瀬崎祐の本棚

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詩誌「左庭」  49号  (2022/02)  京都

2022-03-08 21:15:26 | 「さ行」で始まる詩誌

「アオサギ、昼寝する」冨岡郁子。
どろだしをするつもりだったのに、ひとだしになってしまったとのこと。もう、どろだかひとだかわからないのだ。ヒトとヒトの境って何だ? どろのようにごちゃごちゃになるものなのだろうか。

   シセンは質量をもち
   軸にちかづいていく漸近線のように
   見られているヒトとの空間をあばいていく
   そして
   一瞬をとらえ
   交わったり合わさったりすることがある

奇妙な決断のようなものが感じられる。話者は、アオサギが昼寝しているどろの川で「もうひとはらき」するのだろう。

「秋から冬へ」岬多可子。
前半、発情して真っ赤な下腹になった雌蜘蛛たちがいて、「はげしく腫れた 赤は/わたしの目にも 血を流させた」のだ。そして後半、駅への階段の上には「赤く濡れて 羽や肉も 乱れ散っていた」のだ。禍々しいこの光景はわたしに何を強いてくるのだろうか。

   同じような色の血を
   内側にめぐらせながら

   舞う羽毛の数枚
   乾かぬ痕の数滴を 踏み
   わたしは 朝を急いだ

そして一日の終わりにはそれはもう洗い流されていたのだ。わたしはこうして、何事もなかったかのように一日を生きていく。そんな(怖ろしい)日々が静かにわたしの中で堆積していくのだろう。

「あかねいろの空の下で」山口賀代子。
「とんとんとん と 石段を下りる」と、そこには時間をさかのぼったような場所があったのだ。もんぺをはいた女性がいて、米穀通帳が必要な米屋がある。

   若い女が行き交う
   きらきらと輝く目をしている
   未来をみつめているのか
   それとも
   今夜の晩御飯のお菜は何にしようか
   そんなことをかんがえているのか

こんな町に住みたかったと話者は思う。そして、その石段下の町から坂の上をながめては、そこでのくらしについて想像をめぐらしただろうとも思うのだ。もうひとりのわたしも、きっと幸せなのだろう。
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1 コメント

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詩誌「左庭」49号 (山口賀代子)
2022-03-13 21:13:05
詩誌「左庭」49号をご紹介くださりありがとうございました。嬉しくお礼申し上げます。
それぞれの作品に適切なご助言やコメントをいただけましたこと、感謝しております。
ありがとうございました。
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