「アオサギ、昼寝する」冨岡郁子。
どろだしをするつもりだったのに、ひとだしになってしまったとのこと。もう、どろだかひとだかわからないのだ。ヒトとヒトの境って何だ? どろのようにごちゃごちゃになるものなのだろうか。
シセンは質量をもち
軸にちかづいていく漸近線のように
見られているヒトとの空間をあばいていく
そして
一瞬をとらえ
交わったり合わさったりすることがある
奇妙な決断のようなものが感じられる。話者は、アオサギが昼寝しているどろの川で「もうひとはらき」するのだろう。
「秋から冬へ」岬多可子。
前半、発情して真っ赤な下腹になった雌蜘蛛たちがいて、「はげしく腫れた 赤は/わたしの目にも 血を流させた」のだ。そして後半、駅への階段の上には「赤く濡れて 羽や肉も 乱れ散っていた」のだ。禍々しいこの光景はわたしに何を強いてくるのだろうか。
同じような色の血を
内側にめぐらせながら
舞う羽毛の数枚
乾かぬ痕の数滴を 踏み
わたしは 朝を急いだ
そして一日の終わりにはそれはもう洗い流されていたのだ。わたしはこうして、何事もなかったかのように一日を生きていく。そんな(怖ろしい)日々が静かにわたしの中で堆積していくのだろう。
「あかねいろの空の下で」山口賀代子。
「とんとんとん と 石段を下りる」と、そこには時間をさかのぼったような場所があったのだ。もんぺをはいた女性がいて、米穀通帳が必要な米屋がある。
若い女が行き交う
きらきらと輝く目をしている
未来をみつめているのか
それとも
今夜の晩御飯のお菜は何にしようか
そんなことをかんがえているのか
こんな町に住みたかったと話者は思う。そして、その石段下の町から坂の上をながめては、そこでのくらしについて想像をめぐらしただろうとも思うのだ。もうひとりのわたしも、きっと幸せなのだろう。
それぞれの作品に適切なご助言やコメントをいただけましたこと、感謝しております。
ありがとうございました。