第2詩集。152頁に37編を収める。倉橋健一の栞が付く。
かずら橋で有名な祖谷は著者の故郷であり、大半の作品がその地で育った日々に題材をとっている。そこには何の飾り言葉もなく、ただぽつんぽつんと記憶に残る風景や事物を書きしるしている。
Ⅰ部では幼年から少年時代の、Ⅱ部では長じてからの、家族や祖谷の人々との話を語っている。母が亡くなってからは母親のような存在だった義姉は、今は老人ホームへ入っている。大勢の義弟妹のために働いてくれてきた人だ。その「ねえさん」は、
「元さんは優しいんぞ男やのに」と
ホームの人に話をする
他所の人のようにぼくのことを言う
そこでぼくは聞いてみた「元さんはどこにおるんぞ」
「近くにおる」と言う
ねえさんの中でぼくと元さんは
どの位置関係にあるのか
微笑ましくて、少しやるせない。
著者の言葉は、第一詩集「石を蹴る」でもそうだったが、人の気持ちの奥にあるものをさりげなく差し出してくる。そこには感情的な言葉は一切省略されているが、充分に伝わってくるものがある。技巧をこえている言葉がある。
かずら橋で有名な祖谷は著者の故郷であり、大半の作品がその地で育った日々に題材をとっている。そこには何の飾り言葉もなく、ただぽつんぽつんと記憶に残る風景や事物を書きしるしている。
Ⅰ部では幼年から少年時代の、Ⅱ部では長じてからの、家族や祖谷の人々との話を語っている。母が亡くなってからは母親のような存在だった義姉は、今は老人ホームへ入っている。大勢の義弟妹のために働いてくれてきた人だ。その「ねえさん」は、
「元さんは優しいんぞ男やのに」と
ホームの人に話をする
他所の人のようにぼくのことを言う
そこでぼくは聞いてみた「元さんはどこにおるんぞ」
「近くにおる」と言う
ねえさんの中でぼくと元さんは
どの位置関係にあるのか
微笑ましくて、少しやるせない。
著者の言葉は、第一詩集「石を蹴る」でもそうだったが、人の気持ちの奥にあるものをさりげなく差し出してくる。そこには感情的な言葉は一切省略されているが、充分に伝わってくるものがある。技巧をこえている言葉がある。