第1詩集。105頁に30編を収める。高谷和幸の栞が付く。
”濾過”という科学用語をタイトルに使用した詩集は珍しく、おや、と思ってしまう。あとがきによれば、「ろか」というスペイン語は愚か者という意味だと友人から聞かされ、「優しい愚か者とはわたしのことと納得もしました」とのこと。それにしても,作品を詩集にまとめることによって何を濾過しようとしたのだろうか(この言葉を冠した作品はない)。
「夕方に 虹を釣る/真夜中に 月を釣る」とはじまる「釣る」という作品。ここでも”釣る”という言葉の使われ方に、おや、と思う。釣るという行為は、呟きや嘆きを聞き分けて文字を書くことへつながっていくようだ。
苦い歌を釣り 苦い愛を釣り
言葉にゆだねる
放たれる思い さらなる惑い
虹を釣る
月を釣る
(最終連)
言葉によって離れたところから自分の方へ引き寄せるものがあるわけだ。それは自分とつながりながらも不安定な危うい均衡のうえにあるようで、最終2行が非常に効果的に効いている。”釣る”という行為は上手い比喩だと思う。
第二部は「地中海」という章題が付いており、イタリア、ギリシャ、フランスなどの国々、あるいは中国や東南アジアをめぐっての作品となっている。それぞれの国でしっかりと立ち止まって言葉が紡がれており、異国に接することによって豊かになる心というものがあることを感じさせてくれる。
”濾過”という科学用語をタイトルに使用した詩集は珍しく、おや、と思ってしまう。あとがきによれば、「ろか」というスペイン語は愚か者という意味だと友人から聞かされ、「優しい愚か者とはわたしのことと納得もしました」とのこと。それにしても,作品を詩集にまとめることによって何を濾過しようとしたのだろうか(この言葉を冠した作品はない)。
「夕方に 虹を釣る/真夜中に 月を釣る」とはじまる「釣る」という作品。ここでも”釣る”という言葉の使われ方に、おや、と思う。釣るという行為は、呟きや嘆きを聞き分けて文字を書くことへつながっていくようだ。
苦い歌を釣り 苦い愛を釣り
言葉にゆだねる
放たれる思い さらなる惑い
虹を釣る
月を釣る
(最終連)
言葉によって離れたところから自分の方へ引き寄せるものがあるわけだ。それは自分とつながりながらも不安定な危うい均衡のうえにあるようで、最終2行が非常に効果的に効いている。”釣る”という行為は上手い比喩だと思う。
第二部は「地中海」という章題が付いており、イタリア、ギリシャ、フランスなどの国々、あるいは中国や東南アジアをめぐっての作品となっている。それぞれの国でしっかりと立ち止まって言葉が紡がれており、異国に接することによって豊かになる心というものがあることを感じさせてくれる。