89頁に21編を収める。
「あとがき」には「辺野古の新基地建設強硬に反対するため、島々の歴史と文化を学びつつ旅をしてきました」とある。Ⅰの12編はまさしくその旅から生まれた作品だった。詩集タイトルにある”ティダ”とは、沖縄の言葉で太陽を意味する。作者はその地を照らすティダと共に旅をしているのだった。
6章からなる「辺野古」は、その海、土地、生活する人、歴史といったさまざまな面から辺野古が向きあっている問題の理不尽さに迫ろうとしている。
数えきれぬ杭を打つというが
杭は どこにも届かず
きみらの胸に沈んでいく
悔いを呑んで喉は溺れるだろう
込み上げる海鳴りに
包囲されて
中の2章は既詩集の作品を組み込んでいるとのことだが、新たな章と共に全体として立ち上がってくる力強さが生まれていた。
Ⅱには、東日本大震災による原発事故の地、被爆した長崎の地などでの作品が並ぶ。
”じょうろ”といえば、平和な日常生活の中での庭先で水やりに使う道具。作品「じょうろ」では、「そういえばあれだって、じょうろに似たものだろう。いや、ヤカンに親(ちか)しいもの--」と、皮肉混じりに、あの水を湧かして発電をおこなうはずだったものに触れる。
穴があいても指でふさげず、溶け落ちたものを
取り出せないもの。壊れたのに壊れないものが
残り、平面図には戻れず、明けない夜を沸騰さ
せつづけるもの。ヤカンに近いけれど、じょう
ろには似ていないもの。
話者は苗床に水やりをする。そして最終連は、「細い管を通り 蜂の巣から散開する/虹のような慈雨」。とりかえしのつかない怖ろしいものとの対比が効いている。
社会的な主題を孕んだ作品を収めた詩集だったが、声高なシュプレヒコールではなく、その地で問題に向きあう人々とともにそこに佇んでいるような風情であった。その沈んでいく口調故に、怒りや苛立ちはより強いものとなっていた。
「あとがき」には「辺野古の新基地建設強硬に反対するため、島々の歴史と文化を学びつつ旅をしてきました」とある。Ⅰの12編はまさしくその旅から生まれた作品だった。詩集タイトルにある”ティダ”とは、沖縄の言葉で太陽を意味する。作者はその地を照らすティダと共に旅をしているのだった。
6章からなる「辺野古」は、その海、土地、生活する人、歴史といったさまざまな面から辺野古が向きあっている問題の理不尽さに迫ろうとしている。
数えきれぬ杭を打つというが
杭は どこにも届かず
きみらの胸に沈んでいく
悔いを呑んで喉は溺れるだろう
込み上げる海鳴りに
包囲されて
中の2章は既詩集の作品を組み込んでいるとのことだが、新たな章と共に全体として立ち上がってくる力強さが生まれていた。
Ⅱには、東日本大震災による原発事故の地、被爆した長崎の地などでの作品が並ぶ。
”じょうろ”といえば、平和な日常生活の中での庭先で水やりに使う道具。作品「じょうろ」では、「そういえばあれだって、じょうろに似たものだろう。いや、ヤカンに親(ちか)しいもの--」と、皮肉混じりに、あの水を湧かして発電をおこなうはずだったものに触れる。
穴があいても指でふさげず、溶け落ちたものを
取り出せないもの。壊れたのに壊れないものが
残り、平面図には戻れず、明けない夜を沸騰さ
せつづけるもの。ヤカンに近いけれど、じょう
ろには似ていないもの。
話者は苗床に水やりをする。そして最終連は、「細い管を通り 蜂の巣から散開する/虹のような慈雨」。とりかえしのつかない怖ろしいものとの対比が効いている。
社会的な主題を孕んだ作品を収めた詩集だったが、声高なシュプレヒコールではなく、その地で問題に向きあう人々とともにそこに佇んでいるような風情であった。その沈んでいく口調故に、怒りや苛立ちはより強いものとなっていた。