瀬崎祐の本棚

http://blog.goo.ne.jp/tak4088

詩集「わたしとわたし」 吉田正代 (2024/03) グッフォーの会

2024-05-11 00:02:15 | 詩集
99頁に44編を収める。
平仮名を多用した短い詩行の作品が並ぶ。目に入る余白の多い各頁の印象もやわらかいものとなっている。
面白いのは、収められたほとんどすべての作品に”つめ”があらわれてくるところ。それはさまざまな”爪”なのだが、ときに白詰め草であったりもする。

「つめをきる」は「きょうのつめをきる」と始まる。そして「きのうのつめがうまれる/きのうのつめを/きることはできない」と続く。形式張って言えば、ここには”爪が生える”という時間の流れにのって運ばれていく肉体現象があるわけだ。しかし、そんなことを越えた感覚の領域で言葉が生まれている。だから詩になっている。

   きょうのつめをきる
   きる
   よるがゆるやかに
   ちかづいてくる

ここまで繰り返されてきた「きる」という語のリズムが「る」という音のリズムに受け渡されて、「よる」、「ゆるやか」、「ちかづいてくる」の「る」に反響している。その響きが心地よい。それを受けて、最終連は「る るる るるる/る るる るるる」。彼方にまで音が伝わっていくようだ。

「あまもよい」。話者は「みぎてくすりゆびの爪母」をつぶしてしまったのだ。何か不注意ごとでもあったのだろうか。それこそ気持ちは晴れなくて、

   爪は
   いまにも
   なきだしそうな
   そらのけしき

そして話者は「あしたはてんき」で「あしたはげんき」と詩う。「てんき」、「げんき」のこの一音違いのリズムが自分を奮い立たせようとしている悲壮感も漂わせていて効果的である。これに続く最終連は「爪/あかるいつきに/とけこむ」と、無駄な言葉のない、それでいて余韻が残るものとなっている。

「節分」については、今は終刊した詩誌「まどえふ」に掲載された時に簡単な紹介記事を書いている。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 詩集「わが方丈記」 林嗣夫... | トップ | 一枚誌「紙で会うポエトリー2... »

コメントを投稿

詩集」カテゴリの最新記事