瀬崎祐の本棚

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詩集「しずく」 大家正志 (2024/06) 私家版

2024-04-29 14:56:10 | 詩集
詩集タイトルには(0~7才)との附記がされていて、121頁に38編を収める。
「しずく」という名前のお孫さんの成長を追いながら描き続けられた作品群のようだ。

冒頭には「生誕」が置かれている。生まれて、そして成長していくということは、いくつもの穴を冒険して次の世界に触れることだとして「この世界にようこそ」と声をかけている。
「汚い手」では、「そんな汚い手/繋いでなんかやるもんか」といった風のきみがガニ股で歩いていく。無辜の手にはやがて無数の地図が張りめぐらされるのだよ、と作者はきみのあとを追い続けるのだ。

「ことば」は、幼子がことばを覚えていくことを詩っている。「きみの欲望は/ことばにみたされ/ことばの渦のなかでただよう笹舟のようだ」という捉え方には感心した。そうか、ことばによって自分の周りの世界も少しずつ構築されていくわけだ。

   そんなふうにきみはものやことを名づけながら
   蟻が苺があまいがくさいがきみの身体性になっていくのだが
   そう言う意味では
   きみという存在も
   きみが名づけることで姿を見せはじめるのだろうが

そして自分の周りの世界が構築されることによって自分の存在も自分の中に意識されていくのだろう。

「おいていかれた」は微笑ましい作品。コンビニから出たとたんにあめ玉をくわえて駆けだしたきみに作者はおいていかれたのだ。

   小さくなっていくきみの後ろ姿を見ていると
   急にこころぼそくなった
   きみが
   あしたまでくわえていったような気がして

角を曲がって見えなくなってしまったきみに作者は「おいおい」と声をかける。ただそれだけの作品だが、作者の加齢の厳しさ、寂しさも感じ取れるものだった。
そうなのだ、こういった幼子を題材にして作品を書くとき、幼子が描かれると同時にその幼子を描いている作者の存在が描かれてもいる。描かれている幼子は鏡であり、作者を映しているのだろう。作者は幼子に映る自分をみているほかはないのだろう。

きみは6歳になりおとうともできる。そして小学生になる。
このあとの”しーちゃん”の作品もぜひとも読んでみたいものだと思わされた。

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