第7詩集、127頁に17編を収める。
そのなかには2章から5章から成る作品もある。作者によれば、それぞれの章は1編として完結しており、それらの章をまとめれば全体で一つの主題が浮かび上がるように意図しているとのこと。また、詩集最後には2段組12頁に及ぶ譚詩が載っている。
「風が翼を 1 晨」。その時刻では「風が翼を持ち上げようとして」おり、「時は未だ充ちていない」のだ。これから世界が見えはじめる一刻があり、その予感に世界も震えているのだろう。そして、
待ち受けた風が翼を持ち上げる
舞いあがる鳥はもう空だけを見ている
飛びたった樹が激しく燃えあがり
もはや燃えつきぬ焔に変わる
「2 夕」では「夜の尖端」が「墜ちてくる」。このようにこの作品ではふたつの時刻における世界を描いている。光と共に世界は燃えはじめ、新たな一日を経験した世界は暮れようとしながらも「激しく燃えているのに/決して燃え尽きることがない」ものになっているのだ。
作者のどの作品も静かさをたたえている。以前からこの静かさはどこから来るのだろうと思っていたのだが、それは、作中に一人称の言葉があらわれないことからではないだろうか。常に作品にはその記述者がいるのみで、作中の話者はいない。あるいは、話者は記述者と重なり合っている。そのようにしてすべての作品が成り立っている。作品と作者の間に距離がなく、とても密接に繋がっている静かさだったのだ。
「ふたつの世界」。庭の木が剪定され、そこは木のない庭に変わってしまう。鳥ばかりか、風と光も変わってしまった遮るもののない庭にとまどっている。
降りてくる星辰の囀りが
夕闇の底ふかくまで透るとき
昼は猛りたつ風の傷を癒し
夜は立ちすくむ光の傷を護れ
ふたつの世界とは、相対する二つの時間に起きる出来事でもあるだろうし、作者を含めたあらゆる事物の内と外に拡がる世界でもあるのだろう。作者は、故・清水茂氏の世界観にふれながら「それぞれの立場からふたつの世界を思い描いてくださってかまわない。むしろ可能性が幾層にも開くよう願っている」としている。
それぞれ4章からなる「啊責-未生の祈り」、「記憶の旅-Requiem」については詩誌発表時に簡単な紹介記事を書いている。
そのなかには2章から5章から成る作品もある。作者によれば、それぞれの章は1編として完結しており、それらの章をまとめれば全体で一つの主題が浮かび上がるように意図しているとのこと。また、詩集最後には2段組12頁に及ぶ譚詩が載っている。
「風が翼を 1 晨」。その時刻では「風が翼を持ち上げようとして」おり、「時は未だ充ちていない」のだ。これから世界が見えはじめる一刻があり、その予感に世界も震えているのだろう。そして、
待ち受けた風が翼を持ち上げる
舞いあがる鳥はもう空だけを見ている
飛びたった樹が激しく燃えあがり
もはや燃えつきぬ焔に変わる
「2 夕」では「夜の尖端」が「墜ちてくる」。このようにこの作品ではふたつの時刻における世界を描いている。光と共に世界は燃えはじめ、新たな一日を経験した世界は暮れようとしながらも「激しく燃えているのに/決して燃え尽きることがない」ものになっているのだ。
作者のどの作品も静かさをたたえている。以前からこの静かさはどこから来るのだろうと思っていたのだが、それは、作中に一人称の言葉があらわれないことからではないだろうか。常に作品にはその記述者がいるのみで、作中の話者はいない。あるいは、話者は記述者と重なり合っている。そのようにしてすべての作品が成り立っている。作品と作者の間に距離がなく、とても密接に繋がっている静かさだったのだ。
「ふたつの世界」。庭の木が剪定され、そこは木のない庭に変わってしまう。鳥ばかりか、風と光も変わってしまった遮るもののない庭にとまどっている。
降りてくる星辰の囀りが
夕闇の底ふかくまで透るとき
昼は猛りたつ風の傷を癒し
夜は立ちすくむ光の傷を護れ
ふたつの世界とは、相対する二つの時間に起きる出来事でもあるだろうし、作者を含めたあらゆる事物の内と外に拡がる世界でもあるのだろう。作者は、故・清水茂氏の世界観にふれながら「それぞれの立場からふたつの世界を思い描いてくださってかまわない。むしろ可能性が幾層にも開くよう願っている」としている。
それぞれ4章からなる「啊責-未生の祈り」、「記憶の旅-Requiem」については詩誌発表時に簡単な紹介記事を書いている。