瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

雨期  50号  (2008/02)  埼玉

2008-03-30 22:52:32 | 「あ行」で始まる詩誌
 「初冬」荻悦子。なにか、人との関係にわだかまりがあったようで、訪れた場所で高みに登っている。わだかまりが気持ちを暗くしているようなのだ。訪れた場所で気持ちがいくらかでも晴れるかとも思っていたようなのだが、そんなことにはならなかった。

   場所が悲しい
   ということはあるだろうか
   どこまで歩いても
   悲しみは人に属するもの

 鐘の音を聞いている。暗い気持ちばかりが取り残されていく。どこか、異国の地のようにも思えるが、訪れる場所は、その人にとってはいつも異国なのだろう。

 50号を記念して、「わたしの転機」という自由記載のアンケートを行っている。このような設問に福間健二氏、小柳玲子氏などの真正面から答えているものが興味深かった。また、鈴木東海子氏が「どのように考えてみましても転機はありませんでした」と答えているのも、すごいことだ。
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ガーネット  54号  (2008/03)  兵庫

2008-03-27 22:03:39 | 「か行」で始まる詩誌
 昨年11月に急逝された寺西幹仁氏の追悼特集が組まれている。関西時代に親しい仲間だった神尾和寿、大橋政人、阿瀧康、高階杞一の各氏が追悼文を書き、詩集「副題 太陽の花」からの作品抄、死後に自宅で見つかった未完作品3編が載っている。亡くなる直前までの寺西氏が、経営が不振となった詩学社を何とか立て直そうと尽力されたことは記憶に残っている。私は直接は全く存じ上げなかったのだが、友人たちの敬愛に満ちた追悼文はその人となりをよく伝えてくれている。また、神尾氏が文中でひいている作品や、詩集からの作品は、初めて読むものであったが、こんな良い詩を書いていたのだと改めて認識した。合掌。

   鳥が飛んでいる
   強い風に流されている
   そんな飛び方もある
   (略)
   商店街を抜けて左に折れると
   浄水場に向かう急な坂だ
   私は自転車を押して
   坂を上がる
   家は坂の上だ
   そこに住むと決めた
   強い風だ
   鳥はもう
   とうに見えない
                      (寺西幹仁『家』より)
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花  41号  (2008/01)  東京

2008-03-26 23:24:15 | 「は行」で始まる詩誌
 「雨のように」山田隆昭。雨に濡れた電線を見ている。電線にたまる水滴が膨らみ、ついに落ちていく様を見ている。水は地にもどり、とどまることなく世界を動いている。第3連はその水滴の独白となっている。

   今日 ぼくは昇天する
   最後に見る風景を忘れはしない
   ふるふると揺れて
   美しく見えるか
   この体 このたましい
   そのときがきて
   なにを連れてゆけるだろう

 この視点の変化が面白い。水滴は落ちても、日向の匂いや草の音はそのままで変わらない。大いなる摂理のもとで、水滴はただ次の象限へ移っていく。そんな水のことを、「水は哀しいもの/うらやむべきもの」と呟いている。
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千年樹  32号  (2007/11)  長崎

2008-03-25 13:14:48 | 「さ行」で始まる詩誌
 「まぼろしの船」岡耕秋。ホテルの窓から瀬戸内海を航行するフェリーを見ているのだが、その形、色合いが何かを思い出させるのだ。ふいに、それが少年の頃に作ったおもちゃの船へと結びつく。戦争が激しくなる前の、穏やかな日々でのことだ。

   船の末路を知らない
   ただ
   青と白に塗り分けた
   船を作った
   それも幻だったのだろうか

 その船で遊んだ友達にも、場所にも、それからつづく時代の中で失われたものがあったのだろう。なぜ、それらを失うような時代がその後につづいたのか、あまりの不条理さに、おもちゃの船を自分で作った記憶すらも疑ってしまうのだ。今、目の前に見えているフェリーが、再び「まぼろしの船」になることがないように思いながら。
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鮫  113号  (2008/03)  東京

2008-03-23 10:15:39 | 「さ行」で始まる詩誌
 「ジーナ6の魚」原田道子。アメリカのジーナ高校で起こった人種騒動をモチーフとしているようだ。ただ、作品はすぐにそんな具体的な地点からは離れて、憎しみという感情が持つ粘っこいようなものに対する嫌悪感に迫っていく。

   こんなにも遙かとおくからでも
   銃弾がひそかに貫通する
   裁きの天窓を
   まるい形にくりぬくこの音
   聞いてほしい。とおもうのですが

 そう、原田の作品はアフリカなどの社会的な見地をモチーフとしたものでも、ついには非常に肉体の感覚的なところへもどってくる。生理的な感触、と言っても良いかもしれない。読む者が、その感触に粘っこくからめ取られるか、それとも、それこそ生理的に拒否をしてしまうか、だ。
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