今号から第三次となり、季刊体制になった。通巻としては57号となる。
「惜別」渡辺めぐみ。
作品は「角を折れてゆく車が僕を見た」とはじまる。やがて死んでしまった犬への思いが渦を巻き始める。「存在値という言葉が嫌い」だったり、食べ残されて「炊飯器の中に残っている米粒になりたい」と思ったりする。喪失感が存在する命への苛立ちにもつながっていくようなのだ。犬は車に轢かれたことが明かされる。そして最終部分は、
僕の胸の中を
轢き逃げ犯を乗せた車が
何度も通り抜けてゆく
音は聞こえない
身体が振動するだけだ
ナンバープレートがどうしても見えない
「操車場」永井章子。
夜の操車場には車両の群れが静かに並んでいるのだが、「同じ頃私のなかに最終列車が到着する」のだ。その列車からはその日に感じた気持ちが降り立ってくるのだ。このイメージは新鮮で、頷かされるものがあった。そして、
近頃 かならず
向こうから煙をまとった列車がやって来る
遠い戦いの国から来るのだ
様々に入り混じった臭いや轟音を引き連れて
他の列車たちに君臨する
今、遠い地で起こっている戦いが我が身の感情に乗り込んでくるのだろう。その感情を乗せた列車は、戦地に赴く兵士を乗せた列車、そして負傷兵を乗せた列車のイメージと重なってくる。他人事とせずに、我が身に引きつけた地点での発語が重さを持っていた。
「タクシー運転手」細見和之。
雨の降る夜に濡れた女を乗せたタクシーの怪談めいた話は時折り耳にする。そして今はもう無い目的地に着くと、女の姿はない・・・。小咄めいた語り口の作品なのだが、この作品の愁眉は最終3行である。さすがの作品となっていた。
女の姿がないねん
「万歳、万歳(マンセー、マンセー)いう声が四方から聞こえて
わしの車は深い深い海の底にあるみたいやねん
ほんでいまもうあんたもその海の底におるで
「惜別」渡辺めぐみ。
作品は「角を折れてゆく車が僕を見た」とはじまる。やがて死んでしまった犬への思いが渦を巻き始める。「存在値という言葉が嫌い」だったり、食べ残されて「炊飯器の中に残っている米粒になりたい」と思ったりする。喪失感が存在する命への苛立ちにもつながっていくようなのだ。犬は車に轢かれたことが明かされる。そして最終部分は、
僕の胸の中を
轢き逃げ犯を乗せた車が
何度も通り抜けてゆく
音は聞こえない
身体が振動するだけだ
ナンバープレートがどうしても見えない
「操車場」永井章子。
夜の操車場には車両の群れが静かに並んでいるのだが、「同じ頃私のなかに最終列車が到着する」のだ。その列車からはその日に感じた気持ちが降り立ってくるのだ。このイメージは新鮮で、頷かされるものがあった。そして、
近頃 かならず
向こうから煙をまとった列車がやって来る
遠い戦いの国から来るのだ
様々に入り混じった臭いや轟音を引き連れて
他の列車たちに君臨する
今、遠い地で起こっている戦いが我が身の感情に乗り込んでくるのだろう。その感情を乗せた列車は、戦地に赴く兵士を乗せた列車、そして負傷兵を乗せた列車のイメージと重なってくる。他人事とせずに、我が身に引きつけた地点での発語が重さを持っていた。
「タクシー運転手」細見和之。
雨の降る夜に濡れた女を乗せたタクシーの怪談めいた話は時折り耳にする。そして今はもう無い目的地に着くと、女の姿はない・・・。小咄めいた語り口の作品なのだが、この作品の愁眉は最終3行である。さすがの作品となっていた。
女の姿がないねん
「万歳、万歳(マンセー、マンセー)いう声が四方から聞こえて
わしの車は深い深い海の底にあるみたいやねん
ほんでいまもうあんたもその海の底におるで
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