第3詩集。93頁に21編を収める。
どの作品からも作者が抱えている疎外感を感じる。それは親からの疎外感であり、夫や子どもからのそれである。自分は誰ともつながっていないと感じているようなのだが、あるいは自らがつながろうとしない意志を持ってしまったのかもしれない。
たとえば「ひとり娘」では少女は母に疎外されている。少女はすでに母に愛される術を失っているようで、自分でも世界を閉じているようなのだ。痛みが辛い。
同じように母に対しての鬱屈した感情が痛々しいのは「代理母」。「母が老いてきたので 母の代わりが欲しいのだ」という。その代理母に、わたしは母にしてやれなかったことをしてやりたいという。いったい、何を? それは、とてつもなく残酷で怖ろしいことのようにも思えてくる。
実母の頭が元気なうちに
できるだけ頑丈な代理母を見つけたい
長年の思いを込めて わたしが母に何をしてやれるかは
これからじっくり考えよう
あまり刃物を使いたくないので
わたしは身体を鍛えておこう
「交差点」では、今度は母親としての私の存在理由が問い直されている。いや、試されている。わたしが男に車で連れられてきたのは、自分の家だった。男は、家にいた男の子と一緒に出て行ってしまう。
わたしは自分のベッドに横たわり
途方もないさみしさと
変化のない生活に戻る安堵の気持ちの大きさをくらべながら
いつもより妙に明るく見える天井を見つめていた
自分の家族も他人となってわたしの前に現れるようなのだ。男や男の子は、わたしを冷たい母親だと見ているのだろうが、わたしには未練もない人たちなのだろう。それでも、今までは何かの形であの人たちに縛られていたのだろう。
どの作品からも作者が抱えている疎外感を感じる。それは親からの疎外感であり、夫や子どもからのそれである。自分は誰ともつながっていないと感じているようなのだが、あるいは自らがつながろうとしない意志を持ってしまったのかもしれない。
たとえば「ひとり娘」では少女は母に疎外されている。少女はすでに母に愛される術を失っているようで、自分でも世界を閉じているようなのだ。痛みが辛い。
同じように母に対しての鬱屈した感情が痛々しいのは「代理母」。「母が老いてきたので 母の代わりが欲しいのだ」という。その代理母に、わたしは母にしてやれなかったことをしてやりたいという。いったい、何を? それは、とてつもなく残酷で怖ろしいことのようにも思えてくる。
実母の頭が元気なうちに
できるだけ頑丈な代理母を見つけたい
長年の思いを込めて わたしが母に何をしてやれるかは
これからじっくり考えよう
あまり刃物を使いたくないので
わたしは身体を鍛えておこう
「交差点」では、今度は母親としての私の存在理由が問い直されている。いや、試されている。わたしが男に車で連れられてきたのは、自分の家だった。男は、家にいた男の子と一緒に出て行ってしまう。
わたしは自分のベッドに横たわり
途方もないさみしさと
変化のない生活に戻る安堵の気持ちの大きさをくらべながら
いつもより妙に明るく見える天井を見つめていた
自分の家族も他人となってわたしの前に現れるようなのだ。男や男の子は、わたしを冷たい母親だと見ているのだろうが、わたしには未練もない人たちなのだろう。それでも、今までは何かの形であの人たちに縛られていたのだろう。