弓田弓子の個人誌で、2つ折りにしたB5用紙4枚(16頁となる)をホッチキスで綴じた手作り感覚のもの。
11行から14行の短い作品10編を載せているのだが、そのどれもがきちんと詩になる核を持っている。それは、言葉によるひとつの世界を確かに構築しているということだ。
たとえば「しどろもどろ」。腕がはずれそうなほどに古びたにんぎょうは「だるいだるいと言って/何十年も椅子で/おすまししていた」のだ。衣服も色あせているのだが、
つるつるだった顔も
ざらざらになり
なにやら
しどろもどろだが
髪をささえに
立ち上がった
(最終部分)
今になって立ち上がろうとした”にんぎょう”は、いったい何を考えたのだろう? なんのために立ち上がろうとしたのだろう? おそらく、そこには”にんぎょう”を立ち上がらせようとした私がいるのだろう。あるいは、”にんぎょう”に立ち上がってもらいたかった私がいるのだろう。だからこそ、言葉は”にんぎょう”を立ち上がらせてしまったのだろう。その先にはどんな物語が隠れているのかは、作者にも判らないのだろうけれど。
「工作」は木で細長い箱を作っている作品。寸法が合わなくていく度も作りなおしているのだが、
最後に
中に入って
横たわってみる
(最終部分)
どうやって最後の自分を迎えたらいいのか、試してみることはできるのだろうか?
11行から14行の短い作品10編を載せているのだが、そのどれもがきちんと詩になる核を持っている。それは、言葉によるひとつの世界を確かに構築しているということだ。
たとえば「しどろもどろ」。腕がはずれそうなほどに古びたにんぎょうは「だるいだるいと言って/何十年も椅子で/おすまししていた」のだ。衣服も色あせているのだが、
つるつるだった顔も
ざらざらになり
なにやら
しどろもどろだが
髪をささえに
立ち上がった
(最終部分)
今になって立ち上がろうとした”にんぎょう”は、いったい何を考えたのだろう? なんのために立ち上がろうとしたのだろう? おそらく、そこには”にんぎょう”を立ち上がらせようとした私がいるのだろう。あるいは、”にんぎょう”に立ち上がってもらいたかった私がいるのだろう。だからこそ、言葉は”にんぎょう”を立ち上がらせてしまったのだろう。その先にはどんな物語が隠れているのかは、作者にも判らないのだろうけれど。
「工作」は木で細長い箱を作っている作品。寸法が合わなくていく度も作りなおしているのだが、
最後に
中に入って
横たわってみる
(最終部分)
どうやって最後の自分を迎えたらいいのか、試してみることはできるのだろうか?