ。そんなおかあさんの財布はおかあさんみたいによれよれになっていき、そのあかあさんは涙みたいにお金もぽとぽとこぼす。
食べるのは
嫌いなの
だけど
知ってる?
ほんとうは
おかあさんが
嫌いなの
金銭的にも気持ち的にも貧しい母子関係が浮かび上がってくる。他の作品では離婚があり、親権の調停がある。しかし、これらの物語が現実に根ざしたものであるのか、虚構のものであるのか、それは作品を読む上ではそれほど重要なことではない。それは、母であることの痛みをあらわすために提示された物語であり、それ以上でもそれ以下でもないものだろう。
「ニンゲン嫌いの子育て」では、「あなたには私しかいない」と言う。しかし、私はニンゲンが嫌いで怖いのだ。だからあなたも怖いのだ。それでも母で在り続けなくてはならないのだろう。
私はあなたを抱きしめて知らなかった温もりをもらう
あなたを抱きながらあなたに抱かれる私をあなたは食い入るように見つめる
秘密を知りたいと 何でも知りたいと
怖い気持ちに負けないように満面の笑みを返す
これらの物語を借りて伝わってくる母としての痛みは、鋭く読む者に刺さってくる。