第1詩集。70頁に、どれも見開き頁に収まる長さの行わけ詩が32編。
こんな言い方があるのかどうかわからないが、”正しい叙情詩”というものがあるなら、この詩集の作品などはそれにあたるだろう。事件を詩うわけではなく、ただ自分のなかに微かに波立つものを書きとめている。全部を言い切らないところに残る肌触りのようなものを楽しむことができる。日本語でないと伝わらない余韻というものがあるなあと感じる。
「十二月」は、「今年もあと僅か」になり「引き出しの整理をはじめる」という、誰でもがおこなうであろうことを詩った作品。「ノスタルジアの/発酵して蠢く/かけらを/弾けださないように」して捨てるのである。
十二月は
捨てたものの上に立って
脱皮をする
ぎらぎらと
(最終連)
容易に共感できる作品だが、最終行の「ぎらぎらと」が通常は出てこない言葉での決意で印象的だった。
「靴」は、夫が入院した時に履いていった靴のことを詩っている。その靴は、いつでも家に帰れるように病室の片隅に置かれていたのだが、再び履かれることはなかったのである。そして、その靴は、
黒いよそ行きの靴は
翳をおいたまま
いまも下駄箱の奥に
あなたの足形で身を鎮めている
(最終部分)
こんな言い方があるのかどうかわからないが、”正しい叙情詩”というものがあるなら、この詩集の作品などはそれにあたるだろう。事件を詩うわけではなく、ただ自分のなかに微かに波立つものを書きとめている。全部を言い切らないところに残る肌触りのようなものを楽しむことができる。日本語でないと伝わらない余韻というものがあるなあと感じる。
「十二月」は、「今年もあと僅か」になり「引き出しの整理をはじめる」という、誰でもがおこなうであろうことを詩った作品。「ノスタルジアの/発酵して蠢く/かけらを/弾けださないように」して捨てるのである。
十二月は
捨てたものの上に立って
脱皮をする
ぎらぎらと
(最終連)
容易に共感できる作品だが、最終行の「ぎらぎらと」が通常は出てこない言葉での決意で印象的だった。
「靴」は、夫が入院した時に履いていった靴のことを詩っている。その靴は、いつでも家に帰れるように病室の片隅に置かれていたのだが、再び履かれることはなかったのである。そして、その靴は、
黒いよそ行きの靴は
翳をおいたまま
いまも下駄箱の奥に
あなたの足形で身を鎮めている
(最終部分)