瀬崎祐の本棚

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一枚誌「紙で会うポエトリー2024」 (東京)

2024-05-15 11:08:03 | 「か行」で始まる詩誌
坂多瑩子、谷口鳥子、和田まさ子の3人の編集による一枚誌で、1年ぶりの発行。B7版の大きな上質紙を6つ折りにして、その両面に9人の作品が載っている。
編集の3人の他のメンバーは、暁方ミセイ、石松佳、小田原真治、神尾和寿、野村喜和夫、山田亮太である。

「LAST DATE付近」野村喜和夫。
何か決定的なものが近づいてくる予感があるのだ。それは話者の存在そのものも脅かしかねないものなのだろう。不穏な風が木立をざわめかせ、来ている気配があるのだ。

   ただ、失語のままに、
   猶予の数列の耳でありたい、ときみもたぶん、思うのに、
   その耳にも、
   来ている、誰か来ている、
   ほら、
   あの音(炎症性の?

来ているものの姿はまだ見えないのに、というよりも、見えないが故に不安、恐怖は一層張りつめたものとなる。そしてそのものの姿が見えてしまった時はすでに手遅れになるのだろう。明日の日本は、明日の世界は大丈夫なのだろうか。

「素晴らしき完結」和田まさ子。
今は無人となっている実家の階段でネズミの死骸が干からびていた。上ることも下ることも選択出来た希望の中途で終わった生は”すばらしい完結”なのだ。その家には七人の叔母たちがいて、幼かった話者のお尻をつねって、自分たちの世界を築いていたのだが、

   実家の階段で拾ったネズミは
   コンビに袋に入れて
   寺のゴミ箱で往生させた
   叔母たちはいまごろ
   庭の茗荷の白い花のまわりで
   よそものを退治した祝宴の最中だ

これもまたすばらしい完結をした家のたたずまいだったのだろう。

「木馬が七台木馬が八台」坂多瑩子。
遊園地でみんながあそんでいるのだがあたしはチケットを持ってなかったからはいれない。で、遊園地は閉門の時間になろうとしている。

   遊園地はとおい昔のこと遊園地は
   昨日のこと
   まだそんなとこにいたの
   古いお嬢ちゃん
   チケット売り場のおじさんがいう
   おおきくなりなすって

輪郭が曖昧となった思い出なのか、それとも夢世界なのか。今は遠くなってしまった世界が切なくすがりついてくるようだ。終わってしまった遊園地の「木馬がたくさん/ギーギーきしみながら眠りのなかに散らばっていく」のだ。
コメント (1)
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