A4版、73頁に10人の詩作品、3編の評論・エッセイを載せている。
「いない人の目は」吉田文憲。
誰か大切な人が去っていったようなのだ。残されたわたしはわたしだけが聴いているうわごとを呟いている。「もう届かないところへ倒れてゆく」//「微弱な」//「無力の」//「繰り人形として」など。その短い言葉は、やはりいなくなった人への言葉だったのだろうか、それとも、受けとる人がいないことをたしかめるための言葉だったのだろうか。
歩き出すと足音は、水際までついてきた
遠く光る北の海岸線を想い浮かべて、
いない人の目は、だれを捜していたのだろうか--
「夜明けに」布川鴇。
いつの日かの夜明けの浜辺を思っている。その朝にその場所で何事かがあったのだろう。それは「冷えきった指で/散りゆくことのない花を束ね/夜もすがら/蹲っていたものよ」と呼びかけられるものであり、その時から何かが徹底的に変わってしまったのだろう。単なる悔恨ではないのだろうが、深く留められていたものへの諦観と一体になったような思いが読み手にも突き刺さってくる。
いま天に戻された憧憬とともに
正確に刻まれていたはずの時間が
しずかに 意味を失っていく
平林敏彦の評論『「蒼ざめたvieの犬を見てしまった」君へ』は、「田村隆一から三好豊一郎への書信」という副題がついており、1946年に詩誌「新詩派」に掲載された「手紙」と題した田村隆一のエッセイを全文紹介している。田村は、「囚人」を書いたばかりの三好豊一郎の身體を案じながら、詩を書く際の精神と肉體の一元化について言及している。貴重な資料であろう。
また田中清光のエッセイ「伊達得夫・書誌ユリイカの想い出」では、伊達の出版人としての業績が10年ほどの短期間になされていたことに、あらためて感銘を受けた。
「いない人の目は」吉田文憲。
誰か大切な人が去っていったようなのだ。残されたわたしはわたしだけが聴いているうわごとを呟いている。「もう届かないところへ倒れてゆく」//「微弱な」//「無力の」//「繰り人形として」など。その短い言葉は、やはりいなくなった人への言葉だったのだろうか、それとも、受けとる人がいないことをたしかめるための言葉だったのだろうか。
歩き出すと足音は、水際までついてきた
遠く光る北の海岸線を想い浮かべて、
いない人の目は、だれを捜していたのだろうか--
「夜明けに」布川鴇。
いつの日かの夜明けの浜辺を思っている。その朝にその場所で何事かがあったのだろう。それは「冷えきった指で/散りゆくことのない花を束ね/夜もすがら/蹲っていたものよ」と呼びかけられるものであり、その時から何かが徹底的に変わってしまったのだろう。単なる悔恨ではないのだろうが、深く留められていたものへの諦観と一体になったような思いが読み手にも突き刺さってくる。
いま天に戻された憧憬とともに
正確に刻まれていたはずの時間が
しずかに 意味を失っていく
平林敏彦の評論『「蒼ざめたvieの犬を見てしまった」君へ』は、「田村隆一から三好豊一郎への書信」という副題がついており、1946年に詩誌「新詩派」に掲載された「手紙」と題した田村隆一のエッセイを全文紹介している。田村は、「囚人」を書いたばかりの三好豊一郎の身體を案じながら、詩を書く際の精神と肉體の一元化について言及している。貴重な資料であろう。
また田中清光のエッセイ「伊達得夫・書誌ユリイカの想い出」では、伊達の出版人としての業績が10年ほどの短期間になされていたことに、あらためて感銘を受けた。