「うるさり」中堂けいこ。
有機化合物は生命体となったときから経験、知識を伝承して変化をしてきた。それを進化と捉える考えもあるし、たんなる変異だと捉える考えもある。この作品にはそこに流れた膨大な時間を感じての畏れも描かれているようだ。
ひとひとりぶん たぶん感覚質のクオリアが反応する
それぞれがつながると 時に その時がすすむ らしい
みずからをわかつひと ひとり分の過去さえたもてない
有機化合物のかけらがもとの正体を現すのはいつだろう
「ドアースコープ」神田さよ。
廊下の蛍光灯が切れかけて点滅している。小さなドアースコープから見える世界はそこだけで成り立っていて、その世界では点滅する灯りで光の時間と闇の時間がせめぎあっているのだろう。瞬時の光に照らされるその光景は、時間に切り取られているのだ。
点いては失(き)え
失えては点く
瞬時に照らされる世界
だれも通らない廊下
壁のなかの
台詞を忘れた
死者の影
最終連にちょっとしたオチが付いているが、これはなかった方が、作品としては潔かったのではないだろうか。
渡辺めぐみは「人間や事物への愛着」と題して、神尾和寿詩集「巨人ノ星タチ」の書評を書いている。神尾作品のそのあっけらかんとした面白さは他に類をみないのだが、私(瀬崎)はその正体を掴めないでいた。しかし渡辺はそれをきちんと分析してくれている。神尾の作品引用に続いて、
現代的な詩を書こうと全く気負わないシンプルな言葉で書かれた、生きて行
く上での雑感の一つであるかのような詩行だ。だが、心地よく、誰もが心が
安らぐのではないだろうか。
なるほど、そうだよな、とうなづける神尾作品の魅力を端的に述べている。
時代や社会を風刺する詩は世の中にたくさんあるが、神尾の詩はそれらとは雰
囲気が違う。目的意識を感じさせない。ただ詩としてそこにある。その押しつ
けがましさのなさにおいて、神尾和寿は固定ファンを持つのだろう。
そして、「作品の根底にはパーツに分解された批評性が流れて」いることもちゃんと指摘している。神尾作品はただの楽しい作品ではないのだ。