「行方」前沢ひとみ。
掌編小説のように読める散文詩。北の地方から就職試験を受けに上野にやって来た高校生のモノローグで、未知のことに対する不安と期待がない交ぜになった心情が緊張感を持って描かれている。わたしには「いつの頃からか器に食べ物を少しだけ残す癖」があったと語る部分は好かった。
家族に気付かれて指摘されてからはますます「それくらい」を食べること
に抵抗を感じた。確かにそれくらい食べられるだろうと思う量だった。心
の均衡を保つための犠牲のようなものだと言っても分かってもらえないだ
ろう。
面接を終えて会社の人に送られて列車にのり、「だけど此処はどこだろう/今どこを走っているのだろう」と、作品は終わる。これは第一部となっており、第二部は第三詩集に掲載予定とのこと。連載小説の続きを待つような気持ちになる。
「山賊2024」やまうちあつし。
山賊を職業にした人物の話。山賊という非現実的な、非社会的な仕事なのだが、話者はこのAIの時代には「極めて人間的な職業」だと主張する。なるほど、人間的な生業を選んだら山賊だったわけだ。雇った手下の勤務時間や福利厚生のことに悩むところが愉快である。社会の掟との狭間に立たされるわけだ。最後には、
結局、交渉は物別れに終わり
頭目だけが取り残された
仲間割れなら山賊につきもの
割れた茶碗にどぶろくを並々注ぎ
ガブリ、と飲み干す
「無題」小熊昭弘。
大げさに言えば、生きていくためにはさまざまな選択がされることになる。それは「逃げ道」なのか、それとも「決断」なのか。そして何かを「切り捨てる」のだがそれは「身軽になる」ことなのかもしれない。しかし、この思い方の違いだけでやっていけるほど甘いものではないこともよく判ってしまっている。最終連は、
言いきったつもりでないのに
冷たい言葉を吐いてしまったと思う
自分の声なのに 自分の言葉ではない
違和を感じながら生きている
この世界で空回り
素直に共感できる作品だった。
小熊昭弘が毎号丹念に執筆している「情報短信」に、詩誌「どぅるかまら」、個人誌「風都市」を表紙写真を添えて触れてくれている。感謝。
掌編小説のように読める散文詩。北の地方から就職試験を受けに上野にやって来た高校生のモノローグで、未知のことに対する不安と期待がない交ぜになった心情が緊張感を持って描かれている。わたしには「いつの頃からか器に食べ物を少しだけ残す癖」があったと語る部分は好かった。
家族に気付かれて指摘されてからはますます「それくらい」を食べること
に抵抗を感じた。確かにそれくらい食べられるだろうと思う量だった。心
の均衡を保つための犠牲のようなものだと言っても分かってもらえないだ
ろう。
面接を終えて会社の人に送られて列車にのり、「だけど此処はどこだろう/今どこを走っているのだろう」と、作品は終わる。これは第一部となっており、第二部は第三詩集に掲載予定とのこと。連載小説の続きを待つような気持ちになる。
「山賊2024」やまうちあつし。
山賊を職業にした人物の話。山賊という非現実的な、非社会的な仕事なのだが、話者はこのAIの時代には「極めて人間的な職業」だと主張する。なるほど、人間的な生業を選んだら山賊だったわけだ。雇った手下の勤務時間や福利厚生のことに悩むところが愉快である。社会の掟との狭間に立たされるわけだ。最後には、
結局、交渉は物別れに終わり
頭目だけが取り残された
仲間割れなら山賊につきもの
割れた茶碗にどぶろくを並々注ぎ
ガブリ、と飲み干す
「無題」小熊昭弘。
大げさに言えば、生きていくためにはさまざまな選択がされることになる。それは「逃げ道」なのか、それとも「決断」なのか。そして何かを「切り捨てる」のだがそれは「身軽になる」ことなのかもしれない。しかし、この思い方の違いだけでやっていけるほど甘いものではないこともよく判ってしまっている。最終連は、
言いきったつもりでないのに
冷たい言葉を吐いてしまったと思う
自分の声なのに 自分の言葉ではない
違和を感じながら生きている
この世界で空回り
素直に共感できる作品だった。
小熊昭弘が毎号丹念に執筆している「情報短信」に、詩誌「どぅるかまら」、個人誌「風都市」を表紙写真を添えて触れてくれている。感謝。
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