第3詩集。85頁に19編を収める。
第1詩集「かわいくて」ではその天衣無縫な語り口に魅せられたが、この詩集でも小気味のよい啖呵が続く。他の人が知っていようがいまいがそんなことは気にせずに、固有名詞を投入してかきまわしたりもする。それは、自分にとって必要なものだけを選び取って投入してくる小気味よさだ。
「風呂場」は、ホテルの跡地に建設中のマンションが舞台である。
ベッドを抜け出してもぐってゆく。青緑の丸タイルに囲まれた床の排
水溝からもぐってゆく。白い小魚と一緒に泳いでおなかがすいたらそ
いつを取って食べる。苦い魚は生きながらにして茹だって白い。あっ
たかいお湯からきたからね.海にゆくのねおしあわせに。
作者の気持ちの移ろいは煩雑ではあるのだが、読んでいて次第に感じる高揚感のようなものがある。どこにも行かなかったふりをして蒲団をかぶるのだが、「マンションの下には死んだ魚と死んだわたしたちがいる」のだ。
尾頭つきを食べる「お八つ」の第1連から、
白目だって、がんばればちゃんと目は合う。だから問う「わたしが沙
倉まなじゃないのはなぜですか」口は食うてしまったので返事はもら
えない。
訴えたいどんな理屈が作者のなかで渦巻いているのか。他者の存在を意に介していないようでいながら、他者とのつながりをせわしなく求めてもいるようなのだ。「飲み込んだ白目ふたつがおなかのなかで眼光鋭くて捻転」したりして、そのあげくの最終部分は、
歌舞伎揚げに早変わりしてごろごろと甘辛いからだを遊んで夜半を過
ごす。子丑も寅も踊り鳴く。
解釈とか解説とか、そんなものは振り払って、ただ読むことを楽しむ、そんな詩集だ。つい、次の作品も読みたくなる。
第1詩集「かわいくて」ではその天衣無縫な語り口に魅せられたが、この詩集でも小気味のよい啖呵が続く。他の人が知っていようがいまいがそんなことは気にせずに、固有名詞を投入してかきまわしたりもする。それは、自分にとって必要なものだけを選び取って投入してくる小気味よさだ。
「風呂場」は、ホテルの跡地に建設中のマンションが舞台である。
ベッドを抜け出してもぐってゆく。青緑の丸タイルに囲まれた床の排
水溝からもぐってゆく。白い小魚と一緒に泳いでおなかがすいたらそ
いつを取って食べる。苦い魚は生きながらにして茹だって白い。あっ
たかいお湯からきたからね.海にゆくのねおしあわせに。
作者の気持ちの移ろいは煩雑ではあるのだが、読んでいて次第に感じる高揚感のようなものがある。どこにも行かなかったふりをして蒲団をかぶるのだが、「マンションの下には死んだ魚と死んだわたしたちがいる」のだ。
尾頭つきを食べる「お八つ」の第1連から、
白目だって、がんばればちゃんと目は合う。だから問う「わたしが沙
倉まなじゃないのはなぜですか」口は食うてしまったので返事はもら
えない。
訴えたいどんな理屈が作者のなかで渦巻いているのか。他者の存在を意に介していないようでいながら、他者とのつながりをせわしなく求めてもいるようなのだ。「飲み込んだ白目ふたつがおなかのなかで眼光鋭くて捻転」したりして、そのあげくの最終部分は、
歌舞伎揚げに早変わりしてごろごろと甘辛いからだを遊んで夜半を過
ごす。子丑も寅も踊り鳴く。
解釈とか解説とか、そんなものは振り払って、ただ読むことを楽しむ、そんな詩集だ。つい、次の作品も読みたくなる。