第10詩集か。107頁に19編を収める。
「山野」。雨が降っている山野では「野うさぎ 狸 熊たちは/うっすらと わたくしの肢体の中に埋没しているのだ。」
事の始めは夢の中にあり
敵など知らない 味方も知らない。
生温かく抱き合って
まぼろしの行先を尋ねれば
いつか という言葉だけが返ってくる。
山野を覆っていた雪はやがて海へと投げ出されていく。しかし、それまでは様々な思いを自らの中に孕んで、その形も曖昧にしながらじっと耐えるようにしているのだろう。冬の山野の光景を描きながらとても内省的な作品となっている。
このように深く沈み込んだ基調の作品もあるのだが、その一方で饒舌に語り続ける作品もある。たとえば「ヒレを持つ者」では、大きなヒレを持った金魚が空を飛んでいくし、「夕陽のダクト」ではドラゴン工業のダクトが町を走りまわる。こういったエネルギーが羽目を外して「世界の裂け目」を露わにする作品も読ませる魅力を持っている。
「うすやみの中には」では、落ちた樹木の葉が「形だけの塊となりはてて/川を 流れ下」っている。
忘却の過程は
その大半を終えた、
わたしを震撼させ おののかせるものよ
これを
川の葬、
と呼んで良いか
自己の内側の深いところから何ものかを取りだす作品と、彼方へ跳んでいこうとする作品が、作者を支え合っているのだろう。
最後に置かれた作品「夜を行く馬」では、馬は「悲しみを預けて行く」と詩われる。それも、「声というものは自分のものではない と思い捨てて。」だ。係累の有無も不明となり、朝の訪れの可否もすでに意味を失っている。ただ”夜を行く”のだ。この詩集の後に続く道を作者が見つけている作品のようだった。
「山野」。雨が降っている山野では「野うさぎ 狸 熊たちは/うっすらと わたくしの肢体の中に埋没しているのだ。」
事の始めは夢の中にあり
敵など知らない 味方も知らない。
生温かく抱き合って
まぼろしの行先を尋ねれば
いつか という言葉だけが返ってくる。
山野を覆っていた雪はやがて海へと投げ出されていく。しかし、それまでは様々な思いを自らの中に孕んで、その形も曖昧にしながらじっと耐えるようにしているのだろう。冬の山野の光景を描きながらとても内省的な作品となっている。
このように深く沈み込んだ基調の作品もあるのだが、その一方で饒舌に語り続ける作品もある。たとえば「ヒレを持つ者」では、大きなヒレを持った金魚が空を飛んでいくし、「夕陽のダクト」ではドラゴン工業のダクトが町を走りまわる。こういったエネルギーが羽目を外して「世界の裂け目」を露わにする作品も読ませる魅力を持っている。
「うすやみの中には」では、落ちた樹木の葉が「形だけの塊となりはてて/川を 流れ下」っている。
忘却の過程は
その大半を終えた、
わたしを震撼させ おののかせるものよ
これを
川の葬、
と呼んで良いか
自己の内側の深いところから何ものかを取りだす作品と、彼方へ跳んでいこうとする作品が、作者を支え合っているのだろう。
最後に置かれた作品「夜を行く馬」では、馬は「悲しみを預けて行く」と詩われる。それも、「声というものは自分のものではない と思い捨てて。」だ。係累の有無も不明となり、朝の訪れの可否もすでに意味を失っている。ただ”夜を行く”のだ。この詩集の後に続く道を作者が見つけている作品のようだった。