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詩集「血はねむり血はけむり」 橋場仁奈 (2022/08) 荊冠舎

2022-08-26 21:03:14 | 詩集
103頁に24編を収める。

一人称で展開される作品世界は、奇妙な混乱に満ちている。
たとえば巻頭の「傘のハミング」。私は「夜中に合羽を着せられて娘と息子に/猫車に乗せられ 真駒内川にすてられた」のである。そうして話者はビニール傘をさして「ららら」とパンを買いに行くのだが、セメント工場の物置の前には猫車がひっくり返っているので「ゆうべもきっとすてられた」のである。私は父や母や兄や姉をすてにいく者であり、クロネコヤマトで配られるものになる。私はどこへ向かうのか、作品はどこへ向かうのか。この混乱は悲劇的でありながら、不思議な高揚感も伴っている。私は「トリカブトの枝を持ち薄衣をかぶり」裸足で舞っている。やがて、

   私の身体にもいちめんに苔がはえ緑色になってのぼっていく
   父 母 兄や姉たちに会いにいく小雨にかすむ彼らの家を
   とおくに見て今日はかえろう なおもさみしくなるこころを
   おさえていちだんいちだん下りていくときどき手すりに
   つかまって 傘をさして傘をさして ららら

このように作品には、理屈とか解釈を振り捨ててどこまでも行ってしまう力がある。

「引きぬく」。糸を1本引きぬくと白い布にはギャザーがよって「縦1列に小さなあかりが灯って道しるべとなる」。そこに川が流れ、その向こうでは前屈みになった父はナタで鶏の骨を叩いている。寒い日も暑い日も骨を叩く音がして、叩かれて首がない私はバタバタと飛び、走る。明日には生き返って走り回ると思うのだが、覚めればやっぱり首がないのだ。極限のような状態を作り出すことによって作者はどこへたどり着こうとしたのだろうか。あまりの激しさに、読む者はただ立ち尽くしてしまうばかりだ。最終部分は、

   草が波立つ、水の、草の、虎杖のむれが
   幽霊のごとくゆれてゆれて草の、水の、石の、
   どの身体からものびてくる捻れて絡まる
   蔓草の記憶の糸を1本、引きぬくと
   あかりのように川が
   流れはじめる

一編一編が濃密である。この、誰のせいによるのか判らない喧噪と、何のためなのか判らない混乱が、作品世界を縺れさせる。一度踏み込むと抜け出せない魅力的な作品世界だ。
巻末におかれた「少女」については詩誌発表時に感想を書いている。

この詩集と同時に、同じ発行日付のもう一冊の詩集「あーる/、は駆ける」も届いた。そちらには15編が収められているのだが、ふたつの詩集がそれぞれで構築している世界はまったく異なるものだった。「あーる/、は駆ける」の作品も混乱しているのだが、そちらでは言葉が勝手に作者を引きずり回しているような混乱であった。
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