「私を見なくていいから」中島悦子。
中島の作品の魅力は意識の彷徨い方にある。ひとつの思いの周りを螺旋状に回っていたかと思うと、ふいっと遠心力にはじかれたように跳んでいく。そして彼方から別の視線で元の思いを眺めなおしたりする。
この作品では、「私を見なくていいから」「俺は見なくていいから」と、行為の主体を消そうとしている。あらわされた行為、その結果だけを差しだしてくる。だからといって、自分を卑下しているのではない。単に、行為には主体の有り様は無関係だといっているようだ。韓流スターは「素顔はみせなくていいし」「影ばかりでもいい」という。ここでも主体が作りだして提供しているものだけを受けとろうとしているわけだ。
それにしても、「私を見なくていいから」と言われたとき、見る者は何を見ているのだろうか。”私”を見ずに見ることができるのだろうか。本人が見られたくないと言っているのだから見ないようにしてあげるべきなのだろうが、それでも見えてしまう”私”はあるだろう。
たまにくる映画監督からのメールは、「頭が不調です」だって。私は、よく妄想のロケハ
ンをしています。ここで、こんな映像と台詞をと無駄に考えていますよ。メロンパンは、
けっこうカロリー高いって知ってましたか。クリームがないぶんマシかと思っていたら、
とんでもない。だまされてましたよ。「脳は大食い」って、子どもの頃読んだ科学漫画に
ありました。だから、カロリーをとらないと,脳に食われてしまうのかな。
(最終連)
この作品の最後に向かうかき混ぜ方が絶妙の味加減になっている。さて、私(瀬崎)の”メロンパンみたいな脳”は、中島悦子を見てはいないのだろうか。
中島の作品の魅力は意識の彷徨い方にある。ひとつの思いの周りを螺旋状に回っていたかと思うと、ふいっと遠心力にはじかれたように跳んでいく。そして彼方から別の視線で元の思いを眺めなおしたりする。
この作品では、「私を見なくていいから」「俺は見なくていいから」と、行為の主体を消そうとしている。あらわされた行為、その結果だけを差しだしてくる。だからといって、自分を卑下しているのではない。単に、行為には主体の有り様は無関係だといっているようだ。韓流スターは「素顔はみせなくていいし」「影ばかりでもいい」という。ここでも主体が作りだして提供しているものだけを受けとろうとしているわけだ。
それにしても、「私を見なくていいから」と言われたとき、見る者は何を見ているのだろうか。”私”を見ずに見ることができるのだろうか。本人が見られたくないと言っているのだから見ないようにしてあげるべきなのだろうが、それでも見えてしまう”私”はあるだろう。
たまにくる映画監督からのメールは、「頭が不調です」だって。私は、よく妄想のロケハ
ンをしています。ここで、こんな映像と台詞をと無駄に考えていますよ。メロンパンは、
けっこうカロリー高いって知ってましたか。クリームがないぶんマシかと思っていたら、
とんでもない。だまされてましたよ。「脳は大食い」って、子どもの頃読んだ科学漫画に
ありました。だから、カロリーをとらないと,脳に食われてしまうのかな。
(最終連)
この作品の最後に向かうかき混ぜ方が絶妙の味加減になっている。さて、私(瀬崎)の”メロンパンみたいな脳”は、中島悦子を見てはいないのだろうか。