瀬崎祐の本棚

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詩論集「詩と呼ばれる希望」  清水茂  (2014/12)  コールサック社

2015-02-26 23:57:29 | 詩集
 「ルヴェルディ、ボヌフォア等をめぐって」と副題のついた詩論集。255頁。
 これまでずっと理系の世界を歩んできて文学的な素養を身につけることができなかった私にとっては、永年にわたって文学を研究してきた方は畏敬の対象以外の何ものでもない。著者もそのようなフランス文学の研究の第一人者である。
 Ⅰ章は副題に挙げられている二人の詩人についての評論であるが、内容としてはそれらの詩人の研究というよりも、それらの詩人をとおして、著者の言葉を借りれば、「自分にとってのただ一つの問題、〈詩〉とは何なのかということを(略)繰り返し吟味している」ものとなっている。そのために単に学究的なところからは離れており、得るものが多々あった。

   詩の読者としての私たちはことばを通じてしか、ことばの語り得なかった
   ところまで沈潜してゆく手立てはないのだから、まずはことばにたいして
   柔軟な感能力を用意することが必要だ。そして、そのことばに即して、何
   らかのイデーやイマージュを現前せしめるためには、私たちの生そのもの
   に依拠する想像力の働きが必要だ

 Ⅱ章は4つの講演の記録となっており、ここでも多くの示唆を受けた。特に「イマージュ、イデー、ことば」では、なんとなくぼんやりと感じていた”詩”というものに関する事柄が明確に整理されており、ああ、そういうことだったのか、と納得させられた。
 いまや「他者としての個人も世界も断片化されて、その〈全一性〉を否定されてい」るのだが、詩に可能なことは、

   単純化していえば、世界と個人とのなかに、こうして失われた〈全一性〉
   をいま一度目醒めさせ、回復させることではないだろうか、私たちの護る
   べき価値とはこのことなのだと示すことではないだろうか。

 また、個人が蓄えているイマージュと詩におけるイデーの関係についても、私が断片的に思っていたことをまとめる手がかりを与えてもらった。
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孔雀船  85号  (2015/01)  東京

2015-02-21 21:49:47 | 「か行」で始まる詩誌
 38人の執筆者が集まり、約120頁。詩作品、詩集評の他に映画、クラシック音楽の頁もある。「孔雀船画廊」に載る岩佐なをのエッチングによる書票も楽しい。

 「泣きながら」福間明子。
玉葱の皮をむきながら泣いている。それは刺激による涙だったはずなのだが、いつしか本当に泣いていて、涙が止まらなくなったのだ。生きていれば、それはあることだろうと思える。「心も涙も枯渇していった/なんて嘘」なのだ。平常心を保とうと、日常の動作に自分を追いやっている。

   フライパンを火にかけて
   ジャアジャアジャアと炒めて焦がして
   悪意を焦がし恐怖を焦がし心を痛めて
   これが身を焦がすのなら救いもあろうに

 話者は、何をしても覆い隠すことのできないものが自分の中にあることを、生理的に感じ取っているのだろう。

 「演技のためのエスキス」尾世川正明。
 「祈るための演技」、「詩を書くための演技」、「都市を去るための演技」、「繰り返すための演技」という9行から10行の4つの作品からなる。演技というからには、そこには他人に見せるための、あるいは他人を欺くための何かがあるのだろう。しかし、形から入って真の姿に近づくことも、またあり得ることだろう。また、当人自身が演技に裏切られることもあるだろう。作者も演技と真の間を彷徨っているようだ。

 小柳玲子の連載「絵に住む日々」も毎号楽しみにしているエッセイ。今回取りあげられているヴァロットン展とオルセー展は私(瀬崎)も鑑賞していたので、ことさら興味深かった。
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詩集「肥後守少年記」  高田太郎  (2014/12)  土曜美術社出版販売

2015-02-20 20:43:31 | 詩集
 第9詩集。77頁に17編を収める。
 もう今ではタイトルにある”肥後守”を知らない人もいるかもしれない。かっては少年なら誰でも持っていた小型の折りたたみ式のナイフのことである。山野の遊びの時にはそれで木を削り、学校では鉛筆を削った。どこかの会社の商品名だと思うのだが、その手のナイフはみんな”肥後守”だった。
 ということで”肥後守”は少年時代の象徴のようなのだ。そしてこの詩集は、そのタイトル通りに少年時代の思い出に材をとっている。
 「白鷺」では、「ぼくのポケットの中の肥後守は/まだ血を知らなかった」と、禍々しいものの予感に脅えながらも、旅立ちの前の高揚感も記されている。

   満々と水を湛えた川に
   野放図に游弋する異国の雷魚
   その銀鱗を裂いて
   ぼくは大人になるはずだったが
   その儀式は未だに来ない

 ここには少年特有の自分の幼さに対する苛立ちがある。
 年上の未亡人への憧れ、転校してきた少女への淡い想い。そのようなものも含まれた少年時代の思い出があるということは、そのまま現在の自分の老いを認識することへつながっていく。
 寂しさとあきらめもあるようなのだが、最後に置かれた「肥後守讃歌」では、

   共に血を分け合った戦友肥後守
   別盃はまだ先の先だ
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地上十センチ  9号  (2015/02)  東京

2015-02-19 17:17:22 | 「た行」で始まる詩誌
 和田まさ子の個人誌。表紙にはフィリップ・ジョルダーノの軽快で不思議なイラストが載る。ゲストは大江麻衣。

 「発熱する家」和田まさ子。
 部屋の電球を新しい白熱灯に替えたら、照らし出されたものがみな大きく見えてきたという。そればかりか、小さかった家自体も「赤黒くなって/膨張し」ているのだ。

   窓からは粉を吹きあげて
   光を放ち
   恒星のようだ
   何かに怒っているのか
   熱を帯びて
   ゆらゆらと動き出しそうだ

 この衝動はなんだろう。今まで暗がりに隠されていたもの、抑えつけられていたものが一気に露わになったようだ。もちろんそれは作者の中に在ったものだから、「わたし」はさらに明るくするために電球を買い足そうとするのだ。どこまで「家」に隠されていたものは露わになるのだろうか。

 「蛭」和田まさ子。
 「泥で泥を洗うように/わたしはあなたの身体を洗」っている。人には優しくしたいと思っても、蛭が血を吸うように、どうしようもなく血を流してしまうこともあるのだろう。そして、あなたは蛭には顔がないという。

   人には顔があるので
   この世を複雑にしている
   顔をなくすことが
   新しい課題になって
   だから
   わたしの完成形がどんどん遠ざかる

 あなたとの関係が切なく思えてくる作品。ついに顔がなくなれば、「わたしはいない」のだろうか。
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ロッジア  14号  (2015/02)  兵庫

2015-02-16 22:06:56 | 「ら行」で始まる詩誌
 毎号濃密な作品世界を現出してくる時里二郎の個人誌「ロッジア」14号が届いた。
 今号は《名井島》field notes vol.1 として、3編の行分け詩と「名井島のためのエスキス」と題した小文が載っている。 
 「鳥のかたこと 島のかたこと」では、「見えない島の鳴かない鳥」の”かたこと”が記されている。それは祝詞のような雰囲気の、意味を持つ以前の言葉である。これらの言葉の由来はあとの作品で明らかになってくる。
 この名井島は、通訳と呼ばれる言語系アンドロイドを、かっては製造し、今はその不具合を補修する場所なのだという。

   名井島の工場(ファクトリー)には 彼の保育器が残されている
   (略)
   今は抜け殻となった保育器は 天気のいい日には開いて陽にあてられる
   草の花のように残された島の挿話に風をとおすためだ
                         (「名井島(ないじま)」より)

 さらに「伯母」では、私に「音の切れ端」を与えてくれる人物が登場する。

   いくつもの島々が みどりの卵のように浮かぶ
   見えていても ない島と 見えないけれども ある島があるのよと 伯母は言う
   どの島がない島なのと 私が問うと
   私と伯母では 見える島とそうでない島は同じじゃないからと伯母は笑う
   無音の耀く波が私の口を濡らす
   この島も ここから見える島も まるで 海の息づきのようだ

「エスキス」によれば、(驚くべきことに)私は詩人の《通訳》なのである。そのために、ヒトの言語生活機能を部分的に壊しながら言葉を習得しているようなのだ。ここであの原初的とも言える「かたこと」が結びついてくる。
 このように24頁のこの詩誌は1冊全体で一つのおおきな物語(の一部)を構築している。その緻密な構想に圧倒され驚嘆する。
 このシリーズは言語系アンドロイドというものの存在をとおして、何を詩として認識するのか、それが生まれる場は何処にあるのか、といった問題に迫っていくのであろう。次号を期待して待ちたい。
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