瀬崎祐の本棚

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詩集「アウラの棘」 颯木あやこ (2024/08) 思潮社

2024-08-23 22:52:12 | 詩集
第5詩集。126頁に40編を収める。

詩集前半の作品には、出口のないところへ入り込んでいるような話者がいた。光の射す方向を探し求めて、言葉を四方の壁へ投げかけているようなのだ。

「汝」は、そんな話者が対峙しているものが詩われている。それは死の影をまとったものなのだ。

   いることも いないことも知っている
   だから呼ぶのよ

   欅や雪の姿をまとって
   ふいに現れ
   わたしを安心させたり寂しがらせたりする あなた

おそらく”あなた”はわたしの中にいるのだろう。こうして書くことによって”あなた”を捉えなおそうとしているようだ。

そしてこの詩集の作品が優れているのは、話者の閉塞を自分だけのこととして捉えるのではなく、同じように閉塞している人への視線を持っていることだ。閉塞を個人が閉じこもったものにはしないで、普遍的なものとして捉えようとしている。これは第1詩集「やさしい窓口」のときから作者の根底に流れているもののように思える。

「贈り物」の話者は、「あなたの脇腹に触れるのは」「わたしたちを行き交う/貿易風です」と言う。おそらくその貿易風に乗るようにして、わたしはあなたに贈り物をするのだ。はじめに、私たちの町は寒いので緋色のマフラーを、そしておたがいが分からなくなったときのために心の万華鏡を。

   最後の包みは こねこ
    日々のわずかなすき間さえ充たす
    たやすく失くしてしまいそうな存在の軽さで
    わたしたちは揃ってそれを名づける
    もっとも透きとおった鉱物にちなんで

   ねこが寒がるので わたしたちの風は止む

貿易風はここからどこかへ向かうための風だったのだろう。そしてあなたとの贈り物でここが閉塞した場所ではなくなったのだろう。

辛い心情があり、そこから投げかけられる言葉によって引き上げられていくものもある詩集だった。
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詩集「一瞬の不安」 大家正志 (2024/09) 私家版

2024-08-20 22:00:02 | 詩集
71頁に17編を収める。表紙カバーには指田一の不思議な、大変に魅力的なオブジェがあしらわれている。

「不実」。むかしは「手続きだった」というおんなが登場してくる。何?と思ってしまうのだが、作品はそんな戸惑いを蹴散らすようにぐいぐいと進む。手続きなのでおんなは「丹念に読み込まれ」「薄っぺらな皮膚一枚になっ」てしまうのである。おんなは石の空洞にはまりこみ、その石はやがて(欺瞞によって)神の声が聞こえると崇められるようになってしまう。終連は、

   しかし石は
   ただの石は
   声なき無数の石の路傍の石に混ざりたいとだけ願ったのだが
   そのことを願うたびに
   石のなかのおんなはおんなであった記憶が際だちはじめるのだった

伝承なのか、法螺話なのか、とにかく痛快な独特の世界が展開されている。

他の作品でも「等高線」や「共同体」といった、本来は捉えどころのない概念のような事柄が取り上げられているのだが、語られる内容は大変に身近に感じられる。抽象概念が具体的な事物であるかのように、ときには擬人化されて語られる。手触りを感じさせながら、そこから遠いところにまで読む者を連れていってくれるのだ。

”輪郭の濃いおんな”や”投石兵”、”樽に閉じ込められた人”などもあらわれる。彼らはある意味で極端な状況におかれているのだが、それは不条理を露わにすることによって説明が困難な事柄に立ち向かおうとする方法であるのだろう。
そんな話者にはどさっとくずれてくるものがあり(「どさっ」)、なにごとかが降ってくるのだ。しかも降ってくるのは”もの”ではなく”こと”なのだからややこしい(「空から」)。

「おいっ」では、話者は冬の青空から不意に呼ばれる。「おもわず/こんにちわといってしまった」のだが、誰が、何故、ぼくを呼ぶのか?

   空のむこうでは
   かたちの不揃いな色彩がきらきらしていた
   そのなかに
   おいっ
   という文字が見えた
   それは卑怯だとおもったが
   ことばが卑怯でなかったためしはなかったからいまさらなんだともおもう

一歩間違えれば理屈っぽくなってしまうところを、巧みな話術で楽しく読ませてくれる詩集だった。
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詩集「白くぬれた庭に充てる手紙」 望月遊馬 (2024/07) 七月堂

2024-08-16 22:48:33 | 詩集
第5詩集か。帯文は川口晴美。129頁に18編を収める。
目次には載っていないが「光の声」と題した散文詩が栞のように挟み込まれている。この作品を序文のように読みながら詩集に踏み入っていく。

「島に伝わる七つの伝承をもとに」との附記がある「宮島奇譚」の章の作品は圧巻である。7編の作品の始めに「藝藩通志」という書からの引用がおかれ、そこから作者が紡いだ物語が展開されている。
「1.猿の口止め」は「盥に、水をいれて/しずまったもの くぐりゆくものを」「そっと迎え入れる大晦日」を詩っている。除夜の鐘のあとに子どものあしおとがして、みずおとが聞こえ、そして追いぬいてゆく光があるのだ。そびえる大鳥居を、

   くぐるたびに みあげれば
   朝焼けがある 数羽の鳥の群れがよぎる
   鳥は外部であり
   敬虔な羽ばたきをせなかに閉ざしている
   (おまえの上空にも、微笑のような月。)

縄跳びをする少女は婆と重なり、「おもさのなかへは/まだ見ぬ季節のものをそっと容れよう」とする。

   しかし 冬を呼んではいけない
   冬を呼んだら 猿たちが目ざめる
   (猿たちはいつも小数点のなかにある。)
   (ほんとうは にんげんの欲望を胸に焦がしている。けれどもそれは、貴族階級のしぐ
   さだから、猿はふわふわと踊る。そのことだけは確かだ。)
   (こぶしのなかには あなたもふくまれていて、)

作者は遠い昔に他の島から連れてこられた猿にこだわっている。「ひとつの素描による夕焼けの物語」の章の作品でもあらわれる猿たちは作者にはどのような存在なのだろうか。新しく与えられた場が伝承の地となり、その光景の中で言葉を発していく、その意味を探っているのだろうか。そうした猿の末裔たちが、今みだりに発せられる言葉を研ぎ澄ましている。

こうして7つの島の伝承が作者を絡め取って言葉を紡いでいる。そこにこれまでは見えなかった新しい伝承が産まれ、島を覆いはじめているのだ。

「かすかなひと」。漂着した白い舟からはこびとの船員があらわれ、わたしは彼らがいる庭を守ろうとしている。

   白い舟は 湾を周回し
   わたしは口をおさえて 港をあとにした
   どんなに苦しくても 消えいりたいと思ったとしても
   言葉をすてることはなかった そんなあなたに
   わたしは わたしのことばを相続します

言葉を発することは、そこに新しい光景を作り出すことにほかならない。この作品でも、たおやかだが、それでいて鮮やかな色彩で描かれた光景が現出している。

前詩集「燃える庭、こわばる川」に続いて、宮島や広島といった作者がこだわる風土から立ち上る”気”のようなものに突き動かされて作品が生まれている。そこには作者だけが見ることのできる風景があらわれ、その風景との交流がさらに言葉を産んでいる。前詩集以上にすさまじく濃密な世界を孕んだ詩集であった。
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「交野が原」  97号  (2024/09) 大阪

2024-08-09 18:14:01 | 「か行」で始まる詩誌
金堀則夫編集・発行の詩誌。97号は112頁に、33人の詩作品、17編の書評、2編の評論・エッセイを載せる。

「鉢植えと蜘蛛」井嶋りゅう。
眼前の小さな光景の中にどんどんと物語世界が広がっていく。その凄まじい勢いに圧倒される。バーゲンのハズレにもらった鉢植えの花には水をたっぷりやらなければならないし、そうすれば毎日幸せになるのだし、葉陰にいる蜘蛛は捕まえられないし。改行もなくびっしりと続く散文詩型が効いている。

   私は戻れないのだと思う どこから 何から あの夏の太くなったり細くな
   ったりしながら掠れていった私の声から 葉水を怠ったもわんと暑い窓辺か
   ら

「雨期を待つ」渡辺めぐみ。
死にゆくことを伝えられなかった父は退院していく同室者をうらやましがった。「わたしが語るのは常に上澄みだけ」と思い、言えなかったことは今でも静かに横たわっている。どこにも悪意のない切なさが横たわっている。最終部分は、

   ああ
   とわたしは応える
   主語のない会話だ
   (わたしはまもなく壊れる)

   雨期を待つ季節が少しずつ育ち始めている

「林間」北原千代。
布のようなものになった話者は涼しい林間にいる。そこで限界まで絞りあげて「陽のもとに干してもら」っているのだ。もう今は穏やかなのだろうか。もう未練も後悔もなく、すべてを受け入れているのだろうか。その果てに思うのは、

   まだ肉体があったころ 風の日は風と一緒に本を読んだ
   億万年の草の鎖を本の繁みに発見し ああわたしにも 
   ほんのひと目でよい 結ばせてください と願ったこと
   がある

私(瀬崎)は詩「音楽室」を発表している。
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詩集「迎え火」 西浦真奈美 (2024/05) 思潮社

2024-08-07 10:57:26 | 詩集
第1詩集、110頁に34編を収める。詩集の下半分以上を覆う帯には鴨居玲の挿画があしらわれており、峯澤典子の栞(とても濃密な内容である)が付く。

冒頭におかれた「父 サンサシオン」は父を看取る作品。その時が訪れたことは文字通りに理屈や感情以前の匂いとしての感覚で伝わってきたのだ。

   いのちと身体の残渣を
   病ごと出し切ってゆく たった小さなおむつのなかに

これは辛いとか哀しいとかの気持ちがまとう以前のことで、とにかく判ってしまったのだ。それを巧みに捉えた作品だった。
次の「迎え火」では、煙りの松の木の匂いがいつまでも髪に残り「いないものがいるのだな ここに」と思うのだ。

拒食のあなた、過食のあなたも描かれる。本能的な欲望であるはずの食欲が人としての存在の平衡を失ってしまう。そのことに直面することはどれほど辛く切ないことだろうか。

「まなうら」は、「浮遊するまなうらの昏さ/たたえるものを失った薄い耳朶が/あなたへの距離をはかる」という美しい連で始まる。正直なところ、何が詩われているのかはよくつかめなかった。しかし、緩く蛇行するような詩行は心地よく気持ちに響いてくる。詩を読む愉しみは意味を探ることではないのだとあらためて思う。従来の意味などふりすてたところで言葉は新しい”意味”を作るのだろう。この作品の最終連は、

   些末な手のひらの手招き
   私の 越せなかった冬
   その中で
   真似事のように
   木蓮のかたちに凍てついている

詩集最後のあたりには亡くなっていった母が詩われている。詩集はじめでは父の迎え火を一緒に焚いた母だった。最後に置かれた「オラシオン 庭」では母がいつくしんでいた庭の夏草をひいている。

   落陽をむかえれば
   この庭は弔いの庭になり
   あなたはそこに立っている

静かに父母を送る詩集だった。話者は寄り添い、同時に寄り添われている。両者の思いが”祈り”になっていた。
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詩集「カフカを読みながら」 丸田麻保子 (2024/07) 思潮社

2024-08-02 20:47:05 | 詩集
7年ぶりの第2詩集か。108頁に26編を収める。

詩集前半の作品には小説や映画に材を求めたものがある。それはムージルの小説「黒つぐみ」であったり、風の吹く映画であったり、ウォン・カーウァイ監督の「欲望の翼」であったりする。また原民喜や永山則夫の名前も出てくる。話者はそれらの材の周りを彷徨いながら次第にその物語の中へ入り込んでいってしまう。そして巧みに自分の周りに新しい世界を構築している。

「お茶の話」ではお茶についての詩を書こうとして茶の字が含まれる名前を調べたりしている。芥川龍之介がお茶が好きだったことに触れ、そして最終部分は、

   思い出すのは寒かったことばかり
   昨日の国立市の最高気温は三度
   職場で
   あたたかい紅茶を入れてくれた人がいました
   飲むのが勿体ないような
   きれいな色でした

話者はいたって真面目に、ときに深刻な内容のことを語るのだが、斜め横のあたりからそれを見てると何故か脱力してくるのである。これは何だろうか。こちらが身構えているのにその入れた力が持って行き場のないものに変えられてしまう。奇妙な魅力を持っている。

「しずかな人たち」。まるで物のような静かさを持った人たちがいるようなのだ。その人たちは人としての気配を感じさせない存在の仕方をしているのだろうか。

   だれかが言っていた
   鳩の湯にときどき来てるんだって
   傍らにはかならず
   山登りよりもはるかに大きな
   リュックサック
   いつか
   閉店したサンリオショップの前の階段で
   横になって
   雨宿りしてましたね

とりあえずの名前を与えられた人たちもあらわれる。ミハさん(「もってこいの日」)、ゴチョウさん(「ゴチョウさんに会う」「踊り場」「期日前投票」)などだ。彼らもしずかな人たちなのだろう。

詩集最後に置かれた3編「行列」「秋」「西風」は、どれもが話者が自分に話しかけているような静かな作品。ここまで脱力しながらの奇妙な魅力に惹かれて作品を読んできて、ついに作品は読む人のことも意識の外へ投げ出してどこかへ行ってしまおうとしているようだ。この詩集は次の詩句で終わっていく。好いなあ。

   風の、やってくる方を向くと

   あかるい顔がしずかにぬれている
                 (「西風」)

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詩集「ひめ日和」 網谷厚子 (2024/07) 思潮社

2024-07-30 18:06:14 | 詩集
第12詩集。89頁に20編を収める。

20編の散文詩型の作品は、段落なしの1連で提示される。そこに書かれた言葉は存在感を持ったひとつの集合体のような趣で読み手に迫ってくる。

「ひめ日和」。月が欲しいと何者かに懇願する話者がいる。わたしは尻軽女ではないと言い、鬼かもしれないとも言う。そんなわたしは今夜は弾けてしまいたいのだ。それらの記述は、頻繁に空白を挟み込んだ短い息づかいでなされている。思いつめたような懇願と希求が溶けあった言葉のかたまりが置かれている。最終部分は、

   羽衣を探し出すことも 空飛ぶ車に乗ることもできずに
   老いていくのだろうか だから 今だけ 生まれたまま
   の姿で 空を飛んでもいいじゃない 月が欲しいの 絡
   まった指先を 空高く伸ばし ひしゃくを描いて なな
   つぼし 月をすくい取って 欲し

作品タイトルにある”ひめ”というのは、女性のある形、ある有り様を指しているのだろうか。その”ひめ”になる日和には”月”が不可欠だったのだろうか。月の満ち欠けが女性の肉体の周期性にも関わってくるようで、妖しげな一夜があらわれてきている。

「水渡り」。深い霧の中でのあなたとの会話。そこは水が迫っている場所で、何もかもが湿り気を帯びている。

   あなたはわたしに聞く 逢いたかった人に逢えましたか
    何年も 何十年も 同じ問いを今初めてするように 
   わたしも 今初めて答えるように 逢いたかった人には
   逢えませんでした ひとりうなずき ひとり笑う

言葉を交わしているのに、互いの姿は見えていないような頼りなさがある。頼りないのはあなたとの関係なのか、それともわたしたちが居るこの世界なのか。やがて「あなたは さようならも言わず 向こう岸へ滑り出していった」のである。本当は、逢いたかった人がいると思い込みたかっただけなのかもしれない。

作品の表出の形とも相まって、どの作品にも軽さを振り捨てたところで響いてくるものがあった。
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詩集「扉が開くと」 江口節 (2024/07) 編集工房ノア

2024-07-24 11:36:14 | 詩集
第11詩集。85頁に27編を収める。

これまでの詩集の作品と較べると、本詩集の作品は軽妙洒脱な感覚が強い。これまでの人生から得てきたものを、平易な言葉で自分に言い聞かせているようでもある。あとがきによれば前詩集にスタイルの違いから割愛したものを中心に編んだとのこと。

「実」は1連9行の短い作品で、「軽いんだな、もともと」という気安げなもの言いで始まる。風に乗って飛んで行く綿毛を詩っているのだが、そこにいささか苦みも混じえた感慨を重ねてくる。最終3行は、

   かなし実や なや実が
   なかったら
   とっくに 友はいなかった

悲しみや悩みを、綿毛が風に乗って気ままに運ぶ実にオーバーラップさせている。長くそして重く書こうとしてしまいがちな感慨を軽く切り取っており、それゆえの鮮やかなイメージを残していく。

「空よ」は4連14行の作品。最初の1連は「背中に羽はないけれど/人はやたら飛びたがる/翼になるなら何だって」と文字数を揃えて、音数も七五調を基調にしてリズミカルである。そう、人は飛びたがるのだ。かすかにペーソスも漂うユーモア感もある。最終連は、

   人には
   風が 今日も足りない

この作品も無駄な表現をできる限り省いている。差し出した言葉だけで読み手のイメージが膨らむことを意図している。そしてそれが成功している。。

詩集最後に置かれた「聞こえる」は、様々な思わぬ事態に直面したときに身の奥底からわき上がってくるものを、巧みな比喩を交えて詩っている。

   うごめくもの
   生が揺れるとき
   うごめくもの
   生が軋むとき

話者はそれを詩と呼びたいとしている。作者の確かな思いを感じることができる作品であった。
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詩集「新・四時刻々」 本多寿 (2024/07) 本多企画

2024-07-20 11:07:16 | 詩集
2年前の詩集「四時刻々」に繋がる詩集で、150頁に31編を収める。

日々の作者は自然の営みの中に身を置いて、草木や小さな生きものの息吹を感じている。そこから生まれた作品が集められていて、肩の力が抜けた自然体のものとなっている。
「青葉木菟」。森では鳥や虫たちが死に、獣たちが眠っている。そんな森の中で青葉木菟が鳴きはじめる。その声は、

   語り得ぬものに向かって
   ついに返答しないものに向かって
   銀河を越え
   星の林を超えていく

星が流れ、それは「投げ返された美しい問いのよう」なのだ。そして「その問いこそが/美しい解であった」のだ。自然の営みと交感している話者がいる。いや、その営みの中に溶けこみ、営みの一部になっている話者がいる。

生があればまた死もある。「つまづきの石」では、いつもの散歩道に犬の死骸があって「その死につまづいた」のである。それは慣れ親しんだ日常に紛れこんできた事件だったわけだ。その死骸は片付けられたのだが、「わずかに道は窪んでいた」のだ。

   その窪みで 死は
   尖ったかたちの
   白い小石になって光っていた
   犬のかたちをした雲の影が
   かたわらに蹲っていた

死が日常の中にころがるものとしてあらわれて、ふいに我が身に迫ってきている。

その他にも、「蟬の死」では七日のあいだ鳴きつづけて亡骸となったアブラゼミを詩っている。散らばった死は地中に埋葬し、「すでに消えてしまった/その鳴き声は/空中に埋葬してやる」のである。抗うことのできない自然の摂理としての死をただあるがままに受け入れて、そして悼んでいる。

私(瀬崎)と同年である作者はあとがきで「生死一如である身」としている。その思いに支えられた詩集であった。
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詩集「脳神経外科病棟505」 清岳こう (2024/07) 思潮社

2024-07-16 22:56:09 | 詩集
93頁に58編を収める。

3年ぶりの詩集であるが、その間に作者は脳動脈瘤という大変な病と闘ってきている。作品は4章に分けられており、術前、術直前から術直後、術後、後日談と並べられている。作者は3回の手術をされたとのことなので、実際の時系列とは便宜上異なっている部分はあるのだろうが、読者にとっては大きな流れを感じることができる作品順となっている。

「Ⅰ」には我が身と同じように病と闘っている同室者を詩う作品も並んでいる。それぞれが背負っている人生を嫌味のないユーモアをまじえて捉えている。根底には同じ場で病と闘っている人への共感と応援の気持ちがある。
そんな中で手術の準備も進んでいく。「施術説明」では、具体的な術式説明を聞いている話者は風にあおられ異物が膨らんでいる帆かけ船となっていく。「右脳左脳の間に分け入り ナビゲーターを使いながら進むのです」、「湖の水をぬきましょう 血瘤を取りのぞきましょう」。

当事者である我が身を客観的に見ており、また、いささか自虐的にも捉えることによって乗り越えようとしている作者の精神力には感嘆する他はない。我が身を首筋を化粧品のセールスレディに褒められてもそれは「生き残っての首」であるし(「首」)、台風の中の病室では「ヘルメットを斜めにかぶったまま手榴弾を胸にだ」いている(「塹壕に横たわり」)のだ。

「Ⅱ」には走り書きのような短い断章の作品もある。いよいよ手術に臨む張りつめた心情が何の飾りもなく伝わってくる。

   熱風の舌になめつくされからめとられ
   今は とらわれの身 沈思黙考するしかなく
                       (「夏」全)

   あっけらかんの青空
   なんとか 逃亡できないものか
                       (「冬」全)

「いざ 決戦」となり、その後に「集中治療室」となる。そして「生まれなおし」をしたのだ。

「Ⅲ」では術後の病室にいる。「ラッキーの作法」では紙一重で変わっていく人生の幸運が描かれている。作中に「ブルーコール」という言葉が出てくる。これは病室などで急変事態が生じた際に医療関係者を招集するための全館放送の符牒である(符牒なのでこれは病院により異なり、あるTV医療ドラマでは”コードブルー”という語が使われていた。”スタットコール”という語を使っている施設もある)。

   ブルーコール ブルーコール ブルーコール
   集中治療室に移されたまま帰ってこない50歳がいる
   入院中の私たちに手放しのラッキーはないのだ

自らも同じ状態におかれていながらのこの創作意欲に感嘆する。
そして詩集1冊分の作品を携えて無事に”病棟505”から戻られたのである。それは厳しい北国の冬の寒さから脱して春が訪れたときの喜びに通じるものだっただろう(「落とし物」「えぐね」)。
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