第4詩集、91頁に29編を収める。
3章に分かれているのだが、「無人島雑記」と題された第1章の散文詩8作品が非常に面白い。ある島での生活を描くといった趣向の連作で、無人島で踏切番をしている話や、深さがほとんどない湖の話などである。「H氏との交遊」には、詩人H氏が登場するが、無人島であるからには当然「本来、かれは居ないことになっている。向こうの論理に従えばぼくが居ないことになるのだからおあいこということ」になる。これは、他者というものが自分にとってどのような意味を持つのかということの問いかけである。ぼくは不在の掘っ建て小屋に石を投げてくるのだが、
翌朝、昨日の石とおぼしいものが窓の外に置かれてい
る。きれいに洗われ、何かの顔が描いてある。ぼくの顔
ではない。これはかれの好意なのか悪意なのか、未だよ
く分からない (最終部分)
答えの見つけにくい問題に直面して、作者は「よく分からない」と正直である。とらえどころがないものをなんとか言葉にしようとしている優しさのようなものが、ここにはある。他人の存在に規定されない自分そのものをとらえ直すための舞台として、無人島を必要としたのであろう。それが物語として上手く機能している。
3章に分かれているのだが、「無人島雑記」と題された第1章の散文詩8作品が非常に面白い。ある島での生活を描くといった趣向の連作で、無人島で踏切番をしている話や、深さがほとんどない湖の話などである。「H氏との交遊」には、詩人H氏が登場するが、無人島であるからには当然「本来、かれは居ないことになっている。向こうの論理に従えばぼくが居ないことになるのだからおあいこということ」になる。これは、他者というものが自分にとってどのような意味を持つのかということの問いかけである。ぼくは不在の掘っ建て小屋に石を投げてくるのだが、
翌朝、昨日の石とおぼしいものが窓の外に置かれてい
る。きれいに洗われ、何かの顔が描いてある。ぼくの顔
ではない。これはかれの好意なのか悪意なのか、未だよ
く分からない (最終部分)
答えの見つけにくい問題に直面して、作者は「よく分からない」と正直である。とらえどころがないものをなんとか言葉にしようとしている優しさのようなものが、ここにはある。他人の存在に規定されない自分そのものをとらえ直すための舞台として、無人島を必要としたのであろう。それが物語として上手く機能している。